「ん…。」
激しい情交の末に、少し眠ってしまったようだ。葉月の身体がルチーフェロに包み込まれている。どうやら八尾の部屋に戻されたらしい。覚えのある寝台の上で、抱き枕のようにルチーフェロに抱えられていた。少し視線を上げると瞳を閉ざしたルチーフェロの顔があり、その顔を流れる髪は真っ黒で長い。耳の上から長く豊かな羽が生えていて、温かな寝具のようにそれらも葉月の身体を包んでいた。
そっと手を伸ばしてみる。漆黒の羽根は極上の手触りだ。撫でてみると心地よい。今は姿形を変えているけれど、葉月の上司で課長で…そして、魔界の魔王だという。
「ルチーフェロ…?」
さわさわと撫でながら思わず名前を呼んでみた。その瞬間、ざわ…と、羽が逆立ちルチーフェロの身体が声に応えた。
「葉月…俺の葉月。もっと撫でて。」
ルチーフェロの手がいかがわしい動きを始め、何も身につけていない葉月の身体を撫で上げる。ルチーフェロの理性は大方戻ったようだった。我を忘れて葉月を貪った余韻はまだ身体に残っているが、凶暴な欲望は今は大人しい。それでも、あの荒々しい情事を思い出すと興奮し、どれほど抱いても足りない葉月の身体がまた欲しくなる。
「葉月…さっきはあんなにも…」
「ちょっと…あの」
「会社だというのに…前したときよりも濡れていて、」
「か、そ、それ以上言うの…」
「お前のここは、ずっとずっときつくて…」
「あっ…またっ……」
つ…、と葉月の下半身をルチーフェロの指が辿り、思わず葉月の背が跳ねる。
「ちょっと、課長…!」
だが、葉月も負けじと、むぎゅ…と、近づいたルチーフェロを離して、身体を起こした。ルチーフェロもそれに合わせて、起き上がる。
「か、会社の資料庫で…とか、ひどいじゃないですか!」
「葉月?…怒ったのか…?」
「だって、あんなふうにっ…!」
「葉月…。それは…それは、すまない。」
しょんぼり…とルチーフェロの羽根が一斉に萎れた。
「…お前が掴まれているのを見て…我を忘れたんだ。」
「でもっ…戻ってきてすぐ、また…あんなに、は、激しくすること…」
「寝台の上のほうが、お前が楽だと思ったんだ。それに、葉月だってあんなに感じていて…」
ルチーフェロの瞳が熱を帯びる。だが、捕らえようとした手は避けられて、葉月は寝台の端に逃げてしまった。葉月は恥ずかしそうに軽く頭を振って、上掛けを自分に引き寄せる。
「そっ…で、でもでも、一瞬で戻れるんだったら、何も会社でなくてもよかったでしょう?」
「それは…その力すら惜しかった。」
もうこれ以上無い…というほど萎れたルチーフェロは、肩を落として葉月に背を向けた。どうやらルチーフェロはまたしてもやりすぎたようだ。葉月を怒らせてしまった。しかし、あの時は本当に我を忘れた。目の前の葉月がどうしても欲しかったのだ。自分の行為に潤んだ瞳と困惑した顔が愛おしくて、無理やりにでも我が物にしたいという荒々しい欲望は止めることが出来なかった。
大事にしたい。だが、欲しい。愛している、それだけなのに。
「葉月に嫌われてしまったら…俺は…。」
演技ではなくて本気のようだ。本気でしょぼんと肩を落としている。
「な…。」
…なんだろう、この罪悪感。
寝台の上で丸くなっている6枚羽の魔王の背中を見ながら、葉月は言いようのない罪悪感に苛まれた。恥ずかしさから思わず声を荒げてしまったが、決してこんな表情をさせたいわけではないのである。会社のような場所であんなに激しくされるのは困るけれど、この人と抱き合うのが嫌…というわけではないのだ。
「…あ、の、課長…?」
「葉月…?」
しょんぼり顔のまま、ルチーフェロが振り向いた。それを見て、葉月はお礼を言っていないことに気付く。ルチーフェロは自分を助けてくれたのだ。怒ったルチーフェロの気配はとても怖かったが、守ってくれた背中は驚くほど葉月を安心させた。
「那田リーダーから、助けてくれて、ありがとうございます。」
上掛けは纏ったまま身体を近付け、おずおずと礼を言うとルチーフェロが首を振った。そして葉月のよく知る八尾の口調で、嬉しそうに笑う。
「上司としても伴侶としても、当たり前のことだ。」
言葉のくすぐったさに、葉月がうつむく。その表情を追いかけるように、遠慮がちにルチーフェロの手が葉月の頬に触れた。
