通路はやはりどこか近代的で、洞窟という雰囲気ではない。どちらかというと、病院や研究所といったような雰囲気だ。匂いは無機質で、足音は硬く響く。
ユリアナ、ラズ、ヴァーツの3人は、3人になってしまった心細さからか無口だった。今までとて、全員がバラバラに行動することはあったし、協調性のあるメンバーというわけではなかったが、こうした全員の目的地がきまったところで別行動になるのは初めてだった。
「ルイス達、大丈夫かな、来られるかな」
「んー、多分セタがなんとかするだろ?」
「頼り甲斐がありそうですものね」
不安げなラズと対象的にヴァーツはのんびりしていたし、ユリアナもまたさほど気にはしていないようだった。2人ともここがヴァーチャルな世界だと分かっているからかもしれない。ラズはまだどこか、現実味を帯びている感覚に戸惑うのだけれど。
だが不安に思っていても仕方がないし、少なくとも自分が残るよりは、ルイスやセタが残っている方が頼りになるだろう。フウカもああ見えて自分よりはしっかりしているように思える。
悩んでいても仕方が無いと、だがどこか不安は心のすみに残したまま、気がつけば随分歩いていた。どれくらい歩いたのだろう。ふと懐に留めていた時計を取り出して時間を見てみると、歩き始めてから20分ほどが経過している。ログインしてから約1時間半。ごたごたしていたからか、随分と早く感じた。
「どこに続いてんだろうな。ずっと真っ直ぐだけど、方角的に…どっちに向かってるんだ?」
ヴァーツの言葉を聞いて、あ、とラズが驚いたような顔になって、困ったように長く息を吐いた。歩き初めてどれくらいか…ということには気を使っていたのに、歩く方角は全然考えていなかった。井戸に入った時の身体の向きや、…コンパスなどがあれば分かったのだろうけれど、今は空も見えないから方角はほとんど分からない。
「しまったね。……セタならきっと計算して、頭に地図とか想像するんだろうけど……」
「うわ……なんか俺ら、セタとかルイスとかがいなきゃ何にもできないパーティっぽくね?」
「あながち間違ってないかも……」
ラズが宙を眺めて、肩を竦めた。セタは戦い方だけではなく、いわゆる冒険に必要なサバイバル術を身に付けている。敵に対する対応はラズでもヴァーツでも出来るが、地図の見方や罠の外し方、先ほどのような高い場所から降りる方法や、複数人が協力する時のリーダーシップなど、あらゆる方面で長けていた。
しかし、どことなく謎が多い。
そもそもサバイバル術に長けた人間など、ラズの生活には程遠い存在だ。どのような種類の人間であればそうした知識が身に着くのかも分からない。もちろん、ラズとて現実に戻れば弓など触った事もなければ見た事もない人間だ。だが今はどのようにそうしているのか、イメージさえすれば弓を使うことが出来る。それは他の人も同様だろう。
しかし、それは弓や剣を見よう見真似であったとしても、どのように使うか…というイメージが各人にあるからだ。ロープをどうやって結んだらはしごになるかとか、歩いた時に地図を作るにはどうするかとか、そうしたイメージが出来る人間というのは、今のトキオに多くいるのだろうか。少なからずいるのかもしれない、たとえば、ラズは会ったことがないけれど、軍人とか。
つまり、セタはそういう人間なのだ……ということだ。
エクスの世界では、皆それぞれ己を演じて生きている。だがセタはどうだろう。ラズは自分に人を見る目があるとは思えないけれど、セタという男は現実に戻ってもセタという男のような気がした。
「セタって、どういう人間なんだろうな」
「え?」
ラズがぼんやりと考えていたことを、不意にヴァーツが口にする。
「なんか、他のやつらよりも、ちょっとこっちの世界に慣れてるし……」
「セタって……セタって感じがする」
「なんだそれ」
ラズがどう言っていいのか分からず、思い浮かんだことをそのまま言葉にした。ヴァーツが苦笑しながらからかったが、だが、すぐに「でも分かる気がする」と同意した。
