aix story

005.login :酒場

「街を探しましょう」

「街を?」

「ええ」

教会のあった広場を抜け、森を歩きながら楽しげにきょろきょろと視線を移ろわせていたラズは、小柄なユリアナを見下ろした。ユリアナがラズを見上げていて、目が合うと、ふ…と微笑む。その視線にラズも笑みを返して、だが困ったように腕を組んだ。

街。…地図も無いこの場所で、街なんてどうやって見つければよいのだろう。
こうした世界は初めてのラズは、戸惑ったようにため息をついた。

「でも、どうやって? 僕たち、地図も持っていません」

「そうね…」

ユリアナが、続く道の先に視線を向ける。

「道があるのだから、どこかに続いているのではないかしら」

「そんな、簡単でいいのかな?」

「どうせ3時間たったら、ログアウトなのだし。今は特に目的も無いから」

「そっか。目的が、無いんだ」

その言葉に新鮮な思いを抱いて、ラズも森の先へと視線を向ける。立ち止まったラズを追い越してユリアナが先導して歩き始め、少し先を歩いて振り向いた。

「行きましょう、ラズ」

「あ、はい。待って」

ユリアナに追いつこうと、ラズが駆ける。

木漏れ日の差し込む森は暖かく、木々の独特の香りが心地よい。

****

「で、川沿いの道歩けばどこかに出るって? そんな安易な考えでいいのかよ」

「じゃあ、他にいい考えがあるの?」

「冒険っていうのは、もっと慎重に行くべきなんじゃねーの?」

「あら、冒険っていうのは大胆に行くべきなのよ」

頭をガリ…と搔くヴァーツを振り向き、くすくす笑いながら跳ねるように歩くのはフウカだ。2人が出会った河原の側から少し歩くと、川に平行するような道が続いていた。それを下流に向かって歩いていけば、どこかに出るんじゃないか…というのがフウカの意見で、ヴァーツも概ね同意見だった。しかしなんとなくこの少女の意見に従うのが面白くないヴァーツは、それでも仕方なしにフウカの後ろを歩いていく。

「おいフウカ、あんまり先に行くな」

「なんでよ」

「あぶねーだろ」

「ふふ、心配してくれるの?」

「そういうんじゃねーよ、うるせーな」

「うるさいって言わないの」

相変わらず楽しげに、フウカが先だって歩いていく。ヴァーツは離れないように、その斜め横に位置を取った。先に歩くといってもフウカは、まだ子供だ。ヴァーツが足を伸ばせばすぐに追いつく。話題が無くなってしまったので、ヴァーツは傍らの石を蹴ってフウカに声を掛けた。

「なあ」

「ん、なあに?」

「3時間たったら強制的にログアウトだろ」

「そうみたいね」

「で、ログインしたらログアウトの場所に戻ってるんだな」

「それがどうかしたの?」

「別に…」

「変なの」

変で悪かったな、と言い返しそうになって止めた。代わりに別のことを考える。ヴァーツはこうした類のシステムを体験したことが無かったから、あまり仕組みに馴染みが無かった。フウカの知った風な態度がなんとなく面白くない気がしたが、それを表に出すのも子供っぽい。

ヴァーツは一番最初にこの世界に降り立った後、フウカと共に獣のモンスター?に出会い、それを倒した。その後は今のように歩いていると、突然この世界に似つかわしくない硬質の女性の声が響いたのだ。その女性の声は「ログアウトの時間です。エクスに残っているプレイヤーは後XX分で強制ログアウトとなります」…と聞こえ、その後この世界での意識が希薄になり…。

そうして、一晩経過してまたログインしたら、ログアウトしたときとまるで同じ場所に戻ってきたのだった。フウカもすぐ側に居た。ログアウトした状況とほぼ変わらない状態だった。全員が同じ時間にログインし、同じ時間にログアウトするのであれば、毎日3時間ずつのログインでも継続した冒険が可能なのだろうか。もっとも接続許可時間の3時間の中であればいつでもログアウトとログインは可能なので、一概にそうとも言い切れない。

「敵にエンカウントしてるときにログアウト時間になったらどーするんだろうな」

「それは、システム側でどうにかするんじゃないの?」

「どうにかって?」

「ログアウト直前は、敵にエンカウントしない、とか」

「そんなこと、システム側が操作できんのかよ」

「それは、できるでしょう。世界を構築してるのは、システムなんだから。敵のエンカウントだって、システムが調節してるはずよ」

「……」

再度、ヴァーツは黙りこんだ。その様子を見て、フウカが首を傾げる。

「どうしたの?」

「別に」

急に不機嫌な声になったヴァーツに、フウカがさらに声を掛ける。

「何? 怒ったの?」

「別に、怒ってねーよ」

だが、自分の声が荒々しくなったことをヴァーツは自覚した。別にフウカの事を怒っているわけではない。「世界を構築しているのはシステムだから」という言葉が気に障っただけだ。

