「ヴァーツ、しゃがんで!」
ラズの声にヴァーツが頭を低くする。同時に、その頭の上を風が切った。さらに続く、魔物の悲鳴。眼前には喉元に矢を受けて、耳障りな悲鳴を上げている腐乱死体――人間が腐ってしまったような化け物だがあまり現実味がない――が喉をかきむしっている。受けた矢を抜こうとしているが、知能があまり高くないのか簡単には抜けないようだ。その暴れている隙に、しゃがんだヴァーツが足払いをかけてグールの身体を転倒させる。素早く立ち上がると、剣を逆手に持ってグールの胸に付きたてた。足で身体を踏んですぐさま剣を抜き、さらに持ち替え、振るう一閃でグールの首を狙う。その閃が引かれたと思った瞬間、さらさらと光の粉になってその死体が消えた。
キ…と冷たい風が吹く。
ヴァーツが視線を向けると、3体のグールが襲い掛かろうとしたままの姿勢で凍っている。凍っている…と認識した瞬間、低い銃声が3つ響き、さらに鈴の音が鳴るような綺麗な音が追いかけた。ルイスの魔法で凍ったグールの身体を、セタの銃が撃って破壊したのだろう。音は、氷が割れるような音だ。弾丸は凍ったグールの身体を砕き、ガラスの像が崩れ落ちるように光の粉になって消えていく。
「大丈夫ですか?」
2つの戦闘から少し外れたところで、フウカを庇っていたユリアナが声を掛けた。ルイスがその声に小さく頷きを返す。
「大丈夫だ」
「余裕」
その言葉通り余裕の声で、ヴァーツは剣を腰の鞘に収めた。ラズもにっこり笑って「フウカは大丈夫だった?」と声を掛けている。いくら戦闘が余裕だといっても、緊張感は常の事だ。今は敵を倒した余韻で心地よく高揚し、心地よく安堵していた。そんな雰囲気の中、グールが倒された後の光の粉を視線で追いかけているルイスに、セタが咎めるように絡んだ。
「おい、ルイス」
「ん? 何だ、セタ」
「お前、いっつも避ける動作が甘い」
「は?」
「ギリギリで避けてるだろう。もっと余裕もって避けろ」
「なぜ? ギリギリで避けようと余裕を持とうと、関係ないはずだろう?」
「そうじゃない」
「セタらしくないな。何をそんなに怒っているんだ」
「別に怒ってはいない。避ける動作が無駄になるだけだ」
何の話をしているのか。ヴァーツが首を傾げて怪訝そうに見やると、チッ…と舌打ちしてセタは銃を腰に納めた。その視線にルイスも気付き、ヴァーツに向かって肩を竦める。セタが不機嫌な声になることはほとんど無いので珍しく、思わず視線を向けてしまったが、ルイスのその態度からなんとなく追求する気も削がれた。
小さな沈黙が落ちたが、それが気まずいものになる前にフウカが明るく言う。
「ねえ、みんな大丈夫だった? 先に行きましょう」
「お前、何仕切ってんだよ」
「いいじゃん、細かいこと気にしないー」
「フウカ、先に行ってはいけないわ」
前に出ようとするフウカをユリアナが押さえる。ぶつぶつ言いながらもヴァーツが前に出ようとしたが、その肩を不機嫌そうに引かせてセタが前に出た。後を追うようにルイスが続く。ルイスはヴァーツとすれ違い様、苦笑を浮かべた口元を見せて頷いた。何故だかずいぶんと、セタの機嫌が悪いようだ。ルイスはそのことを、あまり気にするな…と言っているのだろう。ヴァーツも先ほどのルイスと同じように肩を竦めて見せると、ラズに頷いて隊列の一番後ろに下がった。
セタとルイスが前、ラズとヴァーツが後ろに位置を取ってユリアナとフウカを挟み、前に進む。
6人は、先日ラズとヴァーツが見つけた洞窟の前でログアウトし、翌日のログインで早速内部を探索していた。ユリアナとルイスが魔法で明かりを作り、それを元に奥へ進む。マップを作ったほうがいいか…と問うヴァーツに対して、複雑な分岐が出てきたら考えたらいい、とセタが答えた。今のところ複雑な分岐は無い。一本の道に、幾つかの部屋が枝分かれしている風で、特に迷うことなく奥へ進んでいる。
不意にセタが止まって片手を挙げた。止まった列にヴァーツが後ろの方から覗くと、同じようにセタの肩越しにルイスが前方を覗いている。
「圧力板だな」
「またか」
セタの前にあるのは人が乗ったら反応する罠だ。先ほども、ロープを足で引っ掛けたら作動する罠があったのだが、やはりセタが事前に発見してくれたおかげで難を逃れた。
「解除するのですか?」
「……」
ユリアナの疑問符に、セタが少し沈黙する。常よりも鋭い視線で、ユリアナをちらりと見て、その視線を周囲に滑らせた。