「けれど、少し近寄りがたい気がします」
少し雰囲気を変えて、ユリアナが苦笑した。そういえば、ユリアナは誰とでも分け隔てなく接しているが、セタと親しく話しているところはあまり見た事がない。セタはどちらかというとルイスと仲がよいが、ルイスはユリアナと魔法の使い方を論議するのが好きなようだ。
そのルイスは一歩身を退いて皆を観察している節があり、セタとはまた違った不思議さを持っている。
「そういや、セタは一番最初ルイスと一緒にいたよな」
ヴァーツが後ろに腕を組んで、思い出したように言った。言われて、ラズも思い出す。セタの軽口をルイスが受け流しながら、皆よりも後から酒場の入り口に姿を現したのだ。
「2人は、よく一緒にいますね」
同意するようにユリアナが言ったが、それにはラズは首を傾げた。
「そうかな? どちらかというと、ユリアナとルイスが一緒にいるのを見かけるけど……」
「そうでしょうか。……でも、セタは私がルイスと話していると、とても不機嫌になるんです」
「そうなの?」
「ええ」
ラズにはセタがそうした素振りを見せたことがない、または見たことが無かったから不思議だった。セタは確かに猛獣のような雰囲気があるが、なんだかんだと言って面倒見がよい。3人の間に、何かあったのだろうかとも考えたが、ラズには分かるはずも無かった。
「仲間、とかだったりしてな。知り合いとかさ」
「え?」
意外なヴァーツの憶測に、ラズが驚いたように足を止めた。その言葉にユリアナも瞳を丸くして、次に何かを考えるように指を顎にあてた。
「そんなことが…あるのでしょうか。プレイヤーは抽選で決められているはずですが…」
「偶然…ってこともあるんじゃね?」
「偶然…?」
2人の会話にラズは少しだけ眉根を寄せたが、すぐにぷるぷると頭を振った。
「でも、誰が当選したかっていうのは秘密のはずだよね」
「そんなの、バラしたって言わなきゃ分からねーだろ」
「そっか…」
どこまでも呑気なヴァーツの言葉に、ラズは肩を落とす。もし本当にラズとルイスが現実で知り合いだったとして、「偶然」一緒に当選する…などという事があり得るのだろうか。たとえ在り得たとしても、この世界は何百もの世界が重なり、それぞれの世界に10人前後のプレイヤーしかいない。その中で、同じ世界に存在する…ということが、故意ではなくあり得るのだろうか。
もしも、あり得ない…として、セタとルイスが知り合いだったとすれば、そこには何らかの意図が関与しているということになる。
「でも、そんな偶然…あり得るのか?って話だよな」
ふ…と真面目な口調でヴァーツが言う。ユリアナが、それに続けた。
「あり得るとするならば、2人は運営側に関与している可能性がありますね」
「普通のプレイヤーじゃないってことか、なんだかそれ、卑怯だよな」
「えっ、卑怯?」
つまらなさそうに唇を尖らせたヴァーツに、どこか焦ったようにラズが問う。だが、よく考えれば卑怯な話だ。エクスの世界にログイン可能なのはテストプレイヤーのみであり、その参加権は、トキオ中の希望者の中から何百倍もの抽選をくぐって手に入れたものだ。プレイしたくてもできない人はたくさんいただろうし、プレイヤーは幸運の持ち主といえる。そんな中、運だけではない何かによってプレイヤー権を手に入れたものがあれば、誰もが「うらやましい」とか「卑怯」とか、そんな風に思うものだ。たとえそれが八つ当りに近い感情であったとしても。
「けど、……もし運営だとすれば、何かの役割を持っているとか……」
「ああ、それは言えるかも。セタがいなきゃ、パーティーぽくないし」
