第2章 騎士の矜持

018.いや、なんでもない

「……ということで、師匠の杖を引き取りに来たのと、私の杖が壊れたので新しいのを作ってもらいたいのです」

思いがけず、旅の道中で杖の賢者と出会った2人は早速事情を話した。呪いがどのように解けたか……という点については、うやむやに誤魔化しておく。杖の賢者と呼ばれている男は、杖の魔術を極めているという割りに戦士のような体格で、人間に戻ったピウニー卿よりも少し背が高いくらいだった。ひどく無口でほとんど話さないため、こちらの事情を信じているのかは分からなかったが、少なくとも、サティの正体については疑ってないようだ。

サティは杖の賢者に幾度か会った事がある。理の賢者の杖は、杖の賢者が作っていて、その関係で、よく理の賢者の元に来訪していたのだ。自分が魔法使いになったころにも、杖を作ってもらった。杖を作ってもらうのは初めてで、どういう注文をつければいいのか良く分からず、材質だけ伝えた覚えがある。どちらかというと内弁慶だったサティは、無口な杖の賢者は苦手だった。ちなみに、杖を作ってもらうとき以外で言葉を交わしたことはほとんど無い。

杖の賢者に出会った荒野から1日ほど進むと、杖の賢者の館にたどり着いた。

杖の賢者の館は2つほどの工房が連結したかなりの規模の館だったが、杖の賢者のほかに人はいないようだ。いくつかの部屋があり狭くはなく、その部屋のどこにも、1m~1.5mほどの様々な木の棒、なぜか剣や槍などの多くの武器が置かれていた。

そして現在。ピウニー卿とサティは、猫とネズミの姿のまま杖の賢者に対峙している。テーブルの上に案内され、お行儀がいいとは言えないが、案内されるまま座った。

杖の賢者は、サティの話を聞くと大きく頷いて、席を立った。部屋の片隅に置いてある1.5mほどの木の棒を手に取り、2人が座っているテーブルの上に置く。サティはふんふんと鼻を寄せ、前足でちょいとつついた。

「ナナカマドに赤い絹の飾り紐。黒水晶の根付。……確かに師匠のものです。受け取りました」

サティが何事か呪文を唱えると、理の賢者の杖が、ふ……と消えて、一瞬だけサティの首に下がっているグリーンの石が小さく光った。サティはその様子に一息つくと、再び杖の賢者を見上げる。

「……それで、私の杖なんですが」

サティの言葉が言い終わる前に、杖の賢者は腕を組んで首を振った。それを見たサティの毛皮がぶわと逆立ち、一瞬で退く。その様子を見たピウニー卿が、抗議の表情をネズミの顔に浮かべ、サティを庇うように立つ。

「杖の賢者殿、サティの杖は……」

ピウニー卿の眼前で、杖の賢者が指でトン……とテーブルを弾いて鳴らした。

「休め」

杖の賢者の細い目は相変わらず無表情だったが、その声は落ち着いていて、穏やかだった。ピウニー卿は、「ああ……」とこげ茶色の瞳で杖の賢者を見上げた。その表情を束の間見据えて、溜息を吐くように髭を撫でる。ピウニー卿は頷いて、サティを振り向いた。

「……でも!」

「サティ、落ち着け」

ピウニー卿は、思わず声をあげたサティの前足をそっとさすった。そうだった。サティはモグラネズミの集団から逃げた後、耳も尻尾もしょんぼりと萎れ、元気が無かった。毛皮だけは浄化の魔法で綺麗にしていても、疲労を拭いさることは出来ない。サティの疲れた身体を抱き上げて運ぶことの出来ない非力なネズミの心苦しさに、ピウニー卿の胸が痛んだ。

「ここは賢者殿の言う通りだ。……いずれにしても、杖はすぐに出来るものではないだろう」

サティががっかりと頭を落とし髭が下を向いてしまったが、それ以上強情を張るつもりはないようだった。サティは起こした身体を、お座りの格好に戻して大人しくなった。

****

サティとピウニー卿は、杖の賢者の家で2日ほど滞在して身体を休めていた。出来る限り人間の姿に戻り、戻ったときには賢者の家の用事を済ませる。サティは家事を、ピウニー卿は馬の世話や剣の手入れなどをしていた。杖の賢者自身は、作業場に潜って食事の時間しか出てこない。弟子もいないようだし、1人の時は一体どうしているんだろうと、ピウニー卿は首を捻った。

そんなピウニー卿の疑問に、サティがさらりと答える。

「杖の賢者、奥方がいるから」

「ええっ」

あの無口な杖の賢者に奥方がいるというのは衝撃だった。だが、居るとしたら、一体どこにいるのだろう。再び首を捻る。ただ、サティは杖の賢者の奥方には会った事が無かった。その話は師匠である理の賢者から、イヤというほど聞かされていたが。

