少し道から外れた場所に、大きな岩がいくつも積み重なった場所がある。その岩を囲むように大きな樹が根を張り、根が絡みついた岩は長年風雨に晒された様子に程よく朽ちていた。その岩と岩の間に、木の板を適当に打ち合わせただけのような簡素な扉がついている。
その岩を、2人の人物が覗いていた。
1人は黒い装いのエルフの青年。もう1人は、風変わりな鎧に身を包んだ少年だ。
「ねえ、ヴァーツ」
「おう」
ヴァーツがラズに促されて、そっと木の扉に手を掛ける。樹齢何年なのかなど、最早関係ないほど古い樹に囲まれた岩。その岩に囲まれた簡素な木の板。もちろん、普段はトキオという都会に住まっている2人が見たことも無い、それはどこかへと続く入口のようだった。ただの扉であっても、2人にとっては未知のものに違いない。未知の扉は、キィと平凡な音を立てて簡単に開いた。
扉の向こうは洞窟のようだ。岩とも土ともつかない壁と地面が、少しだけ下って2人を闇へと誘っている。奥へ目を凝らしたが、明かりの無い今は何も見えなかった。
ラズとヴァーツは顔を見合わせた。
「…洞窟、かな?」
「洞窟、だな」
「どうする?」
「うーん…」
どうする?…と聞かれたヴァーツは覗き込んでいた体勢を整えて、腕を組んだ。ラズが首をかしげて、ヴァーツの言葉を待っている。ヴァーツは、そんなラズをちらりと見上げた。
「ここは、相談。だろう」
「だよね」
「明かりとか、マップとか、そういうの俺たぶん苦手」
「そっか、そういう準備が必要なんだ」
「イメージできれば何とかなるだろ、…ってセタ辺りは言いそうだけどな」
「でも、それならルイスやユリアナが居たほうがいいかも…」
「ああ。それに俺らだけで行ったら、フウカがまた怒るだろ」
ヴァーツの言葉にくすくすとラズが笑った。少しだけ高い位置にある顔を下ろして、ヴァーツを覗き込む。ラズは、背が高くて姿形は大人っぽいのに、その目は随分と無邪気で子供っぽい。その無邪気な瞳が、ヴァーツをからかうように首を傾げる。
「フウカ、かわいいよね」
「はあ? なんだそれ、どういう意味…」
「別に。戻ろっか」
ラズはあはは…と笑いながら、洞窟への木の扉を閉めた。あからさまにからかわれている気配を感じて、ヴァーツが不機嫌な顔を向ける。しかし、そんなヴァーツの視線もどこ吹く風と受け止めて、ラズは「さあ、行こうよ」と背を向けた。さっさと戻ろうとするラズの背中を追いかけながら、ヴァーツが声を荒げる。
「おい、だからどういう意味だってば」
「別に、どういう意味でもないってば」
「おい、ラズ!」
フウカが可愛い? …顔だけだろ、あんなやつ。戦闘も出来ないのに口だけは達者。冒険者などととても言えないひらひらした服装で、まるでリーダーのように振舞う。外見年齢の割に妙にいろんなことを知っているし、言っていることが適切だ…というのは認めるが、からかうような年上めいた表情で自分を見てくるのが、なんだか落ち着かないのだ。
だが、気にしている風に振舞うのも癪に障る。ヴァーツはラズに突っかかるのをやめて、ふん…と鼻を鳴らした。
ヴァーツが隣に並んだのを見て、ラズも歩調を緩める。くすくす笑いを引っ込めて、今度は優しい眼差しでヴァーツを見下ろした。その視線に気付いて、ふたたびヴァーツはむっとする。
「あ? なんだよ。まだ何かあるのかよ」
「ヴァーツってさ、ちょっとちっちゃいね」
「あーーーーくそ、お前なあ!」
もっと背を高く設定しておけばよかったと、その一言に心底悔しがりながら盛大に顔をしかめる。
「ラズはひょろいだけだろ。俺は素早さを生かした剣士だから、この高さでいーんだよ!」
この世界に初めてログインした時、一番最初にしたことがそれぞれの外見を設定したことだ。素早さを生かして…などと言ってしまったが、ヴァーツは非常に一般的な少年を何のアレンジも加えずに選んでしまった。一方ラズはエルフの若い男を選び、背をかなり高く設定したようだ。しかも魔法が得意な種族のクセに魔法を使わずに弓を使っている。髪の色もエルフの初期値は金髪だったが、真っ黒にしていた。
そのラズが、くすくす笑って肩を竦める。
「それを言うなら僕は狩人だもの。…あ、でも狩人だから背が高いほうが狙いやすいかなって思ったんだけど、こっそり狙うなら背が低いほうがよかったのかな?」
「つーか、お前エルフにしては背ぇ高すぎ」
「そうなんだ?」
