第2章 騎士の矜持

021.プライベート的なって何?

ひとしきり語ったあと、天へと飛び去ってしまった魔竜を見送りながら、ピウニー卿はため息をついた。あのように言われても、やはり心の中では割り切れないのだろう。魔竜の飛び去った方向を見つめるピウニー卿の横顔を、サティはそっと伺った。

ふわふわの小さなネズミの時とは違い全く可愛くないが、整った横顔は力強くて凛々しい。無造作な無精髭も、硬そうな首筋も、この人が自分とは全く異なる男という生き物なのだということを思い知らされる。

そんな横顔を見ながらサティは考える。……ピウニー卿と魔竜との戦いの様子を、初めて聞いた。魔竜の最後の咆哮を防ぐ為に、自分を犠牲にしようとした正義感の強い騎士。それがピウニー卿。よく考えてみれば、「竜殺しの騎士」という2つ名で国王の信頼も厚い、武家の名門の長子なのだ。

この旅が終われば、この人も再びそういった戦いに戻るのだろうか。そうなれば私も元通り理の賢者の元で弟子生活に戻るし……、そうか、離れることになるのか。一緒にいて当たり前みたいになってたから、そんな事態など考えたことも無かった。……それに、何よりも……。また、己の正義感に従ってこの人は戦いの最中に危険な真似をするのではないだろうか。自分のいないところで?……複雑に絡み合う思いがサティの胸に一気に降りてきて、思わずピウニー卿の腕を掴んだ。

「サティ?」

腕を掴まれたピウニー卿が、我に返ったようにサティを見下ろした。「どうした?」と首を傾げる。どうした……と言われても、上手く言葉に出来るはずがない。困ったようにうつむいたサティは、誤魔化すように全く別のことを答えた。

「……ト、って」

「ん?」

「プライベートって何?」

「え」

「魔竜の言ってたプライベート的なって何?」

一瞬、魂がさようならしかけたが、そこはさすがに騎士たるピウニー卿。我に返って首を振る。

「何も無い。そこを蒸し返すな」

「蒸し返してはいないよ」

「気にするな」

「気になる」

ねえねえと腕を引いて首を傾げてみせる。精悍な顔が慌てふためき、上目遣いのサティに気圧されるように仰け反っている。そんな2人に、こほんと咳払いが聞こえた。

「なあ、あんたら、こんなことしている場合かい? もうちょっと進めば森の端だ。崖がある。トネリコが生えてるのはその手前くらいだろう。気をつけて行くよ」

剣の賢者の声に、ピウニー卿とサティは顔を見合わせた。

「そうだ!……早くトネリコの木を見つけるぞ、サティ!」

キイィイイイキィィィ……。

話題が逸れたことに安心してピウニー卿がサティを振り返ったそのとき、奇妙な声が聞こえた。ザア……ッ……と再び森の木々が震え、魔竜の魔力とは別種の……今度こそ、明らかに攻撃の意志を持った特殊な魔力の気配がする。ピウニー卿はサティを背に庇い、剣の賢者は自分の愛剣の柄を掴む。

茶色の毛皮に虎のような太い足、顔は醜悪な猿で、揺れる尾は蛇……放つ力はどうみても魔物であろう生き物が、3人の眼前に姿を現した。

「……ヌエ、か。手強いな」

放つ魔力は雷を呼ぶ……といわれている、珍しい魔物ヌエ。普段は滅多に人の前に姿を現すことの無いその魔物は、いざその魔力が攻撃に回れば脅威だ。そして、どう見ても、眼前の魔物が大人しいとは思えなかった。大きさは馬より一回り大きいほどはあろうか。

「来るぞ……。サティ下がれ」

「でも、ピウニー……」

「いいから!」

キイイイイイ!!

ピウニー卿がサティを一歩下がらせたと同時、鳴き声を上げてヌエが跳躍した。ピウニー卿は腰の剣の柄を握……。

剣が無い(まさかの)

「……くそっ、魔竜か!あの魔竜か!……私の剣がーーーー!!」

ピウニー卿の咆哮が森の中に響いた。魔竜が復活したことによって、ピウニー卿の剣は跡形も無く、消え失せたのだった。

****

ピウニー卿はサティの腕を引っ張り身体を木に押し付けるように庇う体勢を深くすると、腰の後ろに装備していた短剣を抜いた。魔力を送れば折れてしまうだろうが、一撃分くらいは保つだろう。一気に引き抜き、眼前に構える。

大きいために動きの鈍いヌエの一発目は逸れる。だが、2発目を狙うヌエは真っ直ぐピウニー卿を見ていて、キキィ……と小さな鳴き声を上げている。ヌエの頭が下がり、蛇の尾がこちらを向く。

キキッ……キイイイイイアアアアアア!!

跳躍!

……ピウニー卿が一歩踏み出し、ほとんど体当たりの体勢でヌエの前に踊り出る。

「悪く思うなーーーーー!!」

ドーン!

