第2章 騎士の矜持

[小話] アルザス家の場合

その日、白翼騎士団団長アルザス伯爵パヴェニーアは久々の休日だった。妻のセシルに請われ、市街を買い物に付き合っている。従者などはつけず、2人きりだった。パヴェニーアの妻セシルは、緩やかにウェーブした綺麗な栗色の髪をした、細身の可愛らしい女性だ。厳ついクマのようなパヴェニーアと並ぶとまさに美女と野獣で、その組み合わせは目立っていた。目立っていたが、腕を組み、仲睦まじく歩いている様子は誰も口を挟めない。

「あなた?……行きたいお店があるの」

「……む、珍しいなお前が」

普段は決して我侭をいわないセシルは、贅沢もほとんどしない。伯爵夫人として必要な程度に身の回りを調えているが、よく聞くような、貴族の妻だからといって増長して贅沢三昧をするような女ではないのだ。パヴェニーアの腕に自分の腕を絡め、まるで若い恋人達の街歩きのような感覚が楽しいらしく、セシルは上機嫌だった。

「あのお店よ」

「……あ、……あの店か……!」

パヴェニーアの顔が赤くなる。そんなパヴェニーアを見て、セシルは嬉しそうに夫の太い二の腕に体重を預けた。

「こっそりお願いしてたものがあって……」

「お願いしてたもの?」

「そう」

「なんだ?」

「秘密よ」

うふふ……と笑う、愛らしい妻の笑顔にパヴェニーアの顔も笑顔になる。クマの顔が笑顔になると、楽しいから人一人狩ります……くらいな怖さだったが、セシルから見たら魅力的な夫の笑顔だ。2人がそんな風に笑いあいながら歩いていると、やがて目的の店にたどり着いた。

「いらっしゃいませ!……これは、アルザス伯爵、いつもありがとうございます」

「うむ。気にするな……」

幸いなことに店内にはパヴェニーア達以外はおらず、顔なじみらしい店主はカウンターから何かを取り出した。

「奥様、お伺いしていた品物……このようなものならありましたが……いかがでしょうか」

「まあ!……ねえ、あなた、見て!」

「……おお!……これは……!」

店主が取り出したのは、綺麗な金色ネズミのふわふわしたぬいぐるみだった。

****

セシルはうっとりとしながら、そっとネズミのぬいぐるみを両手ですくった。実物大で、しかもふわっふわのさわり心地。きゅ……と両手のひらに包み込むと、柔らかくてセシルはうっとりする。

「きんくまはむすたーという愛玩用のネズミのぬいぐるみです。どうです、リアルなのにこの愛くるしさ」

「……セ、セシル!」

金色の毛皮は、パヴェニーアにあの人を連想させた。

死んだと思っていた兄が帰ってきたのが、つい先日のような心地がする。ただし、その兄は金色の毛皮の愛くるしいネズミになり、セピア色の綺麗な毛皮の猫を連れていたのだった。……ああ、あのふわふわの細やかな毛皮……。兄を運ぶためにそっと手の上に乗せたときのあの感触は忘れられない。自分の上着のポケットに入れてそこから小さく顔を出したとき、両前足でポケットの端を掴み、Yの字の口元を忙しなく動かしながら顔をきょろきょろさせていた、あの愛くるしさといったら悶死するかと思った。しかし、残念なことに兄は何度頼み込んでも、腹のふかふかを触らせてはくれなかったのだ。

……そして今。

なんとその兄にそっくりのぬいぐるみが、妻の手で抱きしめられているではないか! ……なんということだ。正直に言おう。可愛いネズミを抱きしめている妻が可愛い。いつも可愛いがさらに5割増しだ。パヴェニーアは可愛いもの、愛らしいものが好きな男なのだ。

「まあ、あなたったら、ぬいぐるみに嫉妬しているの?」

「ちがう。(ネズミを抱きしめている)お前が可愛い」

「……やだ、貴方ったら。もう、しょうがないわね」

セシルは頬を赤らめながら、はいどうぞ、と、ネズミのぬいぐるみをパヴェニーアの大きな手にちょこんと乗せた。

つぶらな瞳、Yの字の口元、ふわふわの毛皮、小さな前足、今にも動き出しそうな髭……くそっ、なんという愛くるしさ! パヴェニーアは指でそっと、ぬいぐるみの頭を撫でてみた。撫でている夫の手をそっと包み込み、セシルが見上げる。

