aix story

019.login :男

「フウカが、2人に分かれて……セタを操って?」

ルイスとセタから説明を受けたヴァーツは、考えがまとまらず頭を振った。ルイスは頷く。もちろん、セタとルイスの関係については省いておいた。ただ、仲のよかった様子についてはヴァーツは知っているのだろう。ヴァーツの外見は14,5歳に見えるが、プレイヤーの実際の年齢は分からないのだ。

「それで……」

ヴァーツが、セタを見上げる。その瞳は置いてけぼりにされた弟のようだと、ふと思って、ルイスは苦笑した。苦笑して、気づく。自分はこうしたことに、苦笑できるほどになっていたのだ。

ルイスが2人を見比べていると、セタが「ああ」と頷いた。そして続ける。

「俺は、お前らのような『プレイヤー』じゃない」

「どういう意味だ」

「フィードバックする先が、無い。恐らくな」

ルイスが息を飲み、ヴァーツが恐る恐る問いかける。

「ノンプレイヤーキャラクター……?」

「……というのとも、少し違う。気がする」

「気がする?」

「はっきりしねえ。何から『再現』されたかは知らないが、俺が生まれたのはこの世界に間違いはない。だが、お前らの住んでいる世界についてもトキオについても知っているし、この世界がヴァーチャルの世界であることも知っている」

「どういう意味だ」

「俺が知るか。だが、自分がどういう人間でどう生きてきたか……という記憶だけが欠落している」

まるで他人事のように淡々と言い放って肩を竦める仕草は確かにいつものセタだったが、どこか疲れたように見えるのは珍しいことだった。

「記憶が欠落……ということは、セタ、貴方はフウカの兄かもしれない、ということについては?」

ルイスからの質問にセタは一気に剣呑な雰囲気になり、はっ……とせせら笑った。セタはルイスをちらりと見ると、声を荒くする。

「欠片も知らねえ。……言っておくが、あんな風な感情を向けられる覚えも無い」

その言葉に嘘はないようだった。ルイスやヴァーツから見ても、セタはフウカと何かしら特別な関係があるようには思えなかった。あの時まではフウカは確かにどす黒い感情を剥きだしにしたことはなかったし、少し生意気だけれど素直で愛らしい少女だった。

ヴァーツは思い出す。いつも知ったかぶりをして、戦うわけでも無いのに着いてきては口を出すフウカは、確かに生意気だ…と思っていたが、憎く思っていた訳ではない。生意気で朗らかで表情の豊かなエルフの少女、それがフウカのイメージだ。ルイスやセタが言うように憎しみにかられて叫んだり、汚い言葉で罵倒したり、冷たい眼差しで「死ね」とか「殺せ」などと言うような人物だとは思えなかった。それを思って、ヴァーツはついぽつりと零す。

「フウカは……俺達の知ってるフウカは死んでしまったのかな」

沈黙が落ちた。そんな風に言っている場合ではないのに、あの少女に会えないのかと思うと胸が痛んだ。

ルイスが沈黙を破る。

「そうだ、ヴァーツ。ラズやユリアナは?」

「…あ!」

ルイスの問いに、ヴァーツが弾かれたように顔を上げた。ヴァーツ自身は、フウカを撃った人物を追ってここまで来たのだ。ユリアナが癒しの術でどうにか傷を塞ごうとしていた姿を覚えている。あの時は、銃声とセタが結びついてしまっていたが、セタやルイスの言うことが本当ならば、あれはきっと元のフウカで、黒いドレスのフウカの命令によってセタ以外の誰かに撃たれたのだ……ということになる。

もしその誰か……「ジェー」という人物がうろついているとすれば、次に危ないのはラズとユリアナだ。

ユリアナとラズにヴァーツやルイスと同じだけの時間が流れているのならば、恐らく一度ログアウトしたはずだ。それから2人がログインしたかどうかは分からない。しかし、ヴァーツもルイスも既に知っている。この世界のシステムは、必ずしも自分達の味方ではない。

