aix story

021.past  :女王・下僕

ダルトワという家系は、研究者などのようなクセのある人物を排出してきた家系だ。本家は、医療系物資の流通や研究に携わる事業を行っており、現在はルリカの父であるガウイン・ダルトワが跡目を継いでいる。

そのダルトワ家には、ガウイン・ダルトワの他に2人の子供が居た。

長男のショウ・ダルトワと、長女のフウカ・ダルトワである。

2番目の子であり長女であるフウカは、幼い頃から非常に優秀だったそうだ。特にフウカは人間の知覚とそれを人工的に生み出す研究に興味を持ち、徐々に人工現実の世界を生み出すことに傾倒していった。

それには理由があった。

ダルトワ家の女子は、遺伝的に身体に不備を持つ者が生まれることが多い。フウカも例外ではなく、幼い頃から脊髄に疾患を持っていた。怪我をしても病気をしても長引き、小さな頃はほんの僅かの風邪で生死をさまよっていた。外の空気に中々触れることが出来ず、地面や緑に触れるのは持っての外だ。動物を飼うことも許されず、とにかく幼いころに楽しむべき全ての事を、虚弱な身体には許されなかった。

だから、明晰な頭脳を生かす方向を、自らが弱い身体に患わせることなく楽しむ事の出来る人工現実を生み出すことに傾けた。その実験にはもちろん自らの意識も率先して利用する。自らの感じるもっとも心地よい人工感覚に囲まれた世界を生み出し、その世界を虚構の世界と分からないほど現実に近いものにする、それがフウカの夢だった。

フウカは自分の研究を生かして、当時、人工現実について最も研究の進んでいたルーノ研究所に興味を示した。ダルトワ家はルーノ研究所に投資をし、フウカは研究所の所長だったアキツを何度も家に招いて何度も意見を交換し、やがてルーノ研究所に就職したのだ。

研究所としても、ダルトワ家の一子が研究員になれば豊富な資金を期待出来、フウカ自身の研究もまた役に立つだろう。現に、ルーノ研究所はフウカを迎えてから全盛期を迎えた。

丁度、リアルな世界観を実現し、より深い人間の感覚と人工現実、人工感覚との同調シンクロが求められていた頃だ。提供するサービスは現実とほぼ変わらぬ世界、プレイヤーは仮初めの世界で自由に魔法を使い剣を振るい、魔物を倒し、あるいは別のプレイヤーと戦う。世界中のゲームプレイヤーが、そうしたヴァーチャルリアリティの表現力に酔いしれていた時代だった。

ジェイ・アルキスは、そうしたルーノ研究所の研究員の1人だった。

フウカの研究していた人工現実の世界は「エクス・プロジェクト」というコードで呼ばれており、そのプロジェクトのメンバーに選ばれたアルキスは、フウカの頭脳と研究に心酔していく。

柔らかい色合いの金色の髪に琥珀色の瞳、滅多に外に出ないために全く陽に焼けていない透き通るような白い肌、常に車椅子に乗っている細やかな風貌のフウカは、アルキスだけでなく、多くの研究員の憧れであり尊敬の的だ。フウカは優しい女ではなかった。研究に厳しく、才能の無いものには容赦がない女王だ。けれど、才能を見抜く眼にも長けていた。研究のいずれかに役に立つ才能があれば、すぐに見出し適所に配する。才能を認め、褒めることも忘れない。フウカに見出され、フウカに認められた者が、フウカに心酔するのはあっという間で、アルキスもそうした崇拝者の1人だった。

アルキスはフウカにもっとも近い研究員として信頼され、その片腕として活躍するようになった。そして、ごく自然に人間が異性に対して持つ感情をフウカに対して抱く。

美しく繊細な女王のフウカに、アルキスは男女の情を抱いたのだ。

男として女を欲しいと思う感情と、研究者として彼女の頭脳を敬愛する感情、2つ感情の狭間に置かれていたアルキスだったが、他人としては誰よりもフウカの近くにいた彼は、その思いが届かないことを知っていた。