「知らない? 杖の賢者の奥方は……」

サティのその言葉が言い終わる前に作業場の扉がバタンと開いた。細い目の男は、サティの方を向いて口を開く。

「材質を」

今は猫のサティの尻尾がピン……と立った。耳が杖の賢者の方を向く。杖の賢者の言う一言は短く、しかも返答のチャンスを逃すと次の機会がいつ来るかは分からないというスリリングさがあった。サティは、即答する。

「トネリコで」

それを聞いた杖の賢者の細目がクワッ……!と見開いた。サティとピウニー卿の毛が一気に逆立つ。部屋に一気に落ちた謎の緊張感に、歴戦の戦士であるピウニー卿もさすがに動揺した。杖の賢者と見えたことがあるだろうサティも、毛皮が膨らんだままだ。サティは思わず尻尾でピウニー卿の身体に触れた。

「雷に打たれて折れたトネリコで」

杖の賢者が目を見開いたまま、サティをじっと見つめている。……サティも毛を逆立てまま、杖の賢者に瞳を合わせる。別に取って食われるわけではないのだろうが、取って食われそうな雰囲気が部屋の中を支配している。重苦しい。杖の材質についてピウニー卿は詳しいわけではないが、ここまで緊張感を演出する必要があるのだろうか。得体の知れない敵と対峙しているような強張りは、杖の賢者の瞳が細目に戻ったところで解かれた。

「無い」

「え」

「森へ」

「……取りに行けば作っていただけますか」

杖の賢者はゆっくりと頷いた。

「サティ、トネリコでなければならないのか?」

「ピウニー!」

「え?」

ばっ……!とサティがピウニー卿を振り向いた。サティの瞳が輝き、ピウニー卿に触れていた尻尾が、ぱたんと元気よく動く。

「うん! 以前はアオダモだったんだけど、折れた感触だと私の魔力の負荷に耐えられないみたいだった。トネリコはアオダモに近いし魔力の蓄蔵がより強いから、一度作ってみたかったんだよね」

サティがうっとりと話し始める。杖の賢者がなぜか、ふむふむと頷いている。

「それにね、ピウニー、雷で分たれたトネリコの木は、それだけで高い魔力の媒体になると言われているの。私が作ったら芯になる魔法の属性は全種類網羅くらいはいっときたいし、100種類くらいは古魔法の基礎入れたいでしょ? 」

「あ、ああ。なるほど……?」

「分かる? やっぱり? ……でね、あと、元々入れてたやつには自家製魔法陣がやっぱり150種類くらいは入ってたんだけど、今度はもうちょっと魔法陣を頼るんじゃなくて、イメージを元に魔法が形成されるような術を形成してみたいのよ!」

「あの、サティ」

サティの熱弁にピウニー卿は後ずさった。どこかいいところでとめないと、いつまでも続きそうだ。

「そうなると、魔力の負荷がかなり杖にかかってくるの! だから、アオダモだと若干耐えられないかなって思うのよね……。それにやっぱり、しなり具合もトネリコの方が高いし、何より柔軟なのね。柔軟っていうことは、術者のイメージに対する対応力も高いってことで……」

「サティ、分かった。分かったから。……そのトネリコの木材を取りに行くのだな、私も行こう」

「本当に? ピウニーも一緒に来てくれる?」

「当たり前だ。サティ1人で行かせるわけにも行かないだろう」

「ありがとう、ピウ大好き!」

サティの言葉に、収まりかけていたピウニー卿の毛皮がぼふん……と膨れた。杖の賢者はそれに気付いたが、眉を少し動かしただけである。ごろごろと喉を鳴らしながら、サティはピウニー卿の丸い身体に顔を摺り寄せる。トネリコの木の話に夢中になったテンションそのままにさらりと言ったが、サティは自分の言葉がもたらす効果は全く考えていなかった。ただただ、なんてピウニー卿は優しいんだろう!……と、サティはご機嫌だ。 残念なことにピウニー卿が期待しているような意図はその声色には無く、それが一瞬で知れてピウニー卿は複雑な気分だった。

「よし、それなら行こう今すぐ行こう。黒の森に確かありましたよね?」

サティは瞳を輝かせながら、トン……とテーブルを降りた。タタタと床を駆けて、扉の前で振り向く。

「おい待て、サティ」

準備があるだろ準備が……と言いかけて、止まる。大柄な杖の賢者が黙ってサティの身体をすくい上げたのだ。杖の賢者は片方の手でやすやすとサティを持ち上げ、すとんとピウニー卿の隣に運んだ。それを見ていたピウニー卿の胸が再び騒ぐ。……自分の身体が呪いによってネズミになり、満足にサティを守ることが出来ていない現状は、常に棘のように心の奥に刺さっていた。小さなネズミの身体は、しなやかなサティの猫の身体に比べてとても小さく非力に思える。ああやってサティを止めたり守ったりする手が、なぜ自分ではないのだろう。