……ということは、ユリアナとラズの味方でもないのだ。

このまま2人を放っておくわけにはいかない。

「ラズとユリアナに合流しないと」

「……そうだな」

ヴァーツの力を込めた一言に、ルイスも頷く。入り口は2つあった。井戸か、ヴァーツが地下から抜けてきた場所だ。だが井戸は今のところ封鎖されているはずだ。行くとしたらもう一方だろう。ヴァーツは自分が出口を求めて走ってきたのとは反対方向にも通路があったことを思い出す。

駆け出そうとした2人に対して、セタは動かなかった。

「セタ?」

ルイスが振り返って首を傾げる。

セタはゆっくりと首を振った。

「おまえらは先に行け」

「え……?」

ヴァーツとルイスが、セタに向き直る。2人を見比べながら、どういうことだと問いたげな雰囲気に答えを返す。

「俺はお前らとは一緒に行けない。分かるだろう」

フウカはセタに「作り直してあげる」と言っていた。それがどういう意味なのかは分からないが、何にしてもルイスを襲った時と同じようなことがセタには再び起こるだろう。もちろんセタは大人しくそれに甘んじるつもりはない。だが、約束は出来ない。

「……セタ、フウカは私達がログアウトしているあいだに接触してこなかったのか?」

「してこなかったな。気配は感じるが」

「気配……?」

「あちこちに。……空気に溶けるみたいにな、気持ち悪ぃ」

セタが心底気持ち悪そうに言って、それをルイスは何とも言えない切ない表情で見つめた。セタがフウカの言うように「作り直されて」しまったら、一体どうなってしまうのか。そうした懸念を読み取ったのだろう。セタは苦笑する。

「心配するな……といいたいところだが、保証はできねえ」

だから……、と、一旦言葉を切る。

そして、なんでも無いことのように軽い口調で首を傾げて言った。

「俺はフウカを探して決着をつける。お前らは合流出来たら二度とログインするな」

その言葉に、ルイスとヴァーツがはっと息を飲む。あくまでもセタの態度は冷静で、置かれた状況を分析しているようだった。

フウカが、セタを作り直すことが可能ならば、次会う時は皆の敵になる。作り直されれば皆のことを忘れる……とフウカは言っていた。そうなれば、記憶に頼って命令に抗う事はできなくなる。そもそも作り直されることなくフウカに命じられただけで、あれだけの強制力なのだ。

「セタ」

「セタ。何言ってるんだよ」

先ほどまで自分を疑っていたヴァーツも、セタを心配そうに見つめている、それを見たセタは、ヴァーツの頭を撫でて髪をくしゃくしゃにしてやった。

「簡単に信用すんな。次会ったときは、てめえの敵になるかもしれねえんだぞ」

「バカを言うなセタ」

ルイスがいつになくきつい口調でセタに近付いたのを見て、一瞬ひるんだようにセタは目を開く。だが、ふっ……と笑ってルイスの胸元に手を伸ばした。そこに掛けてある時計を引っ張り出すと、ルイスの首から外す。鎖がルイスの頭を通って、ローブが外れた。「何を……」とルイスが口を開く前に、セタは上着に突っ込んでいた自分の時計をルイスの首に掛ける。

「持っていけ」

「……セタ」

「これもな、お前のはフウカに持っていかれちまったから」

言って、短剣をルイスに差し出す。恐る恐るルイスがそれを受け取るのを見たセタは満足気に頷き、今度はヴァーツに向きあった。

「ヴァーツ、気をつけろ」

「何をだよ」

「俺たちが別行動になってしまったの原因を、意図的に生み出したやつがいる」

「え……? フウカじゃないのか?」

「フウカは、あの時正気だっただろう。そうでなくても、俺目当てならルイスを引き上げるのを待つ必要は無い」

「あ……」

「それなのに、ルイスは仲間と引き離された」

「……システムが、やったんじゃないのか?」

ヴァーツは搾るように声を出した。セタの言っていることが、まるで「仲間たちに裏切り者がいる」と言っているように聞こえたからだ。それをヴァーツは否定したかった。もちろん、ヴァーツはつい先ほどまでルイスとセタに裏切られたと思っていたが、それとは全く異なる焦燥感がある。

