フウカを撃ったと思われる人影を追い掛けたヴァーツは、最後まで追いかける事は叶わなかった。それどころか、駆け出した途端に足元が崩れ、「あ」という間も無く何処かへと落下してしまったのだ。しかし背や腰は打ち付けることなく、上から瓦礫が降ってくることも無かった。ただ、上を見ると崩れたはずの床……今ヴァーツがいるところから見れば、それは天井だが……は閉ざされており、崩れた後などはどこにも無い。確かに床が崩れる音がしたと思ったが、何かの罠だったようだ。
すぐに頭を切り替えて、周囲を伺う。
今までずっと歩いてきたところと床や壁の材質は同じようだったが、明るさは随分暗かった。薄暗い通路を蹴って立ち上がり、自分の左と右を確かめる。目を凝らすと、自分の左の奥が僅かにグラデーションがかっていて、明るくなっているのが分かった。そちらに向かって、歩き始めようと一歩踏み出す。
次の瞬間、何事も無かったかのように機械の声がログアウトの時間を告げた。
「くそっ」
ヴァーツは悪態を付いて走り出した。
だがログアウトを促す声は終わらない。追い立てられるように走っていると、近付くグラデーションの向こうから、セタの声が聞こえた。
「……………、ルイス……!!」
ルイスを呼ぶセタの声が聞こえた。2人が近くにいる、そう思ったと同時にヴァーツは声の許す限り叫んだ。
「セタァァァァ!!」
だが、その声が届いたのか、届かなかったのか、ヴァーツの視界は暗転したのである。
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ログインした直後に視界が解放された時、ヴァーツの目線の先には真っ白な光が差し込んでいた。足元には階段があり、その階段を登ると出口がぱくりと口を開けている。その階段を登ると出口にはまた鉄格子が掛かっていて、手を掛けるとそれは拍子抜けするほど簡単に開いた。
外に出ると、見知らぬ民家の裏側で、目を凝らすと遠くに皆で潜りこんだ井戸が見えた。地下の施設は街の下に張られていたようだ。
「セタ、それにルイス……」
地下から出てきたヴァーツが見たのは、井戸の側に2人並んでいるセタとルイスだった。ヴァーツは親の敵でも見つけたかのような表情で近付いたが、2人は怪訝そうな表情を浮かべてヴァーツを見つめている。かつての仲間だったフウカを殺したとは思えない落ち着きぶりで、それが逆にヴァーツを苛立たせた。
感情に任せて剣を抜く。それを見て、セタが思い切り眉をひそめて苦い顔をした。
「ヴァーツ。お前、どこから……」
「セタ!! てめえ……! なんで、なんでフウカを……!!」
「フウカ……?」
セタらしくない荒々しい歩調でヴァーツに歩み寄り、抜かれた剣をバトルナイフの一閃で弾く。
そのまま無造作にヴァーツの胸ぐらを掴んだ。
抵抗する……という選択肢を与えられず捕まえられ、驚愕の表情を浮かべるヴァーツにセタが声を低くする。
「ヴァーツ……お前、フウカがどこにいるのか、知っているのか…?」
「な、に?」
「おい、セタ」
咎めるように、セタの腕をルイスが掴む。チッと舌打ちして、ヴァーツを捉えた手を離した。気勢が削がれた様子のヴァーツと不機嫌そうなセタを交互に見て、ルイスが気遣わしげな声を吐く。
「落ち着けヴァーツ、それにセタも……」
「ちくしょうっ、うるせえ!」
ルイスの落ち着いた声が再びヴァーツを苛立たせ、セタを掴んだ。しかし今度はセタは掴まれたまま、どこか見極めるようにヴァーツを見下ろしている。そんな視線もヴァーツをますます不安にさせた。フウカがあんな風で、皆とはぐれてしまったのに、その原因を作ったかもしれない2人に食って掛かっている自分の方が我侭な子供みたいではないか。
「こんな、落ち着けるかよ! ……どうして、フウカを、あんな……!!」
「分かった。落ち着かなくてもいい、殴ってもいいが……その前に、フウカがどうなってるのか教えろ」
今までに聞いたことの無いほどに低く、そして真面目な声でセタが言った。その態度にヴァーツがこくりと喉を動かし、力無く、セタから一歩離れる。ひとりぼっちの子供のように手も首もだらりと下ろしてうなだれ、ぽつりと言った。
「……胸をルイスの短剣に刺されて、血塗れで倒れてた」
「……え?」
ルイスが顔を上げ、セタがそれを覗き込む。2人して何事かを考えるような、何かを知っているような視線を交わしていて、それを見ながらヴァーツがさらに続けた。
「それに、助け起こして……多分、ルイスの名前を呼ぼうとして、その瞬間、銃に撃たれた」
「どこを」
「……頭、を」
「なるほどな……」
何がなるほどなのか、訴えようとしたヴァーツをセタが視線で制して首を振った。「お前が何を考えてるのか大体分かるが……」と前振って置いてから、真摯な顔でヴァーツに向き合う。
「俺達はやっていない」
「何……」
真摯な態度はすぐに崩れ、セタがいつもの余裕な表情を浮かべて肩を竦めた。顎を撫でながらヴァーツから視線を外す。
「まあ……俺なら、頭なんていう的は撃たないしな。どうせ撃つなら、身体に数発入れておく」
「セタ!」
咎めるようにルイスがセタの腕を掴んだ。ふん……と鼻で笑って、セタが少し下がる。説明はルイスに任せたようだ。
「ヴァーツ、確かに『フウカ』は、私の短剣を胸に受けた……だが、それは、ヴァーツの考えている事情とは少し違う」
「……俺が、考えている? どういう意味だよ」
「確かにヴァーツに会う前、『フウカ』は私達のところにいた。けれど、そのフウカは私達を……」
一度言葉を切り、忌々しげに顔を逸らしているセタを見て、それからヴァーツを見る。
「……フウカは、私達を攻撃して……戦わせたんだ」
戦わせた……?
