後日談:潮風に乗って

005.触れ合った2人

夜も随分遅くなっていた。

ミチルとラザフォードは2人一緒に自分達の家に戻ってきた。道を歩いている間手をつないでいたが、ずっと無言だ。しかし時折ラザフォードがきゅ……と指を握り返してくれる感触が、まるで会話しているようで沈黙は苦にならなかった。

ラザフォードが家の灯りを点してくれる。グリマルディで使う明かりは、特別な石に火を点けるものが庶民には一般的だ。大きさにもよるが、一度火を点けてやると、1ヶ月はほの明るい光源になる。使わない時は蓋をして、使う時は蓋を開けるだけの簡単な仕掛けである。今使っている持ち運び用の発光灯はミチルが買ったものだ。丸い形の擦りガラスに金属の枠がはめ込まれていて、可愛い小鳥の彫金がほどこしてある。玄関で灯りを灯して、寝台まで持っていけるようなものにした。

ラザフォードが夜番で留守にしてしまうときは、<ちいさな海猫亭>に泊まれと言われるのだが、折角「妻」になったのだから、ミチルはどんなに遅くなってもラザフォードを迎えるか、送り出すかしたかった。闇の中での一人寝には恐怖感があったが、お気に入りの灯火の灯りを見ながらであれば、1人の夜でも家で眠ることができるようになった。

そのお気に入りの灯りに照らされて、自分達の住まいが浮かぶ。あまり広くは無いけれど、ラザフォードと一緒に買い揃えた物が揃う居心地のいい家だ。

玄関の鍵を閉めると、ラザフォードがぎゅ……とミチルを後ろから抱きしめた。ぴたりと触れるようにラザフォードの顎がミチルの頭に乗せられて、そのままの姿勢でしばらくの間じっとしている。

やがて、搾り出すような声が聞こえた。低い音はかすかに震えている。

「ミチル」

「ん」

「ごめんな」

今日、何度目かの謝罪を聞きながら。ミチルは頭を振った。今までに無く大きく身体を触れられていて、心臓がドキドキと息苦しいほど動き始める。胸が苦しくて言葉が消えてしまいそうだ。慌ててミチルは口にする。

「嫌われたんじゃなくて、よかった」

「俺が、ミチルを嫌うはずない。……それよりも、俺が嫌われたかと思った」

「私が、ラズを嫌うはずない!」

頭の上から聞こえてきた切実な声に、ミチルが無理矢理振り向いて訴えた。ラズの高い位置にある顔を見上げて、抱き締めてくれている腕を掴む。

しかし、2人して同じ台詞を言ったことに気が付いて、しばらく無言で見つめあってしまった。それから、どちらからともなくクスクスと笑う。

しばらくして笑いが収まると、ラザフォードの手がミチルの髪を梳き始めた。

「怒っていないか?」

そう聞かれて、ミチルは少しだけ考えた。黙り込んだミチルに、ラザフォードが手を止めて心配そうにこちらを覗き込む。

ラザフォードがミチルに手を出さなかったのは、ミチルを大切にしたかったから、傷つけたくなかったから。そんなことを聞かされて……嬉しくないはずがなかった。同時にちょっとだけ腹が立つ。どうしてそういうことを、妻である自分には相談してくれなかったのだろう。

「ちょっとだけ怒ってる」

「……うん」

「勝手に娼館とか行っちゃうし」

「……それは、」

「ん、分かってる。マリオンさんでしょ」

「ミチル……」

「それだけじゃない。ちょっとくらい、相談してくれてもいいのにって」

「それは……俺にも、少しくらいプライドはある」

「プライド?」

やっぱり男なのだから、好いた女を抱く時位は心地よくしてやりたい。初めては痛いと聞くし、自分ばかりがいい思いをしてしまいそうなのは目に見えている。……かといって、他の女で試すなどというような馬鹿げた気にはなれないし、「ミチルを傷つけたくないから抱けない」などと、どう伝えればいいのか。

男のそうした単純で複雑な感情を分かっているから、メイランは、「まずは妻に触れてから来い」と言ったのだろう。一番大事なのは、ミチルと触れ合いたいのだとミチルが分かることだ。あの時、ミチルは決してラザフォードを拒絶していなかった。赤い痕が付いてしまったのならば、ミチルにそう言えばよかったのだ。そうしなければ、ミチルが平気かどうかは決して分からない。