「じゃあさ、基本的にはシステムが俺たちの存在を握ってるってことだよな」

「え?」

「ここで急にログアウトさせられたら、否が応でもログアウトさせられるってことだろ?」

「そうね」

「じゃあさ、他の事は? …例えば、敵に、ヤラれるとか」

「ヴァーツ?」

眉をひそめて、フウカに…というよりも、何かしら自分に言い聞かせるように言葉を繋ぐヴァーツに心配そうな表情を向ける。フウカは足を止めて、大人びた瞳でヴァーツを見た。

その視線に気付いたヴァーツが、気まずげにふい…と顔を逸らす。

「あー、悪ぃ。なんでもねー」

「…痛みとか、一部の感覚的フィードバックは止められているって聞いてるわ。それにすべての行動は、それが不可抗力による結果だとしても自分で選択できるから、理論上は敵にヤラれることは無いはずよ。自分が、それを選ばなければ」

「選ぶ?」

「怪我をする、とか、敵に倒される…って行動を選ばなければ、永遠に倒されることは無いわ」

「でも、それだったら」

永遠に勝負がつかないってこともあり得る。

そういいかけて、ヴァーツは考え込んだ。それはエクスの世界の仕組みのひとつで、一番の目玉は確かにそこだったはずだ。リアルな世界の再現に、感覚的フィードバックを抑制したシステム。そして、行動と表現の全てを自分で選択すること。だから、このサービスが開始されるまで、プレイヤー同士の殺し合いに勝負がつかないのではないか…という懸念の声があったのだ。その懸念の声は、今、エクスの世界が語られる上で一番の話題になっている。

大量にある世界、その何番目の世界でプレイヤー同士の戦闘が起こっているとか、どこそこが殺伐としている…とか。当然、その争いのどれにも決着が着くことが無い様子で、プレイヤーたちはむしろ、その永劫続く戦闘を楽しんでいる節すらあった。

だが、

「俺はごめんだな」

「え、何が?」

「永遠に勝負がつかないだろ、そんなの」

「プレイヤー同士が戦えば、そうね」

「そんなの、何の意味があるんだよ」

「意味なんて無いんじゃない?」

「意味の無い世界に…何の意味があるんだよ…」

何故かヴァーツの声が泣きそうなほど小さくなった。フウカが足を止め、ヴァーツの肩に触れる。労わるような心配そうな瞳で、ヴァーツの顔を覗き込んだ。

「ヴァーツ? どうしたの」

何かをかみ締めるような苦々しい顔になったヴァーツは、ぐっと瞳を瞑ってぶんぶんと頭を振った。

「別に」

ヴァーツの様子にフウカが、しばらくの間怪訝そうにその顔を見つめていた。その視線を受けて、気まずげにヴァーツは瞳を逸らしフウカを促す。歩みを進める先に視線を向けると、少しばかり場所が開けた。先ほどまでの雰囲気を忘れ、2人は思わず顔を見合わせる。

「どこかに出たみたい?」

「だな」

開けた景色に2人が駆けると、それほど時間を掛けずに橋が見えてきた。その傍らに片方の道を指し示す標識が出ている。標識がある…ということは、こちらの方向に何かしらある…ということだろう。その何か…が、何であるのか。やっとたどり着きそうな、「どこか」へと、自然と足が速まった。

****

「女はいないのかよ、女は。こう、出てるとこが出てる女は」

「贅沢だな。そもそも人がいるだけマシなんじゃないか」

きょろきょろとあたりを見回すセタに、顔を隠すほど深いフードの下から呆れたような声で答えたのはルイスだ。2人は先ほど辿りついたばかりの集落を、ひとしきり眺める。それほど豊かな街ではない。…と言っても、比較対象になるような別の場所を見たことがあるわけではなかったから、そういった印象を持った…というだけだ。木造の家が数件。人は居ない。

1件の建屋に看板が出ていた。看板の様相から見て宿屋兼酒場のようだ。ルイスとセタは、どちらからともなく歩みを進める。先にたどり着いたセタが扉に手を掛けようとして、少しだけ中をうかがっているようだ。ルイスも隣で少し、耳を澄ませてみる。中からは数名の男女の声が聞こえた。

セタが扉を開いた。

もちろん、何の苦も無く、木製の扉は独特のギィという音を立てて向こう側へと開く。

セタの身体越しにルイスが中を覗くと、今まで何事か話していただろう数人の客がこちらを見ていた。当然の反応だ。話し声が静まり、新たな客とこれまでの客との間に、奇妙な沈黙が落ちる。その沈黙を破るように、ルイスがセタに言った。

「女性がいるじゃないか、よかったな、セタ」

「ああ? 乳くさそうなのが1人と、説教くさそうなのが1人だけじゃねーか」

「だから、贅沢だと言ってるだろ…」

ルイスはやれやれと頭を振った。セタが室内に歩みを進めようと一歩踏み出すと、先ほどの会話を聞いて憤慨したのか、ひとりのエルフの少女が前に出てきた。腰に手を当てて、ふんぞり返ってセタを見上げる。

