aix story

011.outside:記憶・社長室・病院

「お前が……お前らのような研究が、……私の息子を殺したんだ」

「――――!」

「死ね! 死んでくれ……!!」

狂ったように叫ぶ壮年の男がナイフを持って飛び込んでくる。それを向けられた車椅子の人間の前に、別の人間が割り込んだ。

身体のぶつかる音と、ぐ……と、くぐもった声が響く。割り込んだ人間の身体が嘘のようにくの字に折れ、ぽたりと朱が地面に落ちた。

ナイフを持った男はただちに取り押さえられ、引き剥がされる。刺された人間が腹を押さえてどうと倒れ込んだ。その傍らに、本当は刺されるはずだった人間が車椅子から転げ落ちて這い寄る。倒れた人の肩を掴み、悲痛な声で泣き叫んだ。

どうして、どうしてどうしてどうして!!

死なないでよ……! 死ぬのは私だったはずなのに、どうしてよ!

どうして! どうして私なんかかばったの!

貴方が居なければ研究の意味なんて無いのに

どうして……

****

メロヴィング・カンパニーの社長室。柔らかな設えの執務椅子に身体を預けていた男が、静かに目を開けた。

「夢……」

ち…と舌打ちして身体を起こし、眼鏡を外して鼻筋をぎりぎりと揉む。嫌な夢を見た。それもただの夢ではなく過去に実際にあったことだ。自分もその場に居合わせた。そして思い知らされたのだ。自分がいかに無力で、どれほどあがいてもあの男に敵わないことを。

あれはルーノ研究所で10年ほど前に起きた傷害事件だ。当時、最も問題になっていた[death due to sensory feedback](感覚的フィードバックによる死)の原因である、ヴァーチャルリアリティによる感覚体験。当時その分野で最も研究が進んでいた研究所がルーノ研究所で、[death due to sensory feedback]を助長させる研究だとして、社会から受ける批判は痛烈だった。多くの会社がリアリズムを求めない感覚体験へと移行していく中、ルーノ研究所は頑なにリアリティと安全性の競合を求めていたが、それでも多くのスポンサーから援助を打ち切られてしまっていた。そこに、あの事件が起きた。

[death due to sensory feedback]によって死亡した息子を持った父親が、その恨みで研究員を狙った傷害事件を起こしたのだ。研究員は無事だったが、それを庇った人間が1人意識不明の重体に陥り、その後、亡くなった。

この事件をきっかけにルーノ研究所は閉鎖されることになり、志半ばの研究を残して仲間は散り散りになったのだ。

その研究を再び形にしたのがこの男だ。メロヴィング・カンパニーを立ち上げ、小さいながら、もまずはリアリズムの少ないヴァーチャルリアリティ技術を提供して力を構築し、そして今のサービスを立ち上げた。現在も安全性を疑問視する団体から抗議は相次いでいるが、より高度なリアリズムを追求する意欲は評価されていた。エクスのサービスは、テスト中の現在でも既にネットワーク上の話題をさらい、他の会社から問い合わせも殺到している。

もっとも、このサービスの成功は利権を得ることではない。

この研究の成就を最初に望んだ人間の願いを叶えるのが目的だ。

「それがどのような形になろうとも」

男がポツリとつぶやいて、眼鏡の位置を直した。

先日仕掛けた洞窟での出来事を思い出す。あれで仲間達の絆は深まったようだったが、腑に落ちない点もあった。報酬として設置しておいたのは懐中時計だけだったはずだ。だが、そこには短剣も置いてあった。誰が置いたのかは分かっている。「女王」だろう。だが、何の目的かは分からない。

ノックの音がした。入れ、という言葉に応答して扉が開く。手にトレイを持ち、珈琲を乗せて秘書が一礼を施した。

「そこへ」

美しい立ち居振る舞いの秘書が執務机に珈琲のカップを置いて、目礼する。出て行こうとする秘書を男が呼びとめた。

「取引は始められるかと思うか?」

振り向いた秘書がしばし男を見つめていたが、やがてゆっくりと頷いた。

「不確定要素は多いですが……仲間を分断させればあるいは。今までそうした出来事は無かったですから」

「ショックは大きい……か」

「特に、あの2人を一緒にすれば……女王の逆鱗に触れるような場面を、見せられるかもしれません」

「そして、そのショックは女王を復活させるか」

秘書の沈黙に肯定の意を汲み取る。男は少し考えて、やがて頷いた。やって失敗したとて痛くは無い。

「まあ、最初の実験としては悪くないだろう。実行しろ」

「かしこまりました」

秘書が出て行ったのを見送って、男は引き出しを開ける。そこにはいつもの通り写真が入っており、いつもの通りその写真を取る。数人の快活そうな笑顔。その中には若い自分も、そして夢で見た人間も混じっていた。夢の中では苦悶に歪み絶望していた表情も、この時はまだ明るい。二度と開かなかったあの瞳も、まだ開いていた。