ラズは自分の頭に手の平を置いて、ひらひらとかざしながら首を傾げる。
「俺のイメージは、エルフってのは小柄で華奢なイメージだな」
「フウカみたいに?」
「だーかーら、なんでここでフウカが出て来るんだよ!」
「あはは」
ラズにからかわれたのは面白くは無かったが、おかしな事に悪い気分ではない。「あーもー、早く行くぞ、早く!」そう言いながら、ヴァーツはラズと共に街へと急いだ。
今日もまた、例の酒場に全員集まっているはずだ。
****
歩いてみると、街と洞窟までの距離はラズとヴァーツが歩いて10分ほどの位置だった。なんとも狭い世界である。しかしログイン時間はたったの3時間だ。時間が限られていることを考えると、今日は相談して終わりという気がする。
街があれば人も集まる…ということではあるが、世界にたった数人しか居ない現状で、誰が何を言うことも無く6人にはなんとなく連帯意識というか仲間意識というものが生まれていた。ひとつところに集まり、同じように行動する…という意識だ。一匹狼色が強く見えるセタや、何を考えているのか分からないルイスでさえ、それは例外ではない。
そんな中で、皆が集まる場所は大概ひとつだ。全員が初めて揃った場所、酒場である。
ラズとヴァーツが街に戻り酒場を覗いてみると、案の定全員が集まっていた。
ルイスとユリアナが杖を引き寄せて何事かを話しており、セタが足元にじゃれつくフウカを適当にあしらっていた。ルイスとユリアナは仲がよく、いつも魔法のイメージ方法を話し合っている。セタはルイスとユリアナが一緒にいるときはほとんど話しかけず、フウカの相手をしていた。
6人で何度か戦闘も試した。モンスターとのエンカウント、そしてプレイヤー同士の手合わせだ。
フウカは別として、ヴァーツが剣、セタがバトルナイフを用いた格闘と銃、ラズが弓、ルイスが氷結魔法、そしてユリアナが防御系の魔法を得意としていた。…得意、といっても恐らく、各々がイメージしやすい戦闘方法ということだろう。魔法などに決まった呪文や名称があるわけではない。ルイスの話しによれば、空気中の水分が凍れば氷の矢になるんじゃないか…と思ってイメージしたらしいが、セタの話しによれば「この世界の空気に水分があるかどうか疑わしいだろ」ということだった。ラズの弓に関しても、当然弓矢など撃ったことなども無いらしかったが、自分が「かっこよく弓を引いているところ」をイメージしているのだという。
「あこがれだったんだ。エルフが弓をかっこよく撃ってる姿」
そういって、いつもの笑顔であははと笑う。
ヴァーツだってそれをバカには出来ない。ヴァーツなど、かっこいい戦闘といえば勇者だろ…という単純なイメージだ。動きも派手で分かりやすい。剣を振る、大げさによける。盾になる。…そんな大雑把な動きだったが、ちゃんと様になっているのがこの世界だった。自分が強くなり、美しい動きをしているのではないかと錯覚する。
ただ、セタだけは違った。素人のヴァーツやラズから見ても、その動きは自然で戦闘的だ。無駄の無い均整の取れた動きで敵の喉下を抉り、足元を掬い、銃で頭を打ち抜く。余程イメージが豊富か、もしくは、彼の動きそのものなのだろう。
これらのアクションを受け取るのもまたプレイヤーなのだが、それもイメージが重要となる。つまり、攻撃を受けるか、避けるか…の選択だ。
そういった世界での自分達のアクションは、脳内で確かに「選択」「実行」という時間感覚があるのだが、実際のタイムラグはほとんど生まれない。最初は戸惑ったが、徐々にそういったタイミングにも慣れてくる。戦闘の一瞬一瞬が、切り取ったフィルムのようだった。
また、イメージが追いつかずに怪我をしてしまうこともごくまれにあった。特に戦闘に慣れない初期の頃は多かった。
その時は、ユリアナが回復魔法と称して魔法を掛けてくれる。癒しの魔法を受け取れば怪我が治る、傷が塞がる…とユリアナから言われてそれを己にイメージすれば、不思議なことに傷が塞がるのだ。つまり、この時は攻撃を避ける…のとは反対に、癒しの魔法を受け取る…という行動をイメージするわけだ。
ちなみに怪我をしても血は出るが痛みは無かった。フィードバックを抑制している…というのは本当なのだろう。もっともかすり傷程度しか負った事が無いから、それほど深刻には考えていなかったのだけれども。
