aix story

012.login :酒場

いつもの酒場で全員がたむろっている。あの洞窟の一件から特に大きなイベントも無く、また平坦な毎日だ。リアルな描写がウリの世界と言っても、正式なサービスではない。外に行けばモンスターは居るが、戦闘になったとてこちらの勝ちは見えている。つまり、少しばかり停滞していた。

少し遅れてログインしてきたのは、ルイスとユリアナだった。何事かを話しながら酒場の扉を開くと、中でたむろっていた皆がいっせいに視線を向ける。いつも気安いセタが珍しく不機嫌で、逆にフウカがご機嫌な様子だ。

「ルイス、ユリアナ、遅かったわね!」

楽しげに声を掛けたのもまたフウカだった。ルイスの表情は相変わらずフードに隠れていて見えず、ユリアナが代わりにゆるりと笑った。その笑みに、奥でヴァーツと談笑をしていたラズが気付いた。

「どうしたの、ユリアナ。とてもご機嫌だね」

言われてユリアナはふんわりとした笑顔のまま、首をかしげる。「そうかしら?」と言ったあと、やってきたフウカの頭をなでながら言葉を続ける。

「このあいだログアウトした場所に、ログインしたらちょうど魔物モンスター遭遇エンカウントしてしまったんだけど…」

「えっ、大丈夫だった?」

「もちろんよ、ルイスもいてくれたし。ね、ルイス」

「ああ」

対してルイスは相変わらずの愛想の無さでいつものように肩を竦める。セタが意味ありげな視線をあげて2人の様子をちらりとうかがい、ショットグラスをくい…と煽った。

「で、何かおもしろいものでも見つけたのかよ」

「おもしろいもの?」

セタとヴァーツが興味を惹かれたように次々と口を挟む。ユリアナはルイスのフードの下の表情と顔を見合わせると、小さく頷いた。

****

「これを」

ユリアナが一枚の地図を机の上に広げる。地図の端には「玉座の欠片」…とあった。東に1500、南に1600とある。

「単純に考えて、数字が進む距離だろうな」

椅子の背もたれ側に顎を乗せた行儀の悪い格好で、ふふんと得意気にヴァーツが指を指した。わあすごい、こういうのに詳しいんだね…とひとしきりラズが感嘆したところで、ふと首を傾げる。

「ねえ、でもどこから進むんだい?」

「そ、そこまで知るかよ!」

つまりはそこまで考えていなかったヴァーツが若干顔を赤くしながら、唇を尖らせた。確かに数字は書かれている。距離と方向も間違いないのだろうが、スタート地点が無い。調子に乗ったばかりで恥ずかしいのだろう、顔を赤くしたままのヴァーツに、くすくすとフウカが笑う。

「たーんじゅん、それにせっかちさんね、ヴァーツ」

「うるせえな」

子供たちのぎゃあぎゃあとした騒ぎは聞かず、セタが手を伸ばして地図を見た。壁に背を預けて皆の様子を見ていたルイスを振り向く。

「…ルイス、お前がログインしてきた場所はどこか分かるか?」

「場所?」

皆が一斉に静まってルイスの反応を待った。地図を見下ろしているルイスの表情は見えず、代わりにユリアナが地図の一点を指した。先日、皆で戦闘をした川の辺、二本の流れが出会う場所から少し離れた岩場だ。全員がそこでログアウトし、ユリアナとルイスは1時間ほど遅れてログインした。仲間は先に街に戻っており、後から二人がやってきたというわけだ。

最初にルイスがログインし、少し遅れてユリアナが入ってきた。もちろん合流し、街の方へ戻ろうということになった。そこで敵に遭遇したのである。

敵は空からで、上半身が裸の女の姿をした人面鳥ハーピーに狙われたものの、すぐさまルイスが氷の矢を放って撃退した。数は多かったが敵ではない。1匹1匹確実に仕留めていくと、最後の1匹の亡骸が小さな箱になったのだ。