ゲームマスター的な存在とか? それほど深くは考えていないヴァーツの様子になぜかラズはほっとしながら、「ゲームマスター?」と聞き返した。こうしたオンラインゲームの中で、プレイヤーに助言を与えたり、不正を罰したりする役割のスタッフらしい。スタッフのようには見えないけれど、セタがいなければパーティっぽくない…という話は、この井戸の底に下りてきて早々に実感したことだ。そのセタを引っ張っているのがもしルイスだとしたら、2人の関係にもつじつまが合うような気がした。
……が。
「でも、これって全部、想像の話だね」
「ははっ、そうだな」
「互いの正体が分からないだけに、いろいろ考えてしまいますね」
話していた内容の突拍子の無さに気付いて、3人が顔を見合わせて苦笑した。それはあくまでも想像でしかない。自分達がこの世界のプレイヤーであることと同じように、あの2人がいつも一緒にいるのも、ただ仲が良いだけなのだろう。
それからしばらく、さして話題もないまま歩いていた。コンコンと足音がやたら高く響き、警戒心も薄れてくる。よくよく目を凝らして見ると、通路の向こうに角が見えた。周囲の壁が灰色一色だったから、かなり近くまで来なければ分からなかったらしい。ラズが曲がり角が見えてきたことを口にしようと息を吸った、その時だ。
絹を裂くような、高く細い悲鳴が響いた。
心臓を掴まれた心地がして、全員が足を止める。悲鳴は、誰が聞いても分かる。女の、それも子供の悲鳴だった。
「な、今の……」
「フウカ!?」
戸惑うラズより先に飛び出したのは、ヴァーツだ。「待って、危ない!」とユリアナが止めるのも聞かずにまっすぐ走って角を曲がってしまう。
ラズは足が竦んで動けない。
駆けようとしているユリアナが、動かないラズを振り向いた。
「ラズ!?」
「あ……」
「今の、フウカの声かしら。ヴァーツが……」
「う、うん」
促されて、我に帰る。コクンと唾を飲み込んで、ラズも足をもつらせながら走る。
あんな悲鳴、ラズは聞いたことがなかった。
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角を曲がると、信じられない光景が広がっていた。
「フウカ!!」
床にぐったりと倒れ込んでいるのは見覚えのある水色のドレスと、その中の小さな身体だった。それをヴァーツが抱き起こしている。薄い金髪は汗で顔に張り付いていた。
「おい、どうしたって言うんだよ、フウカ!!」
「ヴァーツ、あまり動かしちゃだめ!」
ユリアナの声にヴァーツが揺さぶろうとしていた手を止める。泣きそうな顔で、フウカを見せるように脇に退いた。
全員が息を飲んだ。
フウカの水色のドレスの胸元は真っ赤に染まっていて、その中心に短剣が刺さっている。胸を押さえている小さな手は震えていて、ヒューヒューという嫌な呼吸音が喉から零れている。
ユリアナがしゃがみ込み、掌をかざした。
「フウカ! 癒やしの魔法を掛けますから、どうか治るイメージを強く持って!」
「フウカ、フウカ! くそっ! 誰に……この短剣……黒の」
胸元の刃にヴァーツがそっと触れ、手を離す。その短剣に見覚えはあった。いつか皆で冒険した時に得たアイテムだ。黒の宝石を選んだのは誰だったか。
黒い石の短剣……立ち尽くしたままのラズの脳裏に1人の人物が浮かぶ。しかしその名前を口にする前に、フウカがラズに向かって唇を震わせた。
「ル…」
パン!
しかしその言葉は、最後まで聞くことは出来なかった。
小気味のよい銃声がして、フウカの額がプツ……と血を吹いたのだ。そのまま頭がガクンと後ろに倒れる。ラズが振り向いた時には、通路の向こうに背の高い男の人影が消えたところだった。
「セ……」
セタァァァァ!!
ヴァーツの叫び声が、どこか遠くに聞こえる。キ!…と剣を抜く音が聞こえて、ヴァーツが走り出したのがかろうじて視界に入った。
自分も動かなければ…と、一足遅れてラズが駆け出す。
「ラズ、駄目!!」
しかしラズの腰にユリアナが縋り付き、後ろに引っ張られて勢いよく転んだ。同時に、今まで目の前にあった通路が、轟音と共に崩れて消える。
「ヴァーツ!!」
目の前からヴァーツは消え、落ちた悲鳴すら聞こえなかった。