そのことに気付いたのはいつからだったか。

フウカの瞳にはただ1人を除いて、誰も映ってはいない。研究員のことは大事にしていたとしても、それは恐らく自分の使うことの出来る駒を大事にしているのと同じで、そこに人間的な感情があるわけではない。フウカにとって誰かに優しい言葉を掛けることは、人間を効率よく動かすためのただのスイッチでしかなかったのだ。逸れは研究員だけでなく、自身の家族に対しても同義であるほど徹底していた。

しかし、そのフウカがただ1人、人としての感情を見せる相手がいた。

それが、フウカの兄ショウ・ダルトワだ。

ダルトワ家の女が虚弱に生まれる一方で、男は屈強で健康体に恵まれる。

1番目の子で長男のショウは、反射神経や運動のセンスなどにおいて平均値以上の能力を見せた人物だった。ショウは長男として妹や弟を守るという強い責任感を持ち、特に身体の弱い妹のことは大切にしていた。しかし長男であったにも関わらず、彼は何故かダルトワ家を離れてトキオの通常憲兵部隊に入った。つまり軍人である。

軍に所属していたショウは、時折しかダルトワ家に帰って来なくなっていた。そして、兄が帰ってくるたびにフウカは不安定になり、フウカが不安定になるたびにショウの足は遠のいた。

それが何度か繰り返された折、ダルトワ家の当主、つまりフウカらの父親が死に、母親が精神疾患により長期療養という名目で入院した。このためショウも帰って来ざるを得なくなったのだ。

そこでどの妹弟と、どのような話し合いが行われたかは分からない。

ダルトワは当時既に既婚だった弟のガウインが継いだ。そしてフウカはショウを退役させ、無理矢理自身の秘書兼護衛として側に置いたのだ。ショウを手元に置きたかったフウカにとって父親の死は都合がよかった。

フウカはエクス・プロジェクトの人工現実においても、積極的に自身の意識を利用していたが、ショウもまた研究に手を貸した。それでフウカの気が済めば、などと思っていたのかもしれない。

しかし、それがフウカの研究を異常な方向へと歪ませた。

フウカはショウのことを兄としてではなく男として欲していたのだ。いつだったか、研究員の女性がショウと共にプライベートで食事に出かけたことがあった。ショウ自身、軍を退いた後は研究所のメンバーとして出入りしていたし、そこで女性研究員の1人と仲良くなったとて自然なことだっただろう。だが、その翌日から研究員は来なくなった。実家に戻ったなどと言われているが、その後を誰も知らない。

確証を得たのは、フウカの生み出したエクス・プロジェクトの人口現実プログラムとそこに放出している意識体データの詳細を確認していたときのことだ。フウカは自分自身を含めた様々な実験体……つまりログインした人間のフィードバックさせる対象になる意識体データを蓄積し、それを新たに組みなおしてノンプレイヤーキャラクターを生み出す研究をしていた。それが実現されれば、エクスの世界に自分の好きな人間を再現する事ができる。たとえその人間がログインしていなくても、対象になる人間と共に過ごすことが出来るのだ。

ただ、その再現にはかなりの手間と条件が必要らしく、アルキスが密かに確認したところ、いずれも成功していないようだった。ある者の意識を、そのある者の知らざるところで再生することは出来ない。人間の意識というものは、フィードバック先である自身の身体から乖離されてしまった場所では再生することが出来ないのだ。フィードバック先の肉体が無ければそれは「死」となる。そして、人間の身体が死を迎えるとその意識もまた、死んでしまうはずだ。

フウカのこの研究に使用されている人間は、ショウ・ダルトワだった。フウカは兄の意識とは関係なく、兄をエクスの世界で再現しようとしているのである。

それはどういう意味か。

好意的に解釈すれば、兄妹が仲良く過ごすことの出来る世界を創ろうとしているように見える。そもそもフウカ自身が人工現実の世界を研究している理由がそれだ。

だが、ログを確認してアルキスは背筋が凍った。

フウカは人工現実の世界に再現したショウ・ダルトワと交わろうとしていたのだ。当然のようにいずれも失敗していたが、しかし成功すれば、ショウ・ダルトワというパーソナルデータを持った「兄ではない人間」を生み出し、自ら好きなように設定し、自分の命令で思うままに奉仕させることも可能なのだ。