「もちろんシステムがやったのかもしれねえ。どっちにしろ、フウカを撃ったやつもうろついてるし、気を付けるに越した事は無い」

だけど、そんな。

……言い掛けた言葉をヴァーツは飲み込んだ。「誰か」が……となると、残るは2人しかいないではないか。しかし、どちらも裏切りを犯すような仲間には思えなかった。いや、それこそ希望的観測かもしれない。もし裏切るとしたら、どちらが? そもそも、ルイスだってセタだって嘘をついているかもしれないのに。フウカが別のフウカになったところだって、ヴァーツは見ていないのに……。

「ヴァーツ」

気遣わしげな声はルイスだった。いつもの淡々とした声ではなく、思いやりに満ちた声だった。こんな態度も取れるのか……と、たった一言名前を呼ばれただけでそんな風に感じさせる優しい声だ。

「……ヴァーツが何を考えているか分かる。だから確かめに行こう」

「でも、いいのかよ、ルイス」

セタと離れてもいいのかよ。ヴァーツの問いにルイスは頷きも首を振りもしなかったが、ただ、ヴァーツを促すように動線を開けた。渋々、地下への出入り口に歩き始めたヴァーツを見送ると、ルイスは脱げたローブを被ってセタを振り向く。

「セタ」

「ん? どうした」

「私が、2度とログインしないと思っている?」

「そうしてくれと思っている」

「私は、また来る」

それを聞いて、セタは息を吐いてわずかに顔をしかめる。

「我侭な女だな」

「必ず合流して、セタ……お願い」

いつも男言葉のような硬い口調だったルイスが、不意に柔らかで痛々しい声になった。言って、セタの答えを聞かずにルイスは走ってヴァーツを追いかけて行ってしまった。

その細い背中を見送りながら、セタは苦笑する。

いつも感情的にならないくせに、こんな時だけあんな声を出すなど卑怯としかいえない。女というのは、皆あんな生き物なのか?

「馬鹿が……死にたいのか」

言いながらも、「また来る」と言ったルイスの言葉に意識の全てが歓喜に震えた。そんな自分の孤独と……その孤独を埋め合わせる為に、あの女を求める衝動は、もうどうしようも出来ないところに達している。欲しくて狂ってしまいそうで、手に入らないならばいっそのこと全て喰らって混じりあってしまいたい。

この自分の衝動は、誰かに似ている。

そうだ、あの気の触れた子供ガキだ。セタは自分のことは何もかも分からなかったが、この狂気的な衝動が、あの子供の意識が溶けているらしい、この世界と同調しているのだけは分かった。

ルイスがログアウトするたびに掻き毟られる心と、ログインするたびに安堵する感情。これはなんだ。一緒に居られる時間が続くはずもないと、分かっているのに期待してしまう。

それでもルイスは……そして仲間達は、いつもいつもログインしてきた。いっそログインしてくるな、俺を裏切ってくれと思ったことも何度かあった。それでも、馬鹿げた期待は止まらなかった。必ずまた会えるだろう。それはずっとずっと繰り返してきた妄想だった。

誰が裏切り者なのか、セタにはおおよそ予想が付いている。その裏切り者が、最初からずっと皆に向けていた他とは全く異なる視線をセタは知っていた。いつだったか、洞窟を探索したとき……罠を踏んでもいないのに岩が崩落したのは何故か。システムの秘密を解こうとしたとき、他に意識を逸らしたのは誰か。

セタを見張る為に、ルイスの側にいつも居たのは誰だったか。

知っていたが、言わない。システムはどのように聞き耳を経てているか分からず、……そして本当は、ルイスとヴァーツすら味方かどうかは分からない。

それでもいい。誰が裏切り者でもいい。……けれど、頼む。

「……『ラズ』を助けたら、二度とログインするな」

死ぬな。もう二度と、こちらに来てはいけない。