「会いたくて、触れたかった。」
葉月の様子を伺うように、ルチーフェロが口にする。
あんなに強引に激しく抱いておいて、こんな表情を見せるなんて卑怯だ…と葉月は思う。いつだって強引で、そのくせ一瞬で移動できる能力を持っているのに、この1週間無理やり葉月の部屋に来ようとはしなかった。葉月の会える時間とタイミングに合わせてくれていたのだ。そう思うと、喉がきゅ…と詰まるように切なくなる。
ルチーフェロの頬撫でる長い指に、少し体重を掛ける。その様子を感じて、もう一度ルチーフェロが問いかけた。
「葉月。…怒っているのか?」
「もう、怒ってはいないです、けど…。」
「そうか…よかった。葉月に嫌われてしまったら…」
ルチーフェロが近づいた葉月の身体をやんわりと抱きしめ、抱きしめたまま寝台へ倒れこんだ。不意に引っ張られた葉月は、ルチーフェロの胸の中に受け止められる。羽も心地よさげに動いて、葉月の肌に掛けられた。ルチーフェロのたくましい胸板と葉月の柔らかな胸が触れ合い、肌の柔らかさの違いをもっと味わうように、ルチーフェロの唇が葉月の肩口に小さく吸い付く。
ふと思い出したように、ルチーフェロが苦しげなため息を吐く。
「ともかく、葉月。…もうあんな目には合わせられない。」
「…あれは、仕事で。」
「分かっている。だが、会社だけではない。葉月は1人暮らしだろう。…ほんの僅かでも、何かあったら…。」
「課長…。」
低くなったルチーフェロの気配に、葉月の肌が少し緊張した。それを安心させるようにルチーフェロが葉月の髪を梳く。そうだ、もう目は離さずに側に置かなければ。葉月はずっと自分の腕の中にいればいい。…だが言葉にはせず、ただゆっくりと髪を梳く。こうしていると、触れている葉月の身体から徐々に力が抜けていった。自分の腕のなかで葉月が解けていく体温の、なんと心地よいことだろう。
葉月の髪を梳いている指が少しずつ下りてきて、柔らかな身体の曲線をなぞる。やっぱりこうして触れていると、我慢できない。手は葉月の身体の前に回り、胸のふくらみを撫で上げて、少し硬くなったその上を掠めるように辿る。その度にぴくりと葉月の身体が震えて、自分にしがみついてくる様子が堪らない。
「は…、課長、また、も、う…」
ルチーフェロの手が大胆で、艶かしいものになってくる。葉月の息が僅かに上がり、喉がのけぞる。葉月の唇がルチーフェロの顎に触れてしまい、それを奪い取るようにルチーフェロが自分の唇を重ねて、すぐに外した。
「葉月…こうして触れていると…。」
指とは全く異なる質量のものが、葉月の下半身に触れた。幾度も精を吐いた場所だ。少し胸に触れていただけなのにもう濡れていて、少し力を入れると入りそうで…。
「…んっ…」
く…と力を込めると、先が少し入り込む。それだけで気持ちよくて、ルチーフェロがうっとりとため息をこぼした。
「ああ…葉月。俺の妃。」
「き、さき。」
「そうだ、魔王の。魔界の妃。安心しろ…もう、魔界の全てが認めている。」
「え?」
ひとつになる感覚に溺れそうになっていた葉月を、ルチーフェロの言葉が引き戻した。今、葉月にとって聞き捨てならないことを聞いた気がしたのだ。ルチーフェロは「魔界の全てが認めている」と言った。もしかして、すでに自分の存在は一尋や三羽だけではなく、魔界とやらに知られてしまっているのだろうか。
答えはルチーフェロから投下された。
「お前との性交は魔界を歓喜に満たした。魔界のすべてがお前を俺の伴侶と認めたのだ。」
「せ、性交…?」
葉月がルチーフェロから少し離れる。先端しかつながっていなかったものは名残惜しく抜けてしまい、再び挿れようとルチーフェロが近づく。
「魔王と魔界はつながっている。俺達の感じた悦びが全て魔界に伝わって…ふごぅっ」
…が、ルチーフェロのそれが入る前に、葉月が顔を真っ赤にしてルチーフェロの口を塞いだ。「感じた悦び」…とルチーフェロは言った。まさか、あれを、あれらを、知られてしまったのだろうか。魔界と魔王がつながっている…ということがどういう意味なのか、よく分からない。しかし、2人の行為の様子が知られてしまった…ということならば恥ずかしい、恥ずかしすぎる!