「俺の鱗の硬い部分が触れると、ミチルの肌が、少し赤くなるんだ」

「うん。……でも、当たり前だよ。買い物カゴを腕に掛けたり、木の枝にちょっと引っ掛けたりすると、すぐに赤くなるもの」

「そうか、そうだな。痛くないか?」

「痛くないよ。でも、多分、その、」

「ん?」

真っ赤になって、ミチルが俯いた。

「平気」

その言葉を聞いて、はー……とラザフォードはため息を付いた。理性を抑えようなどと、到底無理な話なのかもしれない。「平気」の一言にいろんな意味が見て取れて、ラザフォードの顔がもし鱗に覆われていなければ、ミチルと同じように真っ赤になっていただろう。人間よりは少し低いはずの体温が、僅かにあがったような気がした。

ミチルの身体を再び引き寄せて、今度はすこし強めに抱きしめる。肌はメイランに塗ってもらったのだというクリームのおかげで常よりもしっとりとしていて、顔を下ろして首筋に鼻先を埋めるとよい香りがした。

「本当はずっとこうしたかった」

「ラズ?」

「本当はずっと触れたかったんだ」

「私も……」

何かを言おうとしていたミチルの口は、ラザフォードの長い舌で塞がれた。今までに無く長くて、溶けるような重くて甘い口付けだ。息継ぎの間だけ僅かに離れて、また塞がれる。身体はきつく拘束されているわけではないが、ほんの僅かも離れる事が出来ない。

これまでしてきた口付けとは異なる、深く探るようなそれに、むずむずと身体の奥がくすぐったくなる。背が震え、胸が疼く。

思わず、あふ……とミチルが息を吐くと、それに呼応するように身体が浮いた。ラザフォードがミチルを横抱きにしたのだ。

「ラ、ズ?」

「今日はもう、止めない」

その言葉の意味に、ミチルはラザフォードの胸に擦り寄って俯く。

寝室にはすぐに到着して、ぽすんと寝台の上にミチルの身体が沈められた。

****

その日の夜。

ラザフォードは本当に止めなかった。メイランからの忠告に従って、丁寧に丁寧に、ミチルの肌を柔らかく解いていく。

灯りを消して欲しいと、ミチルが言った。暗闇は怖くないのかと問うたが、そういえばミチルはラザフォードと眠る時は灯りが消えていても眠る事が出来るのだ。

触れる肌のあちこちに指が沈み込む、その柔らかさがまだ怖い。ミチルがラザフォードの鱗の背に腕を回せば、それすらもミチルを傷つけやしないかと身体が強張る。しかし尻尾はいうことを聞かずに過剰な程にミチルの細い足に巻き付いた。

鱗の硬い部分が触れると、ミチルの身体が震える。

「怖くないか、ミチル?」

思わずそんな風に聞いてしまったら、何も身に着けていないミチルが、何も身に着けていないラザフォードにますます身体を寄せてくる。ミチルはぴたりとラザフォードの胸元に頬を寄せた。その身体に顔を埋めて耳をすませてみると、グルルグルル……と喉が鳴る音が聞こえる。人間とは違う、自分とは違う、それなのに、どうしてこんなに安心するのか。

ミチルはちゃんと理由を知っている。

「怖くない。だって、ラザフォードの身体だって、分かるから」

「俺の?」

「ん。他の誰とも違う、手も背中も。ラズの……蜥蜴族の人の身体だって。暗くても分かるの。見えなくても、ちゃんと見えるの。ラズのことだけは」

他の誰とも違う……という言葉の裏には、恐らくアストンに触れられた記憶があるのだろう。その記憶を上書きするように、ミチルが囁くような声で言う。まるで大切な秘密をラザフォードにだけこっそりと教えるような、そんな声だった。

人間とは異なるラザフォードの手触り。暗闇の中であっても、ミチルに触れるその手がラザフォードのものであればすぐに分かる。だから彼が側にいてくれれば、暗闇の中でも嫌な事を思い出すことなく眠ることが出来るのだ。

