「ああ……どこからどう見て、ほんっとうに素晴らしい杖」
サティは、出来上がった杖を見つめてうっとりと溜息を零した。何回目になるのだろうか。サティは杖が完成してからというもの、その杖にひとまず必要最低限の魔法を詰め込みつつ、事ある毎にこうして溜息をついているのだ。雷で打たれたトネリコで作られた杖。飾り紐は緑。根付はつけず、その代わり杖の先端にグリーンの石が埋め込まれていた。
ヌエとの戦いで倒れたサティは、あれからすぐに目を覚ました。魔力も体力もすっかり回復したらしく、ピウニー卿と共に杖と剣の賢者の家で世話になりながら、それぞれの杖と剣が出来るのを待っていた。先に出来上がったのはサティの杖で、人間に戻って家事を済ませた後は、その杖に魔法を込める作業に没頭している。
ピウニー卿の剣はまだ出来ておらず、魔法のことになるとサティには及ばないため相手にしてもらえない。だが、嬉しそうな顔をして杖を見つめて作業をしているサティを見るだけでも、ピウニー卿は心が和んだ。
だが今は猫の姿で、サティはただ杖を見つめている。やがて、ぺし……と前足で杖に触れる。尻尾が揺れて、瞳が細まった。ピウニー卿から見るとどう見ても杖を踏んでいるようにしか見えないが、サティからすれば猫の姿で杖を構えていることになる、らしい。触れていると魔力のバランスが心地よいようで、サティは再びうっとりと溜息をついた。
『よほど気に入っているようじゃ』
「まあ、気に入るほうがよいだろう。私も剣の賢者殿が始めて作ってくれた剣を持ったときは、あんな風だった。気持ちは分かる」
『そういうものか』
サティを見ているのは、ピウニー卿と魔竜だ。魔竜はピウニー卿の剣を作るための素材を提供してくれたのだが、なぜかそのまま居座っている。狼くらいの大きさになっている魔竜は、ふしゅうと焦げ臭い息を吐いた。
コンコン。
ノックの音がした。
ピウニー卿がピクリと顔を起こし、ひくひくと髭を揺らしながらそちらを向く。サティも杖から手を離して顔を上げた。客人が来たようだ。ここは剣の賢者と杖の賢者の家だ。杖や剣を作ってもらいたいと思う者が、訪ねてくることもあるのだろう。ピウニー卿は魔竜に下がれ……と目配せをした。心得たように魔竜は奥の部屋へと退く。
「サティ……少し向こうへ行っておこう」
サティはまだ杖を触りたがっているようだったが、やがて頭を下げてピウニー卿を乗せ、トン……とテーブルから降りる。魔竜について扉を押し、部屋を出た。
****
「剣の賢者と杖の賢者の邸宅とお見受けいたします」
「……」
「少しお伺いしたいことがあるのですが」
「……」
魔竜の頭の上にサティ、サティの上にピウニー卿が乗っかり、扉に身体をくっつけて、2人と1匹……いや3匹?は、その会話を聞いている。
応対しているのは杖の賢者らしい。剣の賢者は作業中だから仕方ないだろう。それにしても杖の賢者のあの無口さで、客が来て対応できるのだろうか。弟子とか取らなくても大丈夫なのかと、サティはお節介なことを思った。
「ああ、失礼。私は白翼騎士団の、」
客人が名乗るようだ。騎士団の名前が出てきて、ピウニー卿は髭をぴくりと動かした。
「ヴェルレーン・サテュルニアと申します」
その名乗りにピウニー卿が怪訝そうに呟いた。「ヴェルレーン・サテュルニア……?」 騎士の名らしい言葉を反芻したピウニー卿に、サティは尻尾をぱたんと揺らす。
「なに、ピウの知り合いの人?」
「……いや、知らんな」
白翼騎士団ヴェルレーン・サテュルニア。
ピウニー卿とサティの記憶には残っていない男であった。
****
先ほどから無表情のまま全く口を利いてくれない杖の賢者に、ヴェルレーン・サテュルニアはいささか困っていた。だが、このような事態に陥っても冷静なのが、ヴェルレーン・サテュルニアという男である。ヴェルレーンは、ふ……と笑って蜂蜜色の前髪をさらりとかき上げた。
「……杖の賢者殿、単刀直入にお伺いいたします」
「……」
「……私は王命により、ピウニーア・アルザス殿を探しているのです」
「……」
「こちらにいらっしゃいますね?……厩にピウニー卿の愛馬シャドウメアがつながれているのも分かっています。会わせていただけませんか?」
ヴェルレーンはできるだけ丁寧に言った。女性相手ならば誰もが自分の問いに答えるだろうという、まったくもって無駄な自信がある。だが、相手はオリアーブ国の賢者の1人「杖の賢者」であり、男だ。杖の賢者は黙ってヴェルレーンの話を聞いていたが、やがて扉を閉めた。