早く呪いを解いて元の姿に戻らなければ。……ピウニー卿は髭を落しかけたが、ふる……と頭を振って、己を叱咤した。

「杖の賢者殿。……準備が出来たら、サティと共に黒の森に行ってきます。……それから、サティの杖を作ってもらっても?」

ピウニー卿の問いに杖の賢者は再びゆっくりと頷いた。そして、黙って部屋を出ていった。

サティの耳が落ち込む。ピウニー卿はそんなサティの前足を撫でた。

「部屋に戻るか。準備は明日にしよう」

「うん……」

……ピウニー卿がそう言うとサティは渋々返事をして、頭を低くした。だが、ピウニー卿は一瞬そこに乗るのを躊躇った。

「ピウ?どうしたの?」

「いや……」

こんなところでつまらない意地を張っても仕方が無いと分かってはいる。ピウニー卿はサティの頭の上に乗った。自分の思いがどうあれ、乗り馴れたサティの頭の上は温かく、毛皮はふわふわとしていて柔らかい。

サティはピウニー卿が乗ったのを確認すると、トントン……とテーブルを降りて、寝床をしつらえている部屋へと戻った。

****

サティは籠にクッションを敷いている寝床に入ってからも、ずっと身体を起こして窓の外を見ている。よほど杖の材料を取りに行きたいのか……と、ピウニー卿は苦笑した。

「よほど、トネリコの素材がよいのだな、サティ」

「トネリコじゃなきゃダメ……っていうわけじゃないんだけど、どうせ作るならいい材料で作ってみたいの。……我侭かな」

「いや、我侭ではなかろう。私も剣を作るときには、随分と我侭を言った覚えがある。杖の賢者殿もかまわないと言っているのだ。どうせなら思うままの杖を作ったほうがよかろう?」

「うん。ありがと、ピウニー」

礼を言われて、ピウニー卿はむずがゆい気持ちになった。人間であれば照れた表情がバレたかもしれない。ピウニー卿はサティの前足に触れたまま、身体を丸くする。

「サティに杖か……」

「何?」

「いいや。一層、サティの魔法に磨きがかかりそうだと思っただけだ」

「……な……、そりゃ、杖があったら元通りの魔法が使えるもの。今なんて、ちょっとしか魔法使えないし」

「そうか?」

サティの声にピウニー卿が首をかしげる。

「ピウは、剣があるじゃない。人間になってもネズミになっても使えるなんて、正直すごいと思う」

「そうなのか?」

「そりゃそうよ、質量を変えてるのよ? どういう仕組みになってるのか、すごく気になる」

言われてみればその通りだ。自分の大きさに形を変えるこの剣は、確かに特殊な出自の剣ではあったが、身体の大きさに合わせて質量を変える……などという効果があるとは聞いたことが無い。だが、ピウニー卿は魔法にはあまり詳しくは無い。何故なのか……などは、あまり気にしたことが無かった。

「お前もきちんと魔法を使えているだろう」

「でも、致命傷を与えているのはピウの剣だよ。……私、虫見るとダメだし、大きな魔物になったら私の魔法じゃ、変に魔物を刺激するだけだわ」

それは確かにそうだった。そう幾度も無い襲撃で、大体止めを刺すか、追い払う一撃になるのはピウニー卿の剣だった。やはり、剣を刺し込み魔力を通す効果が高いのだろう。また、ネズミのサイズであっても、急所に剣を刺せば敵を動けなくすることは出来る。一方、サティの魔法は見た目は派手だが、ほとんど敵に致命傷を与えることは無い。一度、虫相手に効果的面だったことはあるが、それが精一杯。このため、サティは自分の魔法が浄化の魔法くらいしか役に立っていないことに、いつも引け目を感じていたのだ。

ピウニー卿はサティの前足を撫でてやった。

「それを言うなら、私は身体も小さいし、いつもサティに乗せて運んでもらっているではないか」

サティは寝床に丸くなると、自分の足元に来ているピウニー卿が首元の毛皮に埋まる。ピウニー卿を前足で囲い込むと、その毛皮のふわふわを堪能した。

「でも私がもう少し小さかったらピウの毛皮堪能できるのに……」

「サティが小さかったら?」

「そうよ。ピウニー卿と同じくらいだったら」

ぶつぶつとサティが何事かを言い始めた。……ピウニー卿が大きかったら、ではなく、同じくらいだったら。ピウニー卿はこそばゆい気持ちになった。

「ピウ……ひげ、ひげ揺らさないでくすぐったい」

「勝手に揺れるんだ、仕方が無いだろう」

「いい歳なんだから落ち着きなさいよ」

「落ち着いておる」

「ふーん」

「サティ」

「ん……?」

「人間に戻ったら……、俺はサティと……」

……言い掛けて、ピウニー卿は気付いた。

「サティ?」

「ん……」

サティの声はとろとろとまどろんでいる。ピウニー卿が喉元にいる体温に安心しているのか、喉がごろごろと鳴っていた。

「いや、なんでもない。おやすみサティ」

そう言って、ピウニー卿はサティの毛皮をふかふかと撫でた。