「その箱に、入っていたのです」

ユリアナの説明にセタが面白くなさげな表情を浮かべ、紙を取り上げる。ルイスがそれを覗き込んだ。黙ってじっと地図を見つめているセタを、今度はルイスが覗き込む。

「セタ?」

「ん、ああ?」

「何か分かったのか?」

「お前は分からねえか?」

さきほどまで面白くもなさそうな表情だったくせに、今は楽しげに笑ってルイスを横目で見返す。その様子にルイスがむっとした口調で言い返した。

「地図は見慣れない」

「へえ」

相変わらず楽しげに、だがそれ以上は言葉を続けずに地図を机に戻すと、懐から投擲用スルーナイフの1本を抜く。先ほどユリアナが指差した場所に、それをトンと突き立てた。

「ここがルイスたちがログインした場所…つまり、お前らが前回ログアウトした場所だ。んでここが…」

言いながら、さらに2本目を抜いて別の箇所にも突き刺す。

「分かるか、ヴァーツ」

問われたヴァーツが、教師に指された生徒のような顔をして側に寄ってきた。むむ…と2本目のナイフが刺さっている場所を眺め、「ああ」と頷いた。

「街だろ、ここだ。俺とフウカが最初に会った川沿いから、こっちの方角だから」

「ご名答」

セタが顎をなでながらヴァーツに頷く。

「んじゃ、今日、ここまで歩いて来るのにどれくらいかかった?」

「あ、はい。はい。道はまっすぐで、20分くらいだね」

ラズが手を挙げてそれに応える。ちょっとした授業のような様相を呈した酒場で、フウカが生意気そうに顎を持ち上げて、ふうんとラズに笑い掛ける。

「へえ、ラズ、よく覚えていたわね」

「そうかな」

ヴァーツならしかめ面をするようなフウカの言葉にも、ラズは機嫌よく笑ってみせる。懐から先日皆で拾った時計を取り出して首を傾げた。

「せっかく時計をもらったから、時々見てたんだよ」

これには一同、なるほど…と頷いた。ヴァーツが、ちぇ…とつまらなさげに後ろ手に頭を抱える。

「俺も、見てたのに…文字盤見てなかった」

「文字盤見てなくて、何見てたのよ」

苦笑するフウカに、ヴァーツがうるせえな…と返す。2人のやり取りに、こんどこそ珍しくルイスが小さく吹き出した。フードから覗く笑みを象った口元に、ヴァーツがムキになる。

「なんだよルイスまで!」

「すまない…仲がよいなと思っただけだ。…で。セタ先生。20分くらいかかるから、どうなんだ?」

…口数の少ないルイスが珍しくセタをけしかける。ルイスはセタ相手にならば、よく憎まれ口を叩いているようだ。セタは、く…と口角を上げて油断ならない笑みになった。ナイフを刺した2点間を、つ…と指でたどって架空の直線を描く。

「ほぼまっすぐ歩いて、20分。大体1.4km位ってとこか。歩数にするとどれくらいだと思う?」

「身長によって違うだろう」

ルイスが腕を組んで答えた。セタは頷いて、身長170cmくらいで計算したらいいんじゃないかと付け加えた。

「大体、一歩70cmくらいね」

「え、そんなにあるんだ」

ユリアナの見解に、ラズが驚いたような声を上げた。ふうんと言いながら酒場の床をゆっくりと歩き始める。一歩踏み出して、その歩幅を確かめているようだ。そのような行動を取っているラズを横目に見ながら、むむ…と考え込んでいたたヴァーツが顔を上げた。

「うん。…分かんねえ」

「何それ」

散々考えて、「分からない」という回答を出したヴァーツに、フウカが呆れた表情を向ける。バカにされたように感じて、ヴァーツは唇を尖らせたが、次の瞬間には二ッと笑って全員を見渡した。

「つまりは、歩数がヒントなんだろ? じゃあ、実際に歩いてみりゃいんじゃね? 何のためのヴァーチャルだよ」

「それヴァーツらしい。僕もやってみたいよ」

「だろ? 結局、それが地図の目的なんだろうしな」

うきうきと腕まくりをするヴァーツをセタがまじまじと見つめていたが、やがてはあ…とため息を吐いてなぜかルイスの方を向いた。その視線に気付いて、ルイスが「なんだ」と首を傾げる。

「ルイス、てめぇは分かったよな?」

「大体2000歩くらい…というところまでは分かった。…セタの言いたいこともなんとなく分かるが、まあ…」

どうせやることはないんだし、行ってみてもいいんじゃないか?…と言って、ローブから覗く唇を綻ばせる。それが合図になった。椅子に座っていたものは立ち上がり、壁に背を預けていたものは身体を起こす。セタもやれやれと背を伸ばした。

まるで生徒を引率する教師のようだ。