同時に、アルキス自身の夢想は叶わぬものなのだと痛感する。この実験が成功すれば、フウカは人工現実の世界に閉じこもるつもりなのだろう。架空の兄と共に。

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しかし、事態は思ったよりも早く急転した。

[death due to sensory feedback] により息子を死なせた父親に、研究所の所長…フウカが狙われるという事件が起きたのだ。ちょうど人工現実に没頭する若者が相次いで死亡することが社会問題に発展し、ヴァーチャルリアリティの世界を娯楽に利用するサービスの閉鎖が余儀なくされていた時期だ。ダルトワ家の長であったガウインは、世間からの批判が強くなってきたルーノ研究所への資金提供も見合わせようとしていた。ガウイン自身兄姉に恵まれておらず、特にフウカには何の思い入れもなかったのだろう。それに子供も一人あった。ガウインにとって守るべき家族は既に別にあったのだ。

そういった事情でダルトワ家からも孤立し始めたフウカは、ますますショウ・ダルトワに拘るようになった。

そのような時に起こった出来事だった。

犯人はナイフをかまえ、車椅子で自由に動けないフウカをめがけて突っ込んできたのだ。そして、それを庇ったのが兄のショウだ。ショウはフウカを庇って腹部にナイフを受け、そのまま意識を失い、意識を失ったまま2度と目覚めることは無かった。

嘆き悲しむかと思われたフウカは、他の研究員を寄せ付けず、狂ったように研究に没頭し始めた。そしてショウが倒れてから1ヶ月もしないうちに、[death due to sensory feedback] により自室で死亡していたのである。

ショウ自身がどう考えていたか、アルキスには分からない。なぜなら、ショウの身体能力から見れば、素人の暴漢などすぐにねじ伏せる事が出来ただろうし、生命力や治療までのインターバルを考えても助からない命ではなかったはずだ。しかしショウは現実に刺され、大量に出血し、意識を失ったのだ。

残されたルーノ研究所は存続させることも叶わず、そのままなし崩しに解散となった。

最後にアルキスはフウカの片腕だった権限を最大限に発揮して、ルーノ研究所の遺産を全て持ち出した。そしてひそかにフウカの研究を引き継いだのだ。

その結果が現在である。

アルキスの狙いはフウカ・ダルトワの意識体の復活である。

[death due to sensory feedback] で死亡したフウカの意識は、恐らくエクス・プロジェクトの世界に残されているのではないかと考えた。通常ならばそれはフィードバック先が無く「死亡」となっているはずだが、フウカの研究が成功していればフィードバック先がなくても再現が可能であり、つまりは意識が残留しているということである。

そしてこうも考えた。

再現した意識体に、こちらからフィードバック先を与えてやれば現実世界こちらへの復活が可能なのではないか。

アルキスは多くの研究を重ね、フウカの作り出した世界にさらに改良を加えた。今まで人間の意識に依存していた感覚的なフィードバックを、システム側から干渉できるようプロセスを開発したのだ。これである程度フィードバックを操る事が可能で、成功すればその先を自由に設定できる。

問題はフィードバック先だが、自由に設定ができるといっても、完全に自由というわけではない。猿の意識を人間に戻すことは出来ないように、パーソナル情報が近しい者でなければ戻らないのだ。

そこで目を付けたのがフウカの姪にあたる、ルリカ・ダルトワだ。姪であるからもはや他人と同義なほど個体情報は違うが、ダルトワ家の女子はもはや彼女しかいない。これは大きな賭けだった。

フィードバックには「意識」が大きく関係する。だから、ルリカが意識を自ら放棄し、自らフウカを受け入れれば、フィードバックが可能なのではないかという考えである。人間の心というのは複雑で、多くの要因が絡む。死にたいという意識だけで生が終わり、生きたいという意志だけで死からよみがえる事があるように、ルリカがフウカを仲間と思い、身体がフウカの意識を迎えれば、フィードバックは成功するのだ。

