魔王様は案外近くに

従者の日記。

X月吉日

今日は魔王ルチーフェロ様の人間界における婚姻の儀式の日であった。
式の後、2人は人間界の自宅には戻らずにホテルのスイートルームにて過ごしている。

礼節を重んじるルチーフェロ様が花嫁の坂野…いまは、苗字を八尾と改めているが、仕事の便宜上「坂野」を名乗っている…その意思を尊重して人間の慣習に法り、何ヶ月かの準備をして臨まれた。

レヴィアタンなどは、「めんどっちい」とぼやいていたが、坂野の衣装を決めるときなどはそれなりに楽しんでいたようである。魔王様もその日はことさら楽しまれたらしく、夜はいつにもまして激しく魔力を高められていたようだ。よいことである。ちなみに魔王様と魔界は直結しているため、魔王様の情欲が解放された時は魔界に力が満ちる。しかし、坂野に「そういうのを魔界に知られないようにするのが条件」とよく分からない念押しをされたらしい。魔界は既に満ち足りているから、その上にいくら注がれたとてたいして分かりはしないだろう。もっとも、同じ人の界に人として存在し、魔王様の側近くに控えている私達には分かる。そのことは、坂野には話していない。魔王様の誠実なる配慮だ。

本来、課長という人間界における職務に就いておられる身分としては、多くの招待客を呼ぶべきだったのだろうが、同僚達には報告とささやかな宴を開催するだけにとどめた。特に儀式においては招待客という招待客はあまり呼ばず、ごく身近な坂野の友人と家族、そして自分達と数人の魔界の部下が列席したのみである。

神の前に誓う…などという種の儀式もあるらしいが、我ら魔族はそのような馬鹿げた真似はしない。そこで列席者に誓う…という有意義なものになった。これを、「ジンゼンシキ」というらしい。ちなみに魔界においての2人の儀式も、別に執り行う予定だ。ただし、とりあえず10年ほど人間界に滞在するということだったので、我らも側近くに控える。もちろん、新婚生活の邪魔はしないようにせねばなるまい。

婚儀の前の婚約…と呼ばれる期間の間には、ルチーフェロ様も何度か魔界に帰還している。歓喜の魔力を魔界に満たすために、今後も定期的な里帰りをすることになったのだ。魔界にいる間はルチーフェロ様は本性を現し、その姿で坂野と共にいる。その際は、常に無いほどルチーフェロ様の魔力は機嫌がよい。人間界にいるときとは比較にならないほど、極上の魔力が注がれている。

また、魔界では妃を迎えるための準備も入念に行われている。魔王様がこちらに来て短い間に気に入ったものがいくつか、それから坂野の生活に欠かせないものなど、不便のないように用意しているらしい。ここ最近用意されたものはソイラテ…と呼ばれる飲み物や、トーストや珈琲、ケーキなどである。今後も人間が好みそうな食べ物、人間が好みそうな衣装など、さまざまなものを用意する必要がある。そのために数人の魔族が人間界に来て、研究に当たっているようだ。他にも護衛、サポートなどの名目で魔族がこちらの界に来ている。来るのはかまわないが、2人の邪魔をしないように…と念を押しておかなければ。

魔王様と坂野が仲良く並んでおられるのを見ながら、私もそろそろ嫁を娶りたいものだ…などと思った。

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X月某日

ルーちゃんと葉月ちゃんは、新婚旅行に行ってる。行き先は魔界にするか、…などと言って葉月ちゃんを困惑させていたけれど、結局、こっちの世界のヨーロッパってことで落ち着いたみたいだ。ベタだねって言ったら、奇抜なところよりはよほどいいです、だって。ルーちゃん空気読めないところがあるから、葉月ちゃんも大変だ。

行く直前に仕事はがっつり終わらせてたし、繁忙期ってわけでもないからそっちは心配ない。っていうか、僕らにかかれば仕事とか適当に終わらせられるし、距離とか記憶とか関係ないから。

それにしても、こっちの世界の人間には、ほんとにぜんぜん魔力が無いんだね。別の界に行って自分好みの魔力を見つけてくるやつもいるけど、ルーちゃんは魔力が無いのがいいらしい。好きな女から自分の香りがするから、自分のものって気持ちになるんだって。葉月ちゃんに聞かれるとドン引きされそうな理由だよね。ああ見えて、ちゃんと欲望に忠実なんだから。まあ、魔王として安心といえば安心か。

こっちの世界の人間なんて、魔力もないし面白味も何も無いって思ってたけどそうでもないみたいだ。葉月ちゃんも、本当に普通の人間に見えるのに、精神は見事にルーちゃんと並び立ってる。お妃様としては上出来だね。…っていうか、そういう人間が捜せば存在するっていうのが、僕にとっては意外で、新発見だよ。そういう運命の相手がすでにあるのか、それとも好きになるとそんな風になるのか。ベルゼは後者だって言ってる。僕もそう思う。恋に落ちる…なんてことが魔族に起こるってこと、いまだに信じられないけれど。僕もいつか、そんな風に恋に落ちたりするのかな。本当に、信じられないよ。

けどさ、時々人間みたいな弱い生き物に執着する魔族が出てくるのも分かる気がするんだよ。僕らみたいな魔族に比べて、心も身体もあんなに脆いのに、何者をも受け入れてなお自分を保っていられる柔軟な魂は見たことが無い。魔族にとって孤独が無くなるっていうのは、抗えない魅力だものね。そういう意味では、ルーちゃんがすごくうらやましいよ。そして、よかったと思う。

僕にもそういうチャンスがあるとしたら、もちろん僕の魔力を注いで僕好みの女の子にするよ。

あーあ、ベルゼと合コンにでも行こうかな。