言葉を失ったヴァーツに、ルイスはゆっくりと説明した。
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井戸の底に閉じ込められてしまったルイスは、鉄格子の周辺やそれ以外に何かあるか、狭いながらも周囲を確認しながらセタを待っていた。だが幾ら確認しても、仕掛けも罠も見当たらない。壁を登ろうにも、その壁面は凹凸が無くキレイな一枚板だ。
鉄格子の向こうに耳をすませたが、既になんの気配も感じ取れず、かまいたち的なイメージで鉄格子を攻撃してもみたが、やはりというべきかびくともしなかった。
「セタ……」
ポツリと男の名前を呟いて、上を仰ぐ。小さな円から空の青が見えるがとても遠く、1人では何も出来ない無力さを痛感させられた。
どれほど待ったのか、時計を見ていればよかったと悔やまれたが遅く、しばらくして井戸の底に影が映った。
「ルイス! 大丈夫か?」
「ああ。ユリアナ達は先に行った。どうする、セタ、降りてくるか?」
「先に行った?」
「鉄格子が下りてしまって、閉じ込められたんだ」
「何?」
何故か、声を低くして一瞬セタは沈黙する。だがすぐに、「いいや」と声が帰ってきた。
「それなら俺達が降りても一緒だろう。引き上げてやる」
「分かった。ありがとう」
「礼なら登って来てからにしろ。輪に足と手を掛けるんだ。準備が出来たら声をかけろ、いいな」
先に輪が作られたロープがドサリと落とされて、ルイスはセタの言葉に従う。準備が出来た事を伝えると、揺るぎの無い力で身体が浮く。
ヴァーチャルな世界であるにも関わらず、一本のロープに従って登るのは心許ない。ギリギリと少しずつ上に上がり、ようやく井戸の淵に到達すると、ルイスの身体にセタの腕が伸びてきて、抱きかかえるように外に出された。
折り重なるように、地面に2人して倒れ込む。はあ、と息を吐いて、ルイスは今は下にあるセタの顔を見下ろした。
「悪い、手間を掛けさせた」
「いや、ロープの強さを見誤ってた俺が悪い。怪我は無いか?」
「ああ、腰を打った気がするが痛くは無かった。さすが、フィードバックを遮断させてあるだけはある」
言いながら、ルイスは少しセタに体重を掛けて身体を起こす。セタもルイスの身体を支えながら上半身を起こした。一瞬、ルイスのローブの中にセタが引きこまれるように、距離が近くなる。
「……おい、セタ?」
ふと気がつくと、いつもは軽薄な表情をしているセタが真顔になっている。この表情をルイスは知っている。たまに2人きりになる時、必ずルイスにだけ見せる真剣な表情だ。
「ルイス……」
セタの瞳が、ふう……と細くなった。しまったと思いルイスが距離を取ろうとすると、その華奢で折れそうな首筋を抱えるように大きな手が回される。
するりとセタの手がルイスの顔に掛かったローブを脱がせた。露になったルイスの顔に、引き込まれるようにセタもまた顔を近づける。
「待てよ、ルイス」
セタがその表情を見せた時、彼は何故か必ずと言っていいほどルイスに触れようと距離を詰めて追い掛ける。今日に限った事ではない。そのたびに「ふざけるな」とか「戯れは止めろ」などと言って、ルイスはその視線から適当に逃れてきた。敵の攻撃を避ける…というイメージは、こんなところにも利いているのか、セタがルイスを捕まえようとしても易々と逃げることが出来た。しかし、時折、その熱い視線にほだされるように、…自分の意思が、動くことを拒否する事がある。たとえば、今のように。
息の詰まるような沈黙が降りた。
荒い息を吐いているわけではないのに、呼気の湿度を感じてしまうほど互いの唇が近い。
「セタ、戯れは……」
止せ。
そう言い掛けた時、セタの片方の腕がルイスの腰に回り、ぐ…と引き寄せられた。
イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
途端、心臓を掴まれたような、生々しい少女の悲鳴が聞こえたのだ。同時にセタがルイスの身体をひっくり返して地面に押し付ける。
ヒュン…!
…風を切る音がはっきりと聞こえて、ルイスはセタの頭の上を燃えさかる赤い矢が飛んで行くのをはっきりと見た。
「この、雌が……あばずれがあああああああああ!!」
雌、あばずれ……。
罵倒の言葉を聞きながらルイスはなんとか身体を起こそうとするが、セタの抱き締める腕がそれを許さない。抱き締めたたまま、セタの手が互いの腰の辺りをまさぐった。恐らく短剣かナイフを取り出そうとしているのだろう。しかし互いの身体が密着していたため、一番たやすく手に届いたのはルイスの短剣だった。まさぐる動きは一瞬で、セタはルイスの短剣を引き抜き、半身を捻るように片方の腕を振り上げる。
キャアアアアアアア!!
再び叫び声が聞こえ、ようやくセタは身体をルイスから離してすばやく起き上がる。ルイスもなんとか起き上がったが、すぐさまセタの背中に隠された。戦闘など、慣れているはずだったのに突然の出来事に身体が動かず思考が付いていかない。何が起こっているのかも分からないまま、セタの背中越しに眼前の敵を見る。
信じられなかった。
そこに居たのは、ルイスの短剣を受けて胸を真っ赤に染めたフウカだったのだ。