「あんまり撫でていると、お義兄様もサティさんも怒るかしら?」

サティはピウニー卿の毛皮をセシルから守るため、彼を自分の毛皮の中に隠したことがあったのだ。前足で小さなネズミを抱え込む猫の姿の可愛らしさは、かなりの破壊力だった。2人はしばしの間、その姿を妄想する。

「セシル! ……ああ、あの姿は俺も見たかった……。けれど、兄上がサティ殿を庇って剣を振るう姿もまた……」

「……私も、そんなお義兄様の勇姿を見たかったわ」

「お前なら分かると思うぞ!」

「貴方!」

店の主人は夫婦の性格を心得ている。はむすたーのぬいぐるみを撫で撫でうっとりしている2人のやり取りに、穏やかに瞳を細めた。やがてカウンターの下からもう1つの品物を取り出す。それを見た夫婦は、驚嘆の声を上げた。

「……なっ……こ、これは!!」

「まあ……!」

店主が取り出したのは、セピア色の短い毛並みがシルクのような手触りで、大きな瞳はグリーンの、少し小柄な猫のぬいぐるみだった。くったり感がある作りで、抱き心地がなんとも絶妙で素晴らしい。

「どうです。しんがぷーらという種類の猫のぬいぐるみです。くったり感と手触りが堪らない逸品でしょう」

パヴェニーアは猫のぬいぐるみをそっと撫でてみる。

「こら!撫でるな!」

妻の声真似に、びくー!と、パヴェニーアの手が止まったのは、ほとんど条件反射だ。夫が猫のサティに触れようとすると、ピウニー卿はいつもそんな風に怒っていた。その怒る様子がこれまた可愛らしいのだ。髭がピーンと緊張して、毛皮が膨らむあの表情! 若干瞳が細まって釣り上がったりなんかして。

セシルは、悪戯っぽくくすくすと笑うと、夫の横から猫のぬいぐるみをさらって抱きしめた。小さなネズミと違って大きさが丁度よく、極上の抱き心地だ。

「ねえ、あなた、いいでしょう?」

「く……俺にも、その……」

あの(ネズミの)兄の毛皮をいともたやすく可愛らしく膨らませる、罪深い猫……綺麗な毛皮と、猫特有の油断ならない瞳が可愛らしいのだが……その猫そっくりのぬいぐるみが、妻の手で抱きしめられているではないか! ……なんということだ。正直に言おう。可愛い猫を抱きしめている妻を抱きしめたい。いつも抱きしめたいが、さらに5割り増しで抱きしめたい。

「まあ、あなたったら、猫はダメよ? 私がお義兄様に怒られてしまうわ」

「ちがう。(猫のぬいぐるみを抱きしめている)お前を抱きしめたい」

「……やだ、あなたったら!」

本来ならぎゅうっと抱きしめたいところだが、ここはさすがに公共の場だ。パヴェニーアは妻の肩を遠慮がちに抱くに留めて、ぐっと拳を握った。

「飾るときのレイアウトは……綿密に練らねば……!」

「家に帰ったら楽しみね! あなた!」

夫婦は手を取り、うふふあははとご機嫌だった。

こうして、アルザス家のぬいぐるみコレクションに、猫とネズミのぬいぐるみが増えることになったのだが、その事実をピウニー卿が確認して驚愕するのは、もう少し先の話だ。

****

「……くしゅん!」

「サティ、どうした、風邪か?」

杖の賢者の館のピウニー卿とサティに宛がわれた部屋で、サティはいいようの無い寒気を感じてくしゃみをした。

「ん……大丈夫。急に寒気が」

「寒気……?……っ……はくしょん!」

歴戦の騎士であるはずのピウニー卿の背も、奇妙な寒気に襲われて震えた。

「なに、ピウも風邪なの?」

「いや……それとはまた、別種の寒気が……」

2人はいぶかしげな顔を浮かべ、お互いの体温を毛皮越しに感じながら丸まったのだった。ふー、なんだろうこの寒気。

****

ちなみに、アルザス伯爵家の男達は代々愛妻家が多いことでも有名である。