aix story

015.outside:叫び

「セタァァァァ!!」

ヴァーツは自分の叫び声で目が覚めた。視界に広がるのは「エクス」のログイン画面だ。

戻ってきた。

全力疾走した後のように、はあはあと息を吐いた。いつになく目覚めの悪い頭を、無理矢理覚醒させるかのように強く振る。脳裏にこびりついて離れないのは、血に濡れたフウカの真っ赤な胸とその真ん中に突き刺さっていた黒い石の付いた短剣、…そして銃声と共に血を噴いた頭の映像だ。

ぐ…と喉元を押さえた。

吐き気が込み上げ、引き千切るようにログイン用のゴーグルを外した。横たわっていた寝台から転がるように下りて、部屋に作り付けているトイレへと駆け込む。扉を閉め便器に向かってみたが、喉からは何も込み上げず、無理に動いた食道の筋肉が痛みを訴えた。冷や汗と涙が滲む。

あんなにリアルに、人が血を流して倒れているのを初めて見た。

あんな風に人が死んで。

「……死んで?」

頭に浮かんだその思いを、必死に否定する。そんなはずは無い。エクスの世界は自分で敵の攻撃を受容するか、自ら決める事の出来る世界だ。あんなひどい怪我をするなんてあり得ない。

しかし、現にエクスの世界ではフウカはひどい怪我をしていて、そして一瞬の内に動かなくなった。少なくとも自分の目にはそう映った。黒い短剣を持っていたのはルイス、そして銃を使うのは……。

「セタ……」

ギリ……と奥歯を噛み締める。のろのろと立ち上がり、寝台へ戻るとうつぶせに倒れこんだ。時計を見ると23時半を回っている。しまった、と舌打ちした。ログインしてからの正確な時間を知ればよかった。いつかセタが言っていた、「こちらの時間の進み具合と、向こうの時間の進み具合が同じだなんて誰が言った」そのとき思ったのだ。いくら自分の行動を選択できるといえど、肝心なところは世界にコントロールされているのだ。理解していたはずなのに、忘れていた。

自分がそうした行動を選ばない限り、怪我をすることはあり得ない世界、だが、もしも相手が「世界」そのものであったとすればどうだろうか。

「あり得るとするならば、運営側に関与している可能性……」

セタ、そしてルイスは、あの場にいなかった。井戸から先に降りた3人。フウカとセタが地上に残って、ルイスとはぐれる。ルイスが後からセタに引き上げてもらって、セタと2人で……。

「くそっ……考えれば考えるほど分かんねえ!!」

いまだどこかでセタとルイスがそんなこと、あるはずが無いと思っていた。だが、その思考すらどこから出てきたものか分からない。冒険の仲間だったのはエクスの世界でだけで、こちらに戻ってくれば顔も知らない人間同士、生活が交差することなどない。それなのに、いつの間にか「仲間」として信じていた。

その仲間が、裏切った。

「アンリ?」

コンコン、と控えめなノックの音と同時に、コーチョーの声が聞こえる。老いた落ち着きのある声に、ヴァーツの、いや……アンリと呼ばれる少年の脳が急に冷えて、思考が切り替わっていく。

「……コーチョー?」

「急に大きな音と声が聞こえたので……大丈夫ですか?」

「ん、大丈夫……あ、あのさ……」

「何ですか?」

「聞きたいことがあるんだけど」

「部屋に入りましょうか?」

「あ、ちょっと待って!」

アンリは慌ててそれを止めると、寝台の上に散らばったログイン用のゴーグルをクローゼットにしまい、端末の画面をオフにする。エクスの世界への足跡を全て消して、やっと許可すると、コーチョーが扉を開いて入ってきた。まだ寝ていなかったのか、動きやすい服装に上着を肩に掛けている。優しい眼差しは今は労わるように細められていて、勉強机に置かれている椅子を引いて腰掛けた。

狭い部屋なので、アンリは寝台の上に座ってコーチョーに向き合う。

「聞きたいこと、とは?」

そもそも「聞きたい事」はアンリには山ほどあった。だが、そのいずれもコーチョーに聞くべき事ではないような気がする。そもそもコーチョーとエクスの世界は、何の関係も無いし、テストプレイヤーであることは秘密にしなければならない。なかなか言葉を継がないアンリにイライラすることもなく、コーチョーは腰を浮かせる。

「珈琲でも、淹れてきましょうか」

「あ、待って」

「はい?」

思わず言ってしまって、アンリはふう、と息を吐く。一番聞きたい事で、コーチョーに聞くべき事を考える。

「……あのさ、[deth due to sensory feedback]って……」

「はい」

「ヴァーチャルリアリティの世界で死ねば、必ず引き起こされるもの、なのか?」

穏やかなコーチョーの表情が一瞬真顔になる。瞑目して、アンリと同じように長いため息を吐いた。

****

「必ず……というわけではありませんが、死んだ時の状況によってはかなりの確率で起こるでしょうね」

「……死んだ時の状況?」

「ええ、その世界において『死』というものがどのように表現されているかにもよりますし、どこまで描写されているか……にもよるでしょう」

たとえば、体力がポイント制であった場合であればどうか。いわゆるヒットポイントとして割り振られているポイントが、ダメージを与えられることによって減っていき、ゼロになれば『死』という概念。果たしてそれは人間の認識する『死』であるのか、問答無用で生き返ることが出来るのか、何かしらのペナルティはあるのか。単なるログアウトなのか、プレイヤーキャラクターそのものを喪失してしまうのか。そして、もっとも重要なのが描写だ。斬られた身体はどのように描写されるのか。流血するのか。欠損するのか。魔法を受けた場合は? あるいは、塵となって消えてしまうか。