そんな風に言うミチルが愛おしくて、胸がきつく狭くなるような心地がする。

「好きだ、ミチル」

「私も、私もよ」

「ああ……」

多分触れたところは赤くなっているだろう。だが、それもミチルがラザフォードに触れているという証に受け入れて、許してくれる。

ミチルがラザフォード自身を迎えいれた時は、さすがに痛みで血の気が引いてしまった。ラザフォードも出来る限りゆっくりしたつもりだったが、何しろ2人して初めてであり異種族なのだから、どれほどの手加減が必要なのかは分からない。それでも、止めないで止めないでと訴えるミチルに激しい感情を覚えて、理性と闘いながら最後まで進めた。

愛する身体と心が交わりあった余韻は幸せで、結婚して初めて、2人はようやく満ち足りた朝を迎えた。

****

ちろりとミチルの首筋を濡れた何かが這う。

「ん……」

くすぐったくてぷるぷると頭を振ると、お腹と足に絡み付いている何かがやんわりと肌を撫でる。どうやらラザフォードに背中から抱きかかえられているようだ。

「ミチル」

目が覚める。

だが、何も着ていない羞恥に身体が熱くなって、ラザフォードを振り向く事が出来ない。

「お、おは、おはよう」

「おはよう」

それでも頑張って挨拶すれば、ため息を吐くようなラザフォードの声がミチルの髪を揺らす。つるりざらりとした手がミチルのお腹をそっと撫でて、鼻が首筋に擦り寄ってくる。くすぐったくて思わず笑うと、くるりと身体が反転させられた。

向かい合わせのラザフォードの金色の瞳が、労わるように……くうっと細められた。

「身体は大丈夫か?」

「うん」

ラザフォードの声が温かくて甘くて嬉しくなる。正直に言うと足の間はまだヒリヒリと痛かったが、初めては痛いと知っていたし、身体の中で何が起こったのかも知っている。それよりも、相手がラザフォードだということに胸がドキドキするような、ソワソワするような気持ちになった。つまりとても幸せだ。

それでも、ラザフォードの心配は尽きないらしい。

少しだけ身体を離して、2人を包んでいる上掛けの中を覗き込んだ。

ミチルの肌の上にはかすかに擦れたような赤い痕が残っている。点々と鱗の痕もあった。もちろん痛くはなかった。硬い鱗の一部が強くあたってしまったのだろう。しかしミチルはそんな痕よりも、明るいところで裸を見られる方が恥ずかしい。

「ちょっとやだ! あんまり見ないで」

「ん? 何故……もっと見せて欲しいのに」

小さく笑いながら、ラザフォードは恥ずかしがるミチルに上掛けを掛け直して抱き寄せた。ひとまずこうすれば、見えない。

隠されたことにほっと一息吐いて、ミチルが唇を尖らせた。

「だって、胸あんまり無いし……ラズみたいに引き締まってないもん。なんか私ゆるまってない? もっと、きゅってなりたい。メイランさんみたいに」

「そんなこと気にしていたのか」

「そんなことじゃないよ!」

呆れたように言われたが、かなり深刻な問題だ。

だが、ラザフォードはミチルの気にしているふわふわなお腹周りを撫でながら、心地よさそうに喉を鳴らした。

「柔らかくて、気持ちがいい」

「あー! あんまり撫でないで、ホント最近いっぱい食べたから……」

「これがいいのに」

楽しげに笑いながら、上掛けの中でゴロゴロと転がるミチルを捕まえる。いつも切なかった朝が、今日は楽しくてくすぐったい。

楽しく転げまわっていたら、不意にミチルがおとなしくなった。

「ミチル?」

ラザフォードの声が優しい。

「信じられない。こんな風に誰かと結婚して、こんな風に暮らすことが出来るなんて」

「ミチル……」

ミチルがグリマルディという世界にやってきて1年。今でこそ、<ちいさな海猫亭>の女将さんや旦那さんを本当の父母のように慕って、エティエンヌやマリオンのような友人ができて、常連のお客さんに囲まれて暮らしているミチルだったが、ふとした瞬間に、故郷の家族は友人達はきっと心配しているだろうと思うことがあった。それなのに、自分は彼らに無事を伝える術なく、意気揚々と生きている。そんな自分に、いつだって心の何処かに落ち着かない後ろめたさがあった。生活に精神的な余裕が出来た今は、なおさらそれが胸に痛い。