アルキスは意識と身体が乖離することによって死亡した例をいくつも調べ、人工現実の世界で人間の意識…心が感じる感覚や、乖離する時間の閾値しきいちなどを調査した。犯罪に近い実験も何度か重ねている。

フィードバック先は確保するとして、まだ問題はある。肝心のフウカの意識が、どこに溶けているのかが分からなかった。確実に「ある」と確信していたが、どうしても再現させることが出来なかった。それらしき意識はあるが、世界の中で活動するような形に再現されないのだ。そこでアルキスはエクスの世界に様々な刺激を与えることを思いつく。

エクスの世界を一般向けのサービスとして公開し、再現の可能性の高いあらゆる刺激を与えたのだ。幾度もシミュレーションをし、性格や年齢、性別、経歴から、もっとも相性の良いプレイヤーを組み合わせた。

すると、サービス開始早々にある異変が起こった。

エクスの世界に、フウカではなく兄であるショウの意識が再現されたのだ。しかしショウは既に死亡しているはずで、それはフウカが実験に使っていた名残だろうと推測される。その直後、ショウの意識に惹かれるように12,3歳程度の姿でフウカが再現される。ショウの意識が再現されてしまったのは不都合ではあるが想定内の出来事だ。しかもそのためにフウカの意識が再現されたのだから、僥倖ともいえる。しかしいずれも姿形と知識のみで、記憶などの再現はされていなかった。

アルキスの部下である女プレイヤー・ユリアナの話によれば、ショウの性格は享楽的で面倒なことは嫌いで、戦闘的。フウカは子供っぽくも主導権を取りたがる性格で、無邪気だ。生きていた頃の2人とはまるで違う。ショウはそもそも真面目で無口な男だったし、フウカは生まれながらの冷酷な女王で、無邪気さは欠片も無い女だ。まるで別人…どころではなく、まさしく別人だ。

しかし別人であっても知識だけはある。ショウはそもそもフィードバック先が無いが、フウカは違う。兄のことも忘れ、冷酷な性格もなりを潜めているのならば好都合だろう。アルキスの計画は狂いなく、実行されるはずだった。

もちろん、そう簡単には行かなかった。ルリカ側の身体はともかくとして、今度はフウカ自身がルリカにフィードバックすることを拒否したのだ。

やはりフウカの記憶を…女王としての意識を取り戻すことが、必須だ。女王として生きる事、兄への執着が、フウカを復活させる鍵になる。

ショウの意識体…セタと名乗る男は、ルイスという女プレイヤーに執心しているらしい。その男女の関わりを見せつければどうなるか。それはユリアナからの助言だった。結果は現状の通りである。

「女王フウカは復活した。女王を邪魔するフウカの名残りも死に、ルリカは何も分からない現状に混乱していて隙だらけだ」

アルキスは寝台で眠るエルフの男ラズ…ルリカの意識体にそっと上掛を掛けてやった。女王フウカは復活して早々、早速アルキスにコンタクトを取ってきた。最初の命令は無邪気なフウカを殺すことだ。次の命令は恐らく、セタの…ショウ・ダルトワの再作成だろう。

「しかし、今度はそう簡単には行かない、フウカ。…この世界はあなただけのものではないのだ」

ショウなど復活できるはずがないが、フウカはそれにこだわっているように見えた。フウカは復活させねばならない。だからこそ、ここは大人しく従っておくべきだろう。

「フウカ、貴女は必ず復活させる。だが主導権イニシアティブは私のものだ」

セタ、フウカ、ユリアナ、そしてラズ。全てはアルキスの手中にある。残っているのは、家族に死なれた女と子供という雑魚が2人だけ。2度とログインしないのであればそれでいい。もしログインしてくることがあれば。

「それほどまでにこの世界が好きならば、セタやラズもろともずっとこちらにあればいい」

トキオから親も親戚もいない人間が2人消えるだけだ。これまでアルキスが行ってきた犯罪まがいの実験とどれほども変わらない。

「世界は君たちのものなのだよ」

思う存分、好きに過ごすがいいだろう。2度と戻れないとしても。