「課長…念のために聞きますが、…それ、どういう意味ですか。」
「ふが、なんだ。」
塞いだ手をルチーフェロから外して、恐る恐る尋ねる。
「もしかして、その…するたびに、分かるんですか?」
「何が?」
「その、し…してることが、魔界?の人たちに…」
葉月の言っていることがよく分からずに、八尾が首を傾げる。
「俺と魔界は直接つながっている。快楽や悦びの魔力が魔界に注ぎ込まれると、魔界も同様に悦ぶのだ。」
「要するに、その、あの、分かるってことですか?」
「何か、問題があるのか?」
魔界に悦びが満ちることの、一体何が悪いのだろうか。魔王の悦びはもちろんのこと、それを引き出し受け入れる伴侶の存在は、魔界にとって祝福すべき存在だというのに。…が、人間の葉月にとって、羞恥心的に問題が無い…と言い切る方が難しい。いよいよ葉月の顔が真っ赤になり、ずるずると後ずさる。
「そ…っんなの、問題があるに決まってるじゃないですか、はずか、恥ずかしい、ですしっ…」
「恥ずかしい…? 何も恥ずかしいことなど無い。愛し合うことの何が恥ずかしいと…」
「そういう問題じゃないんですってばっ…!」
顔の真っ赤な葉月も愛らしい。本当に、なんて罪な女性だろうか。一瞬、うっとりと葉月に見とれたルチーフェロだが、ハッと気づく。そうか…恥ずかしい…か。だが、大丈夫だ。
「大丈夫だ、しているところが見られるわけじゃな…」
「そうじゃなくて…そういうの、知られるの恥ずかしいですし、バレないようになるまで結婚とか無理です…!」
葉月がころんとルチーフェロに背を向けて上掛けを被ってしまった。「葉月、待て!」ルチーフェロが慌てて、後ろから葉月を抱きしめる。機嫌を取るように、顔を覗き込んだり頭を撫でたりしていたが、ふと気づいて、首筋に指を滑らせた。
「…それは、葉月。魔界が分からなければ、結婚してくれるということだな? いまそう言ったよな!?」
「そんなこと言ってませんよ。」
「言った。」
「言ってません。」
「葉月。大丈夫だ、ずっと、飽きることなく愛し合えばいい。」
「は…、はい?」
要するに常に満ち足りた状態であればいいのだ。ずっと、飽きることなく愛し合えばいい。葉月が魔王を愛すれば、そうすれば満ち足りた状態であり続ける。いつとか、何回…とか、そんな瑣末なことは徐々に関係なくなってくるだろう。
ただ乾いたところに急に性欲の悦びが満ちたのは、いただけなかったかもしれない。
「もっとも…お前と初めてしたときは…欲求不満のところに急に力が満ちたから、その…どれくらいよかったか、とか…」
「か、かちょうっ…?」
葉月の瞳が潤んできて、泣きそうな困ったような表情を浮かべている。その横髪に指を伸ばして、一筋髪の毛をくるりと指に巻きつけてみた。すぐにしゅるんと元に戻るが、くすぐったそうに瞳を細める仕草が可愛い。手遊びをしながら、ルチーフェロはさらにあの時のことを思い出す。
「…あと、何回やったか…とかは分かったかもしれない。」
「あ、あの…。」
「そもそも心底好きな女を、初めて抱く時…というのは、あれほどよかったのか…と。あんなにも…興奮したのは俺も初めてで…」
「その、課長…もう、」
「葉月の唇が俺のを咥えたときなどは、…もっとこう、なんというか別の感情が巻き起こって…」
「もう、もう…」
「…で、その興奮というのは魔界に伝わっただろうが…ふごううっ!」
「課長…!!」
いささか興奮気味に語り始めたルチーフェロの口を、葉月が鷲掴みにして塞いだ。
「もう、分かりました、分かりましたから課長、それ以上は言わないで!」
「ふが、はづひ、はづひ(葉月)」
自分の口を押さえた葉月の手を取って、ルチーフェロが笑った。葉月の頬に、ちゅ…と口付ける。そのまま唇が葉月の顔をなぞっていく。瞼の横を通って、耳に触れた。いつの間にか葉月を抱いている身体から羽根は消え、肌の色も元に戻っている。たくましさも顔の均整も変わらなかったが、葉月に触れているのはルチーフェロではなく八尾になっていた。