男の視線はゆっくりと写真をなぞっていく。ひとつはこの手に望むもの、もうひとつは忌々しい邪魔者だ。

「だがもう、邪魔者は居ない」

珈琲に手を伸ばし、口を付ける。男好みに入れられた酸味の少ない珈琲は、砂糖もミルクも入っていない苦いものだった。

****

「数値は特に問題ないようだね」

シロガネ・ヴィレッジの一室で、ルリカとその父親が、担当医とそしてもう1人、医者ではない男と向き合っている。

「それはよかった」

「安定しているのが現状で一番重要なことです。例の効果が現れるのは、足を取り付けてからとういうことになる」

「今はこの実験が、身体的にも精神的にも、健康に無害であるということが重要です」

医者と、医者ではない男…メロヴィング・カンパニーの社長…が頷いた。ふと、社長が車椅子のルリカに視線を向ける。ルリカは知らない人間の前で人見知りをしていて、おどおどと父親と社長とを見比べた。

社長がその様子を見て瞳を和らげる。

「ルリカ君といったか。エクスの世界はどうだね? 特に無理はしていないかい?」

その言葉にルリカが顔を上げる。静かに、そっと頷いて肯定した。

「はい。その、楽しい、です」

「そうか、それはよかった」

本当によかった、という風に社長は笑って、ルリカの父親に目を向ける。ルリカの父親も社長に頷き返す。

「大変な当選率だったと聞くが、無理を言ってすまなかったね」

「いや、他ならぬダルトワの頼みならば、多少の融通はきかせるさ。それに、今回の実験にはとても注目している。ヴァーチャルリアリティからのフィードバックが、ルリカ君のような子の活動訓練になるか…というね」

有用性が証明されれば、人工現実の研究にもいい影響を与えるだろうと付け加えた。

ルリカのエクスへのログインは、父親であるガウイン・ダルトワがメロヴィング・カンパニーの社長であるジェイ・アルキスに通じて、融通してもらったものだ。融通してもらった…と言っても、勝手に応募していたルリカのダルトワ姓をアルキスが見て、アルキス自身からダルトワに打診したものだ。

アルキスとガウイン・ダルトワ自身とはそれほど交流があったわけではないが、ダルトワ家とは旧知だった。その縁を伝って、ガウイン・ダルトワに連絡を取ってきたのだ。

最初はルリカの主治医もいい顔をしなかったが、メロヴィング・カンパニーが提供するフィードバック情報とその安全性を説明し、何よりルリカ自身がその治療に対して前向きだったことと、ダルトワ家といういい意味でも悪い意味でも、富裕な顧客が相手だったために特別に許可をしたのだ。

ルリカがエクスの世界にログインする際、そのときにエクスから送られてくるルリカの生体情報やフィードバックする意識の波形は、常に医師団に対しても送られてくる。異常が無いかどうかをチェックし、通常運動をしているときの数値と普段のルリカの数値を比較しているのだ。今はまだその数値を積極的に何かに役立てることは無いが、ルリカがリハビリを行う際に真価を発揮するだろう。

アルキスは少し前に乗り出し、ルリカを覗きこむように首を傾げた。

「データを見せてもらっているが、安定しているようだ。走ったり、歩いたりに問題はないかい?」

「はい。…あの、最初は戸惑ったんですけど、今はもうすっかり慣れました」

「そうか、よかった。魔物もいるからね、びっくりしたのではないかと思って」

「あ、最初はびっくりしました。でも、皆が協力してくれて……」

ルリカの答えにアルキスは優しい笑顔で頷く。

「困った事があったら、いつでも言うんだよ。無理しないようにね」

「はい」

いつもは消極的で、家族以外とはあまり打ち解けないルリカがはにかみながらも受け答えている様子に、父であるガウインは少なからず驚いていた。

ガウインは目の前のアルキスを不躾にならない程度に観察する。

アルキスから連絡があったのは、エクスプレイヤーのαテスター募集が話題になった頃だ。ルリカをエクスのプレイヤーとして採用する代わりに、そのデータを医療分野に提供してくれないか、という申し出があった。正直アルキスは賛成できなかった。プレイヤーとして採用する代わりに……というが、それがルリカの情報と交換にするほど価値のあるものと思えなかったからだ。ただ、ルリカがどうしても参加したいと訴えた。これまで自分の病気のせいで家族にも周囲にも遠慮ばかりしてきたルリカが、何かを進んで望む…というのは珍しいことで、最後には頷いた。

アルキスは少し神経質そうな人間ではあったが、ルリカに対しては本当にその様子を心配しているようだった。実際、大事があってはいけないとデータの取得には万全の体制を敷いている。そのための設備などはアルキス自ら準備し、機器の設定もアルキス本人が設定していったほどだ。この実験が成功すれば、人工現実という技術が医療の分野で応用できる……というビジネスチャンスがつながる。そうした裏があることは分かっていた。しかし、活かせる道がルリカのような子供にとってもチャンスであるのだから、安全性さえ保証されていれば頑なに断る理由も無かった。

アルキスとダルトワ家には浅からぬ因縁がある。

ガウインには兄が1人と姉が1人存在する。どちらも故人だ。

そしてアルキスは、ガウインの姉の元同僚だった。ガウインの姉は、ルーノ研究所の2代目所長だったのである。