「セタ?」
「周りに何があるか確認してからだ」
首を傾げたフウカにセタが答えて視線を外した。罠の様子を見ようと動いたフウカをユリアナが抱き寄せるように止め、皆がそれ以上前に出ないようにとルイスが杖で動線を塞ぐ。
全員が、きょろきょろと周辺を見渡した。
「おい、セタ」
ヴァーツが視線を上に向ける。それにあわせて全員が視線を動かすと、天井が少し外に向かって空洞になっており、灰色の木の板で岩が崩れないように止めていた。見たところ、それ以外の特殊な作りになっている箇所は無い。恐らく、板を踏むと岩が崩れ落ちてくる仕組みになっているのだろう。
「罠は解除しないほうがいいっぽい?」
「ああ」
ラズの声にセタが頷き、圧力板を踏まないように進み始めた。ルイスらの後続する人間も、同じように板を避けて歩く。最後にラズとヴァーツが歩こうとしたときだ。
「危ない、ラズ!」
ユリアナが声を荒げて、ラズを引き寄せた。同時に轟音を響かせて岩が転がり落ち、咄嗟にヴァーツがラズの身体を押し、バランスを崩した3人をルイスが抱えるように支える。さすがに大人3人の身体は重かったが、セタも手を貸して大事には至らなかった。だが、岩が崩れた通路は塞がれてしまった。
「おいおい、気をつけろ」
「ご、めん」
セタが眉をひそめて注意する。腑に落ちない様子でラズが謝った。「ラズ、大丈夫?」と心配そうなフウカに、弱い笑みを返して頷く。
「ラズ、踏んでしまったのか?」
「…いや、足元には何も感じなかったけど……ちょっと自信無い」
「何も感じなかった? 踏まなかったということか?」
ルイスもまた腑に落ちない様子でラズを振り向いたが、自信無さげに首を振った。
「分からない、ごめん」
「大丈夫です、ラズ。私も踏んでも気づかないかもしれません」
しょんぼりと声を落としたラズを、元気付けるようにユリアナが肩を叩いた。あると知っていた罠がどうして作動したのか、全員がなんとなく納得できないままだたったが、すぐにラズは気を取り直した。
「ユリアナ、ありがとう」
「いいえ。ラズが無事でよかった。…でも、通路は塞がれてしまいましたね」
ユリアナの言葉に、全員が塞がれた通路に目を向けた。そこは落ちてきた岩で通路が塞がれ戻ることは出来なさそうだ。一瞬の沈黙が、もしかしたら後戻りできないかもしれない…という焦りを表したようだったが、それを打ち消したのはフウカの声だった。
「大丈夫よ」
「お前さ、何をのんきに…」
「罠を用意してるってことはそれが作動してしまったことのことも考えてるでしょう。進んでいけば、別の出口が用意されてるんじゃない? 運営もそこまでバカじゃないわよ」
なるほど…とヴァーツが唸る。忘れかけていたが、ここは現実の世界ではない。運営者が存在する仮初の世界だ。その運営が用意した洞窟で閉じ込められる…ということは無いだろうし、万が一そんなことが起こっても、救済措置が無いはずがないのだ。
その場を取り仕切るフウカをセタが胡散臭そうに見ていたが、やがて緩い口調で促した。
「雑談終わったか? いくぜ。前に進めばなんかあるだろうよ」
全員がその言葉に頷き、列を整えて再び前を進み始めた。
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「今みたいなトラップってさ、…当たるとどうなっちゃうのかな」
しばらく歩いたところで、ぽつりとラズが呟いた。「今みたいな」というのは岩の崩落のことだろう。
「敵の攻撃と一緒で、当たらなければいいんじゃない?」
フウカがなんでもないことのように、答える。その続きを引き取ったのは、ルイスだ。
「その『当たらなければ』というのが腑に落ちない」
「ああ?」
セタが片方の眉を上げて、怪訝そうにルイスを見た。少し歩調を緩める。
「そもそも、避ける動作まで実現される…というのが、腑に落ちないんだ」
「どういう意味だ?」
セタに促されるように、珍しくルイスが長く言葉を続ける。
「避けるとか避けないとか、実際は不可抗力も左右されるだろう。それなのにイメージだけで行動結果が反映される」
「俺たちの考えるイメージ…意識の行動が、この世界で具現化される度合いが高い…ってことだな」
「それならば、なぜ無茶苦茶な状況にはならない?」