……無視……か。
ふ……とヴェルレーンは皮肉げに笑った。
まあ、いい。自分はこの程度でめげる男ではないのだ。
ヴェルレーンはコンコン……とノックをした。だが返答は無い。
「……いたし方が無い。杖の賢者殿、扉を開けさせてもらいます」
強引にノブを回して扉を押す。ヴェルレーンはこれくらいの強引なこともできる騎士なのである。しかし。
「うわああああ」
扉を押したと同時に向こう側も扉を開いたらしく、ヴェルレーンはつんのめって前方にダイブした。ビターンと見事に床に伏す。
「うわ、痛そ……」
女性の声が聞こえ、がばーーー!とヴェルレーンは起き上がった。髪を整え、バサリとマントを後ろに払う。その声には聞き覚えがあった。というか、その一言、一声だけで思い出したヴェルレーン・サテュルニアという男……さすがである。確か、王宮でパヴェニーアと一緒にいた女性だったはずだ。セピア色の髪にグリーンの瞳が美しい女性と記憶している。
「……これは失礼。私はヴェルレーン・サテュルニアとも……ふ……ふ……ふぇーーーーっくしょい!」
「ちょ、なんか飛んでくるって」
「おい、サティ大丈夫か」
「しつ、しつれい……ふぇくしょーーーーーーい!」
「……いや、この人のほうが大丈夫じゃなくない?」
「サティ、危ないからあんまり近づくな」
「な、危ないってどういうことで……ヘキショーーーーイ!!」
『危ないのか? 我の炎が必要なのか?』
「あー、いや、炎は止めて炎は」
「うわあああああ、なんなんですかこの、え、何、このサイズ……猫?……竜? えええ?」
「いや、私も居るが」
「てめーらああああ!! さっきからうるっさいわーーーーー!!」
ゴン!
バーン!と剣の賢者の仕事場の扉が開いて、ちょうど立ち上がったヴェルレーンに、開いた扉が後ろから直撃した。「うぐうっ……!」ヴェルレーンは後頭部を押さえてしゃがみこむ。
面倒な展開だな……。
サティは前足で顔を洗いながら、そんな風に思った。
****
猫アレルギーのヴェルレーンのために、杖と剣の賢者の家の窓という窓が全部開かれ、サティは布を被せられた。顔を少しだけ覗かせて、白い布をマントのように被せてもらう。その様相はかなりの可愛らしさだったがサティは不満げだった。さらし者にされている気分だ。
「……で、とっとと話してくださいよ」
1人面白くなさそうにサティはヴェルレーンを促した。
「再び貴女に会えたと思ったら、まさか貴女は猫の姿をしていたとは……。運命の悪戯としか思えません。貴女に触れたい。だがそれは叶わな……、いだ!」
チクン!と手の甲に痛みを感じて、ヴェルレーンはソファから飛び上がった。テーブルの上のピウニー卿が、ヴェルレーンの手の甲を針で刺したのだ。どこから持ってきたんだ針……。だが小さなピウニー卿に本気で掴みかかるのは、騎士道に反する気がして堪えた。ヴェルレーンという男は紳士であり、騎士であり、弱きを助け、強きをくじく男なのだ。
再び、手の甲がチクン!とした。
「何するんですかさっきからチクチクチクチク!」
「貴公がさっきからよからぬことを考えているからだ」
「考えてませんよ!」
「どうでもいいから、用件話しなさいってば」
なぜかにらみ合うネズミと色男にサティはうんざりとマントの下で尻尾を振っている。ピウニー卿は仕方なく剣を引くと、ふん……髭を揺らした。
王命を受けてピウニー卿を探しているというヴェルレーンを迎え入れ、ピウニー卿らの(呪いを解いたキスの事以外の)事情をかいつまんで話したのは先ほどのことだ。ヴェルレーンはこの目で見るまでは信じられないようだったが、とにかく明日になったらサティもピウニー卿も人間に戻ることができる。それまで、ヴェルレーン側の事情を聞こうということになったのである。
「……それで、陛下はなんと」
「そのことですが……」
ヴェルレーンは、自分が受けた王命について詳しく話し始めた。
ヴェルレーンが受けた王命。それは、ピウニーア・アルザスの死に一体何があったのか、という再調査だった。塵となって消えうせたという情報だけで、死んだことにするというのは、国王としても腑に落ちなかったらしい。剣以外の装備を全て残したまま、身体だけが消えているというのも納得できないものがあった。共に竜を倒した仲間らの証