エクスの世界が始まったばかりの何日間は、そうした話し合いをしたり実際に試してみたり…という時間を過ごして終わった。徐々にイメージの使い方にも慣れ、戦闘の方法も分かってくる。セタはこうした戦闘の、いわば練習を好まなかったが、ヴァーツが剣を教えてくれとねだれば、面倒だといいながらも教えてくれた。そんなセタの様子はルイスいわく、「楽しそうだ」ということだし、ユリアナいわく、「兄弟みたいね」…ということらしい。
方法が分かれば試したいと思うのが人の子というものだ。
とりあえず、ラズとヴァーツが腕試しに街の周辺を探索することになったのだ。…セタが面倒くさがり、ルイスはセタに付きあって酒場に残り、ユリアナはルイスが残るなら魔法について話したい…と出かけるのを取り止めて、フウカは多数決で多い方に付いた。結果この2人が行くことになった。
最初に帰還した2人を見つけたのはフウカだ。丁度、フウカはセタに軽く足蹴にされてムッとしながら、ユリアナに助けを求めてうろうろしていた時だった。ユリアナはどの仲間に対しても甘い。だから、フウカは自分の分が悪くなってきたらユリアナのもとに逃げるのだ。そこで話題が一旦切れたルイスも、フードから覗く整った口元を緩めている。
「ヴァーツ、ラズ! おかえりなさい! 何か面白いものあった?」
フウカがヴァーツとラズの足元に纏わりつくように駆けてきて2人を見上げると、ヴァーツは「おう」と一言だけ言って、ラズは笑って「ただいま」と答える。ユリアナがすっと動いて、カウンターのノンプレイヤーキャラクターに冷たい飲み物を2つ頼み、真ん中の席へ場所を空けた。
「何か面白いものはありましたか?」
フウカと同じように、再度訊ねるユリアナにヴァーツが少し顔を赤くする。このような妙齢ともいえる女性に話しかけられるのは苦手だ。反面、ラズはどのような人間ともすぐに仲良くなるし、親しげに話す。そういうわけで問いに答えたのは、ラズだった。
「洞窟を見つけたんだよ。ね、ヴァーツ」
「ああ」
ヴァーツは酒場のマスターが運んできた飲み物を口に含んで、一心地ついてから頷いた。
「うろうろしてて時間かかったけど、洞窟までこっから10分くらい歩いたところだった。道も一本。…実際、あんなのあったっけ?って感じだったけど」
「どの道だ?」
問う声はルイスのものだ。いつもはほとんどこういった会話に混ざらない。フードで顔を隠していて、何を考えているのかも分かりにくい。ただ、ユリアナとは仲がよいし、面倒見も悪くは無かった。いつも仲間のことを気に掛けていて優しい動きをする。フウカが足を滑らせてしまいそうになると、必ずその背を支えるし、セタと剣を稽古をしてヴァーツが転倒すれば、いいタイミングで手を貸す。ひどい怪我などするはずがないのに。
ルイスが珍しく興味を持って問うた様子に、セタが視線を移した。面白そうに口元を歪める。
そんな各々の表情を見遣りながら、ヴァーツは、ギ…と椅子の背もたれに体重を預けた。自分の発言に興味を持たれて、注目を集めるのはいい気分だ。少しばかり身を乗り出して、楽しそうに皆を誘う。
「西の道。俺らが来た道じゃないほうの道だ」
「ねえ、冒険の予感かしら」
フウカの声がはしゃぐ。ヴァーツとラズが座っているテーブルに肘をついて、何かを期待する顔だった。
「冒険ねえ」
やれやれ…という雰囲気でセタが肩をすくめる。
「ルイス、お前はどうするんだ?」
「私? 私は、行くさ」
「へえ」
「わざわざ洞窟があるということは、運営側が何かを用意しているか、させたいことがあるんだろう」
ルイスの声にユリアナが瞳を細める。小さく笑んで、優雅な所作で首を傾げた。
「皆様が行くのでしたら、私も行きますわ」
セタが一瞬表情を鋭くして、眉根を寄せた。ラズとヴァーツが同時にセタに視線を向けて、行くのか行かないのかを問う。その視線に促されて、セタは渋々と言った風に口を開いた。
「別に俺はどっちでもいいがな」
「よっし、決まりな」
ニ…とヴァーツはラズと顔を見合わせて笑った。フウカが、ぱちぱちと拍手する。
「全員で、最初の冒険じゃない?」
「ってか、お前も来るのかよ」
「当たり前でしょう!」
バカにされたような口調に、相変わらずぷうっと頬を膨らませて、フウカはヴァーツに抗議を示した。その表情に、ヴァーツも、いーっと歯を剥いた子供っぽい表情をしてみせる。まあ、何をどう言ったってフウカは着いてくるに決まっているのだ。
こうして6人が最初に行動する指針が決まった。
洞窟の探索である。