自分は、どちらの世界にも未練のあるひどく中途半端な存在のように感じられた。皆と楽しく話していればあちらの世界を後ろめたく思い、孤独を感じればこちらの世界に罪悪感を覚える。

しかし、ラザフォードという愛する人が見つかった。愛する人が出来るというのは、なんと自分に存在する意義を与えるものなのだろう。この優しくて強くて、大好きな蜥蜴の人に出会って、ミチルはこちらの世界に居てもいい理由が見つかった。自分はもうこちらの人間として生きていくのだと、そんな風に決意することが出来た。

「そんなこと、考えてたのか」

「ラズが私の旦那さんだから……こっちに居たいって思ったの。私、こっちで楽しく暮らしてもいいよね」

そう笑って言ったミチルの表情は、いつだったか、ミチルが異世界から来たのだと話してくれた時の切なげな色に見えて、ラザフォードは黙ってミチルを引き寄せた。しばらく黙ってそうしていたが、掠れた声で囁く。

「当たり前だ」

どこか泣きそうに聞こえる声に、ミチルは「ん」と擦り寄った。

「うん。よろしくお願いします」

「当たり前だミチル」

ミチルはもうミチル自身に関わる全ての者に会うことが出来ない。辛いだろうその現実に、懸命に向き合っている。ラザフォードもそんなミチルの思いを背負っていくのだと心に決める。ミチルが己をこの世界で生きる理由にしてくれることの、どれほど幸せなことか。ミチルの思いを背負う。なんて甘く、なんて心奪われる役割なのか。

「ミチル、愛してる、ミチル」

「私も、あ、あ、」

愛してるなんて、自分が言うなんて思わなかったけれど、ミチルは思いきって言葉にする。

「愛してるよ、ラザフォード」

そんな感情、初めて知った。

ラザフォードはくるくると喉を鳴らしながら、ミチルは細やかな息を吐いて、寝台の上で互いをきゅ……と抱き締め合った。もう少しこうやって眠っていたいけれど、……ああ、でも残念なことにもうすぐ朝ご飯の仕度をして、仕事に行かなければ。

****

昼の喧騒も一段落着いた頃を見計らって、ラザフォードは<ちいさな海猫亭>の扉を開けた。いつも昼時は目が回るほどの忙しさだが、今は丁度自分のように昼食を食べ損ねた休憩中の兵士達が、ぱらぱらと座っている。

「いらっしゃいませ……あ」

いつもの元気のいい挨拶の声が小さくなる。声のした方を見ると、黒い髪の小柄な娘が顔を赤らめて嬉しそうにこちらを見ている。妻だ。

ラザフォードは愛らしいミチルの表情に応えるように黒い鱗に覆われた顔で頷くと、彼女の仕事を邪魔しないように店を見回し、手ごろな席に座った。しばらくすると、ミチルが水を持ってきてなぜか小声で「いらっしゃいませ」と言う。別段こっそり来ているわけでもなく、ラザフォードとミチルが夫婦なのは皆知っていることなのに。

「ああ。……ありがとう、ミチル。今日は何があるんだ?」

「ん、今日はね、すごく新鮮なエステルが入ってて、……フライに甘酸っぱいソース掛けたやつを作ってたみたい」

「じゃあ、それにしよう」

「はい」

これがラザフォード相手ではなくエティエンヌや他の客ならば、元気な声で威勢よく答えるのだが、今は照れたように小さな声で、自分達だけの空気を共有するかのようだ。

厨房の旦那さんに注文を通して、ミチルはすぐに出てきた。エプロンを外して、ちょこんとラザフォードの前に座る。

「ミチル? 店はいいのか?」

「うん。ラズが来てるなら、お昼休憩一緒に取りなって、女将さんが」

「そうか、後でお礼を言っておこう」

にっこりと頷くミチルの顔に、ラザフォードの瞳も心地よさそうに細くなった。

……という、一連の夫婦のいちゃいちゃぶりを見ていた灰色熊のマリオンが、大きな身体を丸めて、はふうん……とため息を吐いた。目の前にはエティエンヌが面白そうに、ちらちらと新婚夫婦の2人を見ている。

