いつか、同じ星を

010.触れたい女

蜥蜴族のように鱗に覆われた顔は表情が分かりにくいが、たった今、ラザフォードは誰が見ても天地がひっくりかえったかと思うほどに仰天していた。かぱっと口を開けていて、ソファの上でミチルに巻きつこうとしていた尻尾が真っ直ぐになっている。ゼルニケの駐留隊をこれから束ねるとは思えないほどの情けない様子だった。

そのラザフォードを、ミチルが半笑いになりながら覗きこんだ。

「エティエンヌさんは女の人なの」

「えっ、いや、しかし……」

「私も最初に見た時は分からなかったけど、その……女の人です。私、旦那さん見たことあるけど、迫力が全然違うの」

「だ、旦那!?」

「なんだ、旦那がいちゃ悪いのか」

エティエンヌは一度「失礼だな」とふんぞり返ると、ラザフォードの腕からミチルを引き寄せて片方の腕で抱え、もう片方の腕でごしごしと頭を撫でた。「うひゃーん」とミチルが楽しそうにエティエンヌの毛皮を堪能する。ラザフォードが呆気に取られたように、2人の様子を見ていた。

これまでの日々を脳内で反芻してみる。エティエンヌとミチルは、いつもいつも(男から見れば)過剰なスキンシップで遊んでいた。ミチルがエティエンヌの腕に抱きつき、頬擦りするのは日常茶飯事。エティエンヌもミチルのお尻に触るわ、頭を乱暴に撫でるわで、ラザフォードはいつも苦々しく見ていたのだ。スキンシップが女同士のそれだと思うと、妙に腑に落ちるのが悲しい。

自分は何という情けない嫉妬をしていたのだろうか。

はあ……と長いため息を吐いて、ラザフォードは頭を抱える。

「もしかして……皆知っていたのか……」

それなら、少しくらい教えて欲しい。……そう思っていると、ミチルがエティエンヌの腕の中から答える。

「エティエンヌさん、目立つから」

「もう街の全員に知れ渡りすぎて、誰も疑問持たないんだよなあ」

「ねー」

熊族の獣人はそもそも大きくて目立つのだ。ゼルニケに定住している者にはよく知られているし、兵士仲間は言うまでもないのだろう。エティエンヌと顔を見合わせて「だよなー」「ねー」と言い合っているミチルは可愛いが、このときばかりはなんとも小憎らしかった。

「それに自分が男だったら、他の若い衆に白い目で見られる上に親父さんに殺されるだろ」

「え、どういう意味?」

「ミチルは知らんでよろしい」

ぼむっ……! とミチルの頬を熊の両手で挟んだ。ほっぺたをむにゅう……と変な形にされながら、ミチルはよく分からない風に首を傾げていたが、ラザフォードにはどういう意味か分かった。ミチルは若い兵士達に多く慕われているから、エティエンヌが男であれば「抜け駆け」と思われて嫉妬の目を向けられる……ということだろう。だが、そんな風な雰囲気ではなかったと今ならば分かる。

「あ、でも私も最初間違えたから」

全く慰めになっていない慰めをミチルが口にした。

エティエンヌの声は人間の女性よりはすこし低く男言葉だったし、何せ迫力のある大きな熊そのものなのだ。ラザフォードが間違えたように、ミチルも最初に見た時はエティエンヌは男だと思っていた。知り合ってすぐのときに、一緒に共同浴場に行って発覚した。ちなみに貿易商をしているという同族の旦那さんは、エティエンヌよりもさらに大きく毛皮の心地も全然違う。

当然のようにミチルはエティエンヌに懐いた。何よりも毛皮がふかふかとしていて気持ちいいし、姐さん気質のエティエンヌはそこらへんの男よりも包容力がある。こちらに来て初めて出来た女友達だ。ミチルはエティエンヌにならば、いつか自分が異世界から来た……ということを話そうと思っていた。

エティエンヌはミチルを解放すると、ひょいと抱き上げてラザフォードの隣に下ろしてやった。さて……などと言いながら、カキリと拳の骨を鳴らす。

「それにしても、ラザフォード。あんた、私が女じゃなかったら、ミチルをゆずったってことかい?」

「……そ、れは……いや、確認しただけで」

「なあ、親父さん」

そうしてラザフォードを見下ろし、パシンと片方の拳を片方の手の平に打ちつけて宿屋の主人に同意を求める。宿屋の主人も「ああ」と大きく頷いた。

「黙って聞いてりゃ、うちのミチルをその気にさせておいて捨てるたあ、いい度胸だな」

「す、捨てる!?違う、そんなつもりではない!」

慌てて首を振るラザフォードに、エティエンヌが詰め寄った。

「分かってんだろ。自分の本心も、自分のやるべきことも」

「やるべきこと……」

どうなんだよ、ああん?……と、エティエンヌがラザフォードに迫っている。隣には心配そうにこちらを窺うミチルが居て、ラザフォードと瞳が合った。今までどんな女を見ても心が動かなかったのに……、よりによって欲しいと思った女は自分とは全く異なる質感の女だった。それが分かっていて心惹かれて、守りたいと一度は自分で手を差し出したのに守れなくて……。

それでも。

ラザフォードは心を決めたようにミチルのかたわらに片膝を付いた。騎士が淑女にするように一度頭を下げて、許しを請うようにミチルを見上げる。その仕草にミチルの顔が赤くなり、黒い瞳がみるみる潤む。ラザフォードを捕らえる黒い瞳……それを蜥蜴の眼がやさしく覗きこんだ。

ミチルの眼に映る蜥蜴の瞳は金色で、刃物のような瞳孔は琥珀色だ。

「ミチル」

ラザフォードがつるりとキレイな黒銀色の手でミチルの手を取り、恐る恐る甲を撫で、持ち上げて自分の口を触れさせた。

「俺は怖いんだ。次にミチルを傷つけるのが自分になってしまうのではないか……と。……ミチルは人間だし、俺とは全く違うから……」

「ラザフォード……」

「ミチル、それでも」

それでも、そばにいて、その柔らかさと繊細さを守りたい。ミチルが望んでくれるなら、……いや、自分の心からの望みとして、ずっとそばにいたい。毎日触れて欲しい。

「貴女のことが好きなんだ。ずっとそばにいて欲しい」

「私でいい?」

「ミチルがいい」

「でも人間だよ?」

「俺も蜥蜴族だ。……だが相手がミチルなら……」

違いも愛しい。

むしろ知りたくて、怖いけれど触れたい。ずっとずっと、本当は出会うよりも前から、この手を取ることを望んでいたような気がするのだ。ラザフォードが下瞼を持ち上げて瞳を細めると優しい雰囲気になった。ミチルも頬を染めて笑みを見せる。

「うれしい。ラザフォード」

ああ、ようやく見つけた。

なぜか、どちらともなくそんな風に思った。