ログインしている世界がリアリティの高いものであるほど、人間がそこから受ける影響は高い。攻撃されて傷つけば、あたかも現実の世界が傷ついてしまったかのような錯覚を引き起こすからだ。

目隠しをされた人間が喉に刃物を当てられて水を落とされるだけで、実際には血を流してもいないのに、失血したと脳が勘違いを起こしてショック死するという。それと同義だ。

それを聞いて、アンリの手が震える。

「……なら、それなら……もしも、命に関わるようなフィードバックは遮断していたら? 大丈夫なはずだよな?」

「アンリ。……攻撃された後の肉体の変化、それに恐怖を覚えるのは人間の本質です。それをフィードバックさせない、ということは、それだけ深く人間の精神を操作しているということになります」

「え……?」

「技術的にはフィードバックを遮断しない方が遥かに簡単です。それは分かりますか? それを遮断するということは、フィードバックを操作できる……ということです」

アンリはそれを聞いて、頭を殴られたような気がした。当たり前の理屈なのに、どうして今までそのことに誰も気付いていなかったのだろう。プレイヤーのフィードバックを握っているのは、システム……ということは。

「それなら意図的にフィードバックを引き起こすことも……」

…可能なのだろうか。エクスの世界ならば。

****

日が変わり深夜と呼ばれる時刻に、シロガネビレッジの特別病棟、さらにその奥にある病室が騒然としていた。

「ルリカ、ルリカ! なぜ……っ!」

病院の寝台の上に、ゴーグルを付けた少女らしき身体が横たわっている。頭、首筋、手首からはコードが延び、そのコードを集約した機械には、さまざまなグラフと次々に移り変わる数値が映されていた。その少女に、少女の母親が取りすがる。

「お前、揺らしてはいけない……!」

「離してっ、どうして目が覚めないの、どうして!? だから嫌だと言ったのに……!」

「まだ何か起こったと決まったわけではない、お前、離しなさい!」

「いやぁっ!!」

悲痛な母親は、だが娘から引き剥がされて、側に控えていた看護士に連れて行かれる。その背を見送りながら、少女の父親、ガウイン・ダルトワが眉間に深く皺を寄せた。拳を握り締め、大人としては珍しいほどの悪態を付く。

「ダルトワ様……」

機械の数値を読み取り、少女に触れて体温や脈を確認していた医師は顔を上げ、ガウインに向けて首を振った。

「進展は……目が覚めないだけで、命に別状はないようです」

「なぜ、なぜ目が覚めないのだ……ログアウトの時間はとっくに過ぎているというのに……」

搾り出されるような悲痛なガウインの声に、医師も首を振るばかりである。

目が覚めないのはルリカ・ダルトワ。

20時にログインし、3時間後の23時に目覚めるはずだった。いつも5分前後のタイムラグがあるが、それでも目覚めない事はなかった。ログインはほぼ毎日だったが3時間というプレイ時間は安定しており、いつもはその間娘にべったりと着いているわけではない。機械が不安定を示すと直ちにそれが知らされ、医師が駆けつけるというシステムになっている。今日はログインして2時間半後に、それまで無いほどの大きな波形の乱れを捕らえ、医師と…そして近くに住まうガウインも呼び出されたのだ。

そして24時を回り、ログアウトの時間が1時間も過ぎているのに、ルリカは目覚めない。

「数度、何かショックを受けた様子で波形が乱れましたが、現在は正常に戻っています」

「しかし目が覚めない……」

「アルキス社長に連絡は?」

「電話に出ないのだ!」

先ほどから何度もコールしている端末を握り締めて、ガウインは吐き捨てた。正常に目覚めない、ということは、エクスの世界を構成しているシステムに何かあったと考えるべきだろう。ガウインはすぐにメロヴィング・カンパニーの社長に連絡をいれた。だが出ない。情報も集めた。障害や、他にも目覚めないプレイヤーはいないか…という情報をかき集めたが、ほとんど入って来ない。もし目覚めないプレイヤーがいるとすれば、今の時間から見て翌朝に情報が入るはずだ。もしシステムに何かあったのならば、アルキスはそちらに手を取られていて連絡を受けることが出来ないのだろうか。

舌打ちをしたガウインは、娘の横たわる寝台に歩み寄るとその手をぎゅ……と握った。手は温かく、小さく上下している胸は呼吸をしていることを伝えてくる。ちらりと機械に目をやると、グラフはいつも見ているものと同じ波形を現していて、確かに異常は無い。しかし。

いっそゴーグルを無理矢理剥がしてやろうかと思ったが、そんなことが出来るはずもなかった。正常にログアウトしないうちにゴーグルを…エクスとこちらをつないでいるラインを分断してしまうと、意識が戻ってくる道を断つ事になってしまう。それもある意味、意識が身体にフィードバック出来ずに死…[deth due to sensory feedback] を引き起こしてしまうのではないか。

今、ルリカの命はエクスの世界に握られている。

ガウインは、あまりに危ういそのエクスの世界の、いや、人工現実のシステムに、背筋が凍った。

いくら娘のためとはいえ、……その危うい世界を許してしまったのは自分なのだ。