「好きなんだ、葉月。」
ぺろりと耳を舐められた。そのまま名前を呼ばれると、熱い呼気が妙な感触になって葉月の身体に伝う。
「だから、俺の妻になってくれ。」
「でも、魔界に行くって…。」
「俺がついている。それでも嫌か?」
「そうじゃない、そうじゃなくて…。親にも、周りの人にも、結婚するって言わないといけないし、黙っていなくなるとか無理ですし、…私は、日本人なんですから…」
「親にも同僚にも友人にも言えばいい。八尾高司と結婚する…とな。上司と部下が結婚する。別に不思議なことでも無いだろう?」
「課長と、結婚…。」
確かに、魔王の花嫁…でなく八尾高司の妻となれば、いよいよ躊躇う理由も無くなってしまう。
「それに、魔界に行くことについては…」
葉月が八尾を見上げた。心配そうなその表情は、結婚することの不安ではなく、得体の知れない魔界…という存在についての戸惑いだ。汗ばんでいた身体は今は少し乾き、裸のままの肌が冷えていた。それを温めるように上掛を掛け直して深く腕を回すと、肌の香りが心地よい。
「そうだな、しばらくこちらで過ごしたあと海外に移住する、などということにしておけばいいだろう。その間に少しずつ、葉月に色々教えるから。」
「海外に、移住?」
「安心しろ、魔界も海外も似たようなものだ。…ただし、しばらくこちらで過ごすとなると、定期的に魔界に帰れと言われるだろうが。」
定期的に里帰りして魔界で愛し合えば、それで魔界の重鎮たちは納得するだろう。…ちなみに、側に控える魔族たちに魔王の魔力が全てだだ漏れになるのは防ぎようが無いが、八尾としては非常に賢明なことに、その辺りのことは言わずにおいた。
「その程度であれば、年齢も見た目もごまかせる。10年でも20年でも新婚生活を人間界で楽しめばいい。」
「ちょっと待って、10年ほど新婚生活って?」
「魔界で過ごす俺達の時間に比べれば、10年など瞬きの間ほどだ。ああ…葉月…」
「そ、れ、ってどういうっ…あっ、」
八尾の手が葉月の腰の低い位置に回され、そのままぐい…と引き寄せられた。葉月の手の片方を取ると、そのまま自分の下半身に触れさせる。先ほどからそこは、早く早くと待ちわびているように猛々しい。葉月が思わず、つ…と手を滑らせると、先がぬるりと濡れている。葉月の指の感触にああ…とため息をこぼした八尾は、そのまま葉月に握りこませて、ゆっくりと押し付けた。
「今度は激しくしないから、…ダメか?」
八尾の足が葉月の腰を挟むように絡まり、互いの濡れた部分を触れさせてぬるりと動かした。少しずつ入っていく。熱っぽいが困ったような瞳で、葉月が八尾を見上げた。
だが、すぐに照れたように瞳を伏せる。葉月にだって、もう気付いている。自分が八尾のことをどう思っているか…など。魔王も魔界も今はまだよく分からないが…それでも葉月は目の前のこの人、この存在が好きで、とても大切なのだ。たとえ、得体の知れない魔王という存在であったとしても。
強引で少しずれていて、いつも葉月を困らせる。
そして、いつも葉月と一緒に困った顔をする、この人の。
その手を取っても、いいのだろうか。
「…課長。私、と…」
「ん?」
「ちゃんと、…ずっと一緒に、幸せになってくれますか?」
「葉月。はづき…俺の花嫁…。」
八尾がぎゅ…と葉月を抱き寄せると、つながりあう箇所が深くなる。優しいその感触とともに、魔王が耳元で囁いた。
約束しよう。
未来永劫のその先に、この存在が果てたとしても。
「だから、ルチーフェロ…と…」
「えっと…、高司、さん…。」
そうだな、今はそれでもいい。…そう言って微笑んで、八尾がゆっくりと動かし始めた。高鳴る魔力は今は魔界にも零れず。2人だけが知る悦びへと、変わっていく。