第1章 王都へ

[小話] 戦え!ピウニー卿!

※あまり詳細な描写はしていませんが、虫注意。
ダメな方は、「****」まで飛ばしてお読みください。

ピウニー卿とサティが、最初の宿場町に着くまでのお話。


「いやあああああ、無理、もう無理ぃいいいいいいいああああああ」

「サティ、私を降ろせ!」

「だってやだ止まるの無理いいいいいい」

「サティ、私が必ずお前を守るから!」

「……ピウニー、ほ、本当に?」

「大丈夫だ。必ず守る」

「うう……」

頭の上から聞こえるピウニー卿の声に恐る恐るサティは止まると、そっと頭を降ろした。背後から迫る足音に、震えながら振り向く。ピウニー卿はサティを小さな背に庇い、金属の擦れる音を響かせて剣を抜いた。

近づいてくる敵。
ありえぬほど成長したそれは、まさに悪魔。黒い悪魔のごとき姿。

眼前に現れたのは、人の世の台所でよく見かける黒い艶光する羽を持つ、アレだった。

それはおよそ見たことの無い大きさだった。恐らく大将級であろう大きな悪魔と、両脇に従える少し茶色に近い脂ぎった小さな悪魔。
おぞましい。こんなおぞましい姿、サティは見たことが無かった。
否。
見たことはある。そして、その姿に対峙するのをいつも怖れていた。それが現れると、隠れ、震え、嵐が去るのを待っていたのだ。だが、今は、ピウニー卿がいる。頼もしいふわふわの毛皮の背中。彼は竜殺しの騎士なのだ。

ゆらり。

両脇の小さな茶色い悪魔が中に浮く。それを睨みつけながらじり……とピウニー卿が殺気を濃くする。背にひらめく薄い羽を動かし、こちらを伺ってはいるが、あれが恐ろしい機敏さで動くのをピウニー卿は知っている。しかもなぜかあの動きは……予測不能だ。いや、違う。予測不能ではない。あれは、人のおびえる心を……負の心を嗅ぎつけて、もっとも人の恐怖心を煽る行動に出るのだ。女子供を嘲笑うかのように……。それならば、次の動きは。

ぴ……っと茶色い悪魔が動いた。

「サティ、怖いなら目を閉じていろ」

トン……とピウニー卿は後ろ足で床を蹴った。狙うのは……動かなかったほうの悪魔だ。一歩詰めて一気に距離を縮め、剣を横に薙ぐ。剣が触れる瞬間、ぐ……と魔力を放出すると、ジュウッ……と焼け焦げるような音が聞こえ、眼前の悪魔は胴から2つに分かれた。

しぶとく断末魔の動きを見せる切って捨てたほうの悪魔は無視し、す……ともう一匹の茶色い悪魔に視線を移す。思った通り、もう一匹は壁際に貼り付き、サティの頭上を狙っていた。ピウニー卿の髭が戦いの緊張感でぴりぴりと張り、真っ直ぐになった。

「サティ、頭を借りるぞ!」

いまだ目を閉じて、ふるふるしているサティの頭に駆け寄ると、それを足場にジャンプする。壁に張り付く悪魔に剣を向けると、それはヴ……と羽を震わせて、一度ピウニー卿の身体の上へと逃れる。だが、その動きは予測していた通りだ。ピウニー卿は自分の頭上を通りすぎる瞬間、その腹に向かって剣を突き通す。獲物を剣に刺したまま、すとん……とサティの毛皮の上に降りると、ていっ……!と剣を振って悪魔の身体を投げ飛ばした。悪魔が剣を抜ける一瞬に魔力を込める。バシュウ!……と身体から煙を吹きながら、悪魔は地面に叩きつけられ、動かなくなった。

……最後は、大将級……一匹である。

ピウニー卿はサティの頭から降りると、ずっとおとなしくしていた……いや、こちらの動きを伺っていた黒い悪魔の前に立ちふさがった。

じっとりとした重い空気。張り詰めた緊張感が2者の間に落ちる。

均衡を破ったのは黒い悪魔だ。ピウニー卿の耳がぴくりと動き、悪魔の動きに合わせて身を翻す。
黒い塊がふっ……と宙を舞った瞬間、ピウニー卿の視界に茶色い悪魔の下半分がうごめいたのが見えた。そちらに一瞬だけ、本当に一瞬だけ、気を取られた。その隙に……!