「ぴちぴちつやつやしやがって、ラザフォードのやつめ」

マリオンが悔しそうにつぶやくと、うひひ……とエティエンヌが肩を揺らして笑った。ぴちぴちつやつやしているのはミチルの方も同様だ。どうやら夫婦の問題はすっかり乗り越えたようで、この1ヶ月間はなんだったのだというほど、甘い新婚っぷりを繰り広げている。

そこに、料理が運ばれてきた。マリオンとエティエンヌが座っている席に、コトンと置かれた皿の上には、エティエンヌお気に入りのケタケタのソテーが盛りつけられている、塩味と香りのよい香草ハーブで味付けしてあるシンプルな焼き魚だ。

「おらよ、ケタケタのソテー港街風」

「お、ありがとよ!」

料理を運んできたのは、海猫亭の主人フェーランだ。ミチルが休憩しているから自ら料理を運んで来てくれたかと思ったら、マリオンの隣にちゃっかり座って同じようにうなだれた。

早速ケタケタのソテーにフォークを通したエティエンヌは、目の前で管を巻く親父2人を交互に見た。

「なんだって、2人して落ち込んでんだ」

「だってよう。……最近、晩飯も一緒に食ってくれねえんだよ。ラザフォードさんを待つんだと」

「俺ぁ、この前ミチルの頭なでたら、これからデートなのに髪型変になる!って怒られたわ」

「あんたらねえ」

呆れたように言いながらも、情けない男2人にエティエンヌは苦笑した。ちらりと厨房に目をやれば、女将のルーリィがやれやれと肩を竦めている。要するにミチルが嫁にいったのが悔しかったのが1ヶ月前、前にもまして仲良くなってさらに寂しくなったのがここ最近というわけだ。

もぐ……とケタケタの切り身を頬張り、香草と塩の絶妙な味わいを飲み込むと、エティエンヌは親父2人に言ってやった。

「でもよ、この分じゃあ、ちっこいラザフォードか、ちっこいミチルが出来るのも、そう遠くはなさそうじゃねえか?」

「ち、ちっこいミチル!?」

「おうよ。ちっこいミチルに『じーじ』……なんて呼ばれてみろ」

かあ……と瞳を潤ませたのは、フェーランだ。ほわわーん……と、「ちっこいミチル」に「じーじ」と呼ばれるところまでを妄想し、自然と頬が緩む。「いやあ、俺、まだまだそんな歳じゃねえからよう、じーじじゃなくて、なんて呼ばせようかなー」などとぶつぶつ言っている。マリオンは「あのミチルがもっとちっこいのになるのか、くそう!」などと言いながら、なぜかふかふかの手をぐーぱーしていた。

しかし、マリオンがはっと我に返る。

「いやいや、何言ってんだエティ!」

「ああん?」

「おれは、ちっこいエティが、むっ」

テーブルに腕をついて身を乗り出したマリオンがグオンと開けた口の中に、エティエンヌはケタケタの切り身を一切れ放り込んでやった。さすが<ちいさな海猫亭>の主人の自慢の逸品だけあって、非常に美味だ。エティエンヌにあーんしてもらったケタケタを念入りに味わってごくんと飲み込むと、マリオンはでれでれと笑った。

「でもよう、ちっこいミチルとちっこいラザフォードが、いい遊び相手になるかもしんねえぞ?」

「まったく」

呆れた声はそのままに、エティエンヌは頬杖を突いて、今日は随分と平和な<ちいさな海猫亭>を見渡した。視界の端には幸せそうな蜥蜴族の男と人間族の女がいる。

そうして、小さなミチルやラザフォード、小さなエティエンヌやマリオンが、笑いながらゼルニケの浜辺で遊び転がる姿を思い浮かべる。

「まあ、悪かねえな」

そんな未来の構図に、思わず口元が綻んだ。


「ねえ、ラザフォードはメイランさんになんて言われたの?」

「ん……」

「え、何、いえないようなこと?」

「いや……その、」

「なあに」

「慣れないうちは、片方で満足しろと」

「か………………」

「………………」

「………………」

「あー、ミチルは、なんていわれたんだ。顔が真赤になっていただろう」

「えっ」

「ん?」

「あの」

「どうした?」

「その、……びっくりしないようにって、か、かた、かたちを、教えてもらった」

「………………」

「………………」

「今度お礼しに行く?」

「……ああ」