「ちょっと、あなた。初対面なのに、失礼じゃない?」

「何が?」

「何が…って。私、子供じゃないわよ」

「子供だろ」

「子供じゃない。そういうこと言う方が、子供なんだから」

「ああん? なんだと?」

エルフの少女の必死の訴えに比べて、セタは言いながらも余裕の表情で楽しげに笑っている。どうやらこのやり取りを楽しんでいるようだ。ふ…と笑って、エルフの少女の綺麗な金髪を撫でてくしゃくしゃにすると、「もーーうーーーやーめーてーよー!」という抗議の声が上がる。その声を聞きながら、セタは窓際の端の席に座った。ルイスも悠然とセタの向かいに座り、同じ卓に着く。

そこに、灰色のドレスに身を包んだ女性がやってきて、柔らかく微笑んだ。

「貴方がたは?」

小さく首を傾げた仕草にセタの瞳が物騒に細まる。笑みの気配を消し、舐めるようにその姿に視線を向けている。何も答えないセタの様子を見たからか、女性が座っていた席と同じ卓に着いていたラズが、遠慮がちに女性の隣に並んだ。

「あの…ぼく、えーっと、僕は、ラズ。こちらはユリアナ」

「私はルイス。この男はセタ…だ」

セタが何かを言う前に、静かで落ち着いたルイスの声が答えた。フードで顔は見えないが、口調も声色も礼儀正しい。答えてくれたことにほっとしたのか、安堵したようにラズが頷いた。

「よろしく」

「ああ」

ルイスも頷きを返し、セタが肩を竦めて返答の代わりにする。ユリアナが席に戻り、ラズが心配そうにルイスとセタを伺った。

「あの、もしかして僕、何か変なことをしました?」

「いや。セタの態度のことだったら気にしなくていい。綺麗な女性を見て、舞い上がっているんだろう」

「余計なことを言うな、ルイス」

笑みを含めたルイスの声に、セタは舌打ちをして、不機嫌そうに他所を向いた。その様子に、くす…とラズが笑いを返して、カウンターを振り向く。

「それで、あっちがヴァーツ。僕たち…僕と、ユリアナが来たときには、ヴァーツ達が先に着いてたんだ」

「うあ?」

カウンターで何かしらむしゃむしゃ食べている少年剣士を振り返る。ルイスが背の高いラズの影から伺うように、カウンターの方向を見遣ると、椅子に座っている若い少年が振り向いた。

「おう、悪ぃ。今食事中。よろしくなー」

「食事もできるのか?」

「そうみたい。不思議だね。…ログアウトしたら、お腹いっぱいになってるのかな」

ルイス達が座っているすぐ近くの卓に腰掛けながら、ラズが不思議そうに頷いた。セタが腕を組みながら、背もたれに身体を預けて長い足を組む。

「酒とかは無いのかよ」

「あるみたいだぜ。おっさーん、酒だってよー」

ヴァーツがカウンターの奥に声を掛けると、ぎこちない動きの店主が出て来て「どのようなものを?」と静かに問う。どうやら、システムが用意したノンプレイヤーキャラクターのようだ。

「何があるんだ?」

「何でも」

「じゃあ、ボンベイ・サファイアをショットで。ルイス、お前は?」

「いきなりそんなものを飲むのか、セタ。…私は、炭酸で割ってくれ」

ジンの銘柄を指定した注文に、呆れながらもルイスが答えると、セタが、ヒュ…と口笛を吹いた。ユリアナやラズもめいめい、飲み物を店主に頼む。少しばかりざわついた店内の雰囲気が戻り、緊張した空気がほぐれた。

「なに、昼間っからジンなんて飲んでるのよ、アルちゅーーーーー!!」

「うるさいな、ガキ」

そこに飛んできたのは、エルフの少女だ。ラズが、あはは…と笑いながら、2人のやり取りを見遣る。

「この子は……」

「フウカよ!」

「ガキでいいだろ」

「もうーーー!」

フウカが、ぷうと頬を膨らませて見せたときに、飲み物が運ばれてきた。セタがその杯を浮かせると、ニ…と、人懐こい笑みを浮かべた。

「これで全部か? それじゃあ、祝杯といこうじゃないか」

「何に、乾杯を?」

頬杖をついたルイスが聞いた。「あー?」…と、顎を撫でて考えているセタに、ラズが薄い青い瞳をきらきら輝かせながら、笑って身を乗り出す。

「あ、あの、それだったら、すっごくありきたりだけど、みんなの出会いにっていうのは? こういうときって、そういうものに乾杯するんでしょう?」

「じゃあ、そいつに」

ラズの提案にセタも乗る。それぞれが杯を取って、ヴァーツは自分の食べている皿を持ち上げる。
乾杯…!という言葉と、それが生み出す距離感は、どこの世界でもいつの時代も同じのようだ。

少しだけ和らいだ空気と独特の雰囲気が、この異世界の酒場にもまた降りたのだった。