「い」

「しまっ……」

「いやあああああああああああああああああ!!!!!」

あろうことかサティの方向に、黒い悪魔が飛んできたのだ。サティの頭を黒い悪魔が掠める。目を閉じていても分かる、その風圧のなんというおぞましさ。サティの毛皮がこれまでにない勢いで膨らみ、四肢を突っ張り垂直に跳んだ。その動きにたじろいだのか、黒い悪魔はサティを避けるように地面に降り立ち、ピウニー卿の方にカサカサと近づいてくる。いまだ!……ピウニー卿が前足の剣を構え直し、敵へ跳躍した。

<ニータ・ヴィ・ラニマーク!>(雷撃の鞭!)

「えええ」

バチーン!
黒い悪魔とピウニー卿の間に、小さな雷撃が落ちた。

<ニータ・ヴィ・オーン!>(炎の鞭!)

「あの、サティ」

ジュウ!
黒い悪魔に赤い熱線が走り、ピウニー卿の足元が焦げた。慌ててピウニー卿はサティの足元に駆け寄る。

<オーン・エ・カシュリク!>(炎の刃!)

「サティ、ま」

<オーン・エ・ラュカ・セオーム!>(炎よ燃えさかれ!)

「お、サ、」

<ラニマーク!ラニマーク!オーン!ラニマーク!>
(雷とか雷とか炎とか雷とか!!)

「あぶな、」

雷撃やら炎やら、小さいながら、すごい数の魔法弾が打ち込まれて黒い悪魔は跡形も無く消え去った。ようやく静かになり、サティはぜえはあと息をつく。

「サ……サティ……?」

ピウニー卿の呼びかけに、ぎぎ……っ、と首を傾けたサティが、半眼でこちらを見ている。ピウニー卿の髭が再びピーンと緊張し、ふかふかの毛皮が倍くらいに膨れた。怒られる。一匹サティのところに逃した罪で確実に怒られる。ピウニー卿は覚悟を決めた。この女魔法使いに、逆らっては、いけない。

だが、サティの行動はピウニー卿の予測を超えた。

かぷっ。

サティはピウニー卿の身体を咥えると、一目散に走ったのだ。

「な、待て、サティ、サティーーーーーーーーー!!」

****

バシャバシャバシャ……。

小さなセピア色の猫が、せせらぎに顔を突っ込んでいる。

「うっうっ……」

「あの……サティ、もう多分綺麗になったと……浄化の魔法も使ったんだろう?」

「そうだけど、そうだけど違うの! そういう問題じゃないの! ピウ……頭もちょもちょして!」

「もちょもちょ?……あ、ああ」

サティはずずいと濡らした頭をピウニー卿に差し出す。差し出されたピウニー卿は、人間の髪を洗うように、そのセピア色の毛を前足でもちょもちょと撫でてやった。ピウニー卿の身体は小さいので、前足が毛に埋まる。もちょもちょが終わると、サティは再び頭をざぶんとせせらぎに突っ込み、ぷるぷると振る。

「ピウ!」

「お、おう」

再び、ピウニー卿はサティの頭をもちょもちょと撫でた。終わると、再び頭をざぶんとせせらぎに突っ込み、顔を上げるとぷるぷると頭を振って水を飛ばす。

「……もう、大丈夫か?」

恐る恐るピウニー卿がサティを覗き込むと、明らかに耳をしょぼんとさせて、せせらぎから少し離れたところに丸まった。

「あんな……あんな、もうお嫁にいけない……」

「よ、嫁っ?」

すんすんと涙声のサティ。サティは虫が嫌いなのか……。まあ、あの悪魔は虫の中でも魔王もかくやと謳われた嫌われ者だから仕方がない。とはいえ、こんなに弱ったサティを見るのは初めてで、ピウニー卿はサティの頭に近寄ると、よしよしと頭を撫でてやった。ピウニー卿は前足を口元にあてて、コホンと咳払いをする。

「あー、サティ? 嫁なら私が……」

がばっ!……とサティが起き上がる。

「ふ、ふおおお!?」

勢いあまってピウニー卿が後ろに転がった。

「古のことわざで、1匹見たら30匹って言うのよ確か」

「あ?……あ、ああ。だがアレだけ走れば大丈夫だろう。……それよりも嫁の話だが、」

サティは、ピウニー卿の言葉は聞かず、その小さな身体をパクリと咥えた。

「サ、サティ? サティーーー!! 落ち着けーーー!!」

サティは猛烈なスピードで駆け出した。
ピウニー卿は風を切りながら決意する。

サティに虫ダメ、絶対。