無茶苦茶な状況…たとえば、何もされていないのに指が逆に曲がる…とか、空を飛べる…とか。そう言うと、セタが足を止めて、腕を組んでルイスを見下ろした。
「無茶苦茶な状況にはならんだろ」
「なぜ、そういえる?」
「矛盾する。…何も無いのに指が曲がることは、普通無い。普通は何かにぶつかって骨が折れたり、魔法か何かで骨が無くなったり…っていう理由があって、初めてそういう事象が起こる…と人間ってのは知ってる。逆説的にいえば、どういう理由であれ、矛盾が生まれない事象をイメージが出来れば、実現されるってことだな」
「それなら魔法は? 魔法なんて、通常ありえる力じゃない」
「通常ありえる力じゃないが、最近は映画だのゲームだので、人間ってのは、まるでそれが本当にそこにあるかのように夢見るだろう」
セタの言葉にルイスが「夢見る…か」…と、まるで何か…そこに大切なものでもあるかのようにつぶやいた。僅かの間、静寂が訪れる。その沈黙に気づいたのか、ふ…とルイスがため息を吐くように言った。
「詳しいな」
「あー? …いろいろ試したからな」
そう言って瞳を物騒に細めたが、すぐにいつもの飄々とした笑みを口元に浮かべて肩を竦める。誤魔化しているようだが、追求するほど大人気ない者も居ない。ルイスはまだ少し考え込んでいるようで、セタがそれを面白そうに見下ろしている。
話はまだ終わっていないようだ。ルイスは続ける。
「だが、イメージしてからそれが実現するまで、人間っていうのはタイムラグがあるはずだろう。無意識とは訳が違う」
「やけにからむな、ルイス」
ニヤ…と笑って、セタが顎を撫でる。
「タイムラグ…は、あるだろう。だが、それがどうした。こちらの時間の進み具合と、向こうの時間の進み具合が同じだなんて誰が言った?」
その言葉に全員が、セタを注視した。
「え?」
「おい、それってどういう意味だよ」
少しばかり休憩の姿勢を取っていたヴァーツが弾かれたように身体を起こし、セタの正面に立つ。ルイスよりもさらに背の低いヴァーツに、ニヤリ…と笑ってみせ、再び腕を組んだ。首を回して、肩を鳴らす。
「この世界に俺たちの肉体は無い。イメージだけの世界だ」
「つまり、感覚だけの世界ってこと。自分が感じる時間感覚と、世界から与えられる時間感覚と、…そして実際の時間は、多少ずれるわよ」
何故かフウカがセタの言葉に補足する。何事かを考えていたラズが、不思議そうに問う。
「いつのまにか時間が経ってた…みたいなことが、起きるってこと?」
「そう、ラズってば! 理解力いいわね」
ラズよりも随分年下に見えるフウカが、まるで年上の教師であるかのように盛大に褒めた。不思議そうな表情の全員に少しだけ視線を回し、ふっ…とセタが笑う。
「こちらの3時間と向こうで目覚めた時間は、少しだがずれていたはずだ。気付かなかったか?」
「ちょっと待て」
並んでいたルイスが、不敵なセタの顔をまじまじと見上げる。表情は見えないが、恐らく眉をひそめているか、怪訝そうな顔をしているのだろう。
「こちらの3時間が向こうの10年っていうのもあり得るのか?」
「極端なことを言えばそういうことだ。だがな、それくらいの乖離があると…」
「…皆さん、静かに…」
ルイスとセタの会話を破ったのは、切羽詰ったようなユリアナの声だ。その視線は洞窟の奥へと向けられ、尋常ではない気配が漂っている。「ああん?」…と、不機嫌そうな表情で、セタが身体を起こした。ルイスも杖を引き寄せ、ラズが背の矢筒に手を伸ばす。ヴァーツはフウカを下がらせ、ユリアナがそれを引き受けた。
「この奥に、何かいるってことか」
「そういうことだな」
セタとヴァーツが声を低くした。
だが、周辺の洞窟の気配と、冒険者風の全員の装いとは対極を為す機械的な女性の声が響く。
『ログアウトの時間です。エクスに残っているプレイヤーは後10分で強制ログアウトとなります。繰り返します。ログアウトの時間です』
別に上から聞こえている…というわけではなかったが、その声を聞くようにセタが上を向く。セタだけではなく、その場にいる全員がきょろきょろと上を向いていた。ユリアナがふう…と溜息を付いた。
「時間…ですね」
ユリアナの言葉にヴァーツとラズが頷いて武器を収めた。ルイスとセタは前方を睨みながらも、それ以上前に出るつもりは無いようだ。フウカが「つまんない」…と言った言葉が最後。
視界が崩れるように溶けて、世界と意識が切り離された。