ピウニー卿の短剣が届くよりも前に、ヌエの横腹が衝撃を受けて胴体が吹っ飛んだ。衝撃の源には、登場したときと同じ蹴りの構えを取った、剣の賢者。

「剣無しで何やろうってんだい。ピウニー、これを使いな!……魔法も使える」

「かたじけない!……サティ、お前は向こうへ」

剣の賢者は背負った剣の一本を鞘ごとピウニー卿に向かって投げた。それを受け取ると短剣を元に戻し、ピウニー卿はサティを剣の賢者の方へと押しやる。すぐさま鞘から剣を抜いた。

「ピウニ……!」

剣の賢者もピウニー卿の側に来て、サティを背に構える。杖の無い自分がもどかしく、サティは唇を噛んだ。……だが、サティは思い当たって顔を上げる。杖、あるわ。一本、世界で一番扱いにくいヤツが。……自分の魔力に適合させていない他人の杖を使うのは、基本的に過剰なバランスを生むか、まったく力が足りないかのどちらかだ。そもそも、杖に封じているオリジナルの魔法は呪文が分からなければ使えない。が、サティが思いついた杖には、サティも知っている呪文も込められているはずだった。魔力のバランスが心配だが、贅沢は言っていられない。

<アーイェク・オ・イラウォート・オ・イェート>
(理を司る賢者の杖よ)

その魔法語を理解した剣の賢者が、ハッと顔を上げてサティを振り返る。

「おいおい、サティ、それは……」

「……サティ?」

怪訝そうなピウニー卿と、剣の賢者、2人の言葉を無視して、サティは呪文の続きを唱えた。

<イハシュ・オ・ト・グレン!>
(緑石より出力せよ!)

サティが首から掛けているグリーンの石が光り、その眼前に現れたのは、ナナカマドの木で出来た理の賢者の杖だ。サティが杖を掴むと、バチ……と小さな魔力が弾ける音がした。チクリと手のひらに痛みが走るが、掴めないほどではない。

「うっわ、師匠の杖、バランスわる」

「サティ、下がっていろと……」

「ピウ、私も一応魔法使いの端くれなんだから、バカにしないで」

……どこかで聞いたことのあるような台詞に、ピウニー卿は言葉に詰まった。

「……バカになどしておらん。だが、」

「来るよ!……サティ、あんたその杖使う意味、分かってるんだろうね」

「すみません、2撃目のチャンスを無駄にして。……援護に徹します」

「聞いてるのかい!」

剣の賢者が構える。……ピウニー卿は、相変わらずサティの様子が気になるようだ。だが、腹を蹴られたヌエが起き上がり、頭を振ってこちらを睨むのを見て、意識をそちらに向ける。

「分かってます」

剣の賢者の言葉に、サティは頷いた。師匠の杖のバランスが悪いのは……

キィイイイイイイイ!!

起き上がったヌエが跳躍する……と思った瞬間、天に向かって吼えた。剣の賢者とピウニー卿が地面を蹴り、それに重なるようにサティが呪文を唱える。

<オグウィーブ・ネツァナク・オ・アーラク・ウォハーマ!>
(魔力が生み出す力より完全なる防御!)

バチバチ……と、指が焼け付く。唱えたのは魔力に対する完全防御だ。座標はピウニー卿と剣の賢者、そして自分。サティは自分の身体から魔力が吸い取られるように一気に無くなるのを感じる……不味いな、と思った瞬間、ものすごい脱力感が身体を襲った。

師匠の杖のバランスが悪いのは、サティの魔力を超える……国でも最も上質の魔力に適合した杖だからだ。下手に使ったら魔力が一気に放出されて、さらに体力が魔力に置換される。自分の魔力が完全に戻っているならまだしも、3分の1しか使えないサティにとって、この杖を使うということは確実に体力を削られることを意味する。だが、それを悟られないように、サティは杖で身体を支えた。

ヌエの咆哮は、魔力の雷を呼んだ。細かい雷の矢が無差別に降り注ぎ、周辺のいくつかの木が音を立てて割れる。だが、3人の身体は無傷だ。魔法の効果を受け、剣を構えた2人は雷を無視して一気にヌエに距離を詰めた。剣の賢者は前足の付け根を、ピウニー卿は身体を低くし喉下を狙う。ヌエは身体をよじり、ピウニー卿の斬撃をかわしたが、剣の賢者の一撃が腹を掠め、ピウニー卿は避けたヌエの動きに合わせてさらに斜めに踏み込んで身体ごと剣を押し付けた。

ギイイイイイイアアアアアア!

耳を塞ぎたくなるような鳴き声。ヌエは自分の身体にピウニー卿の剣を刺したまま、頭を振り上げた。ピウニー卿は剣から手を離さない。振上げられるままに身体を翻し、ヌエの背に掴まると、刺さった剣に魔力を込める。剣の賢者はヌエの後ろ足を斬り付けると、再び剣を構え直した。

後ろ足と肩を傷めてガクンと揺れたヌエは、キキィィィ……と涎を垂らしながら……、

……サティを、見た。

再び跳躍!

「サティ!」

「……きゃ……!」

急に大きく揺れたヌエの背で、突きたてたままの剣を握ってピウニー卿は身体を支える。思い切り剣を引いてダメージを与え、ヌエの突進のスピードが落ちたことが幸いした。バランスを崩して後ろに倒れたサティは、襲い掛かってくるヌエに向かって杖を横に倒して突き出し、防御の構えを取る。

<オグウィーブ!>(防御を!)……必死に放った呪文は短いが、杖の方針によって、込められる魔力と威力は最大級だ。防御の魔力に弾かれて、ヌエが後ろに大きく弾き跳ばされる。

「ピウニー、耳の後ろが急所だ、そこを狙いな!」

剣の賢者は叫びながら倒れたサティの下に駆け寄り、その身体を庇った。剣に掴まり揺れを堪えたピウニー卿はもう片方の手で短剣を抜き、……ヌエの耳元に向かってそれを突き立て……短剣が崩れ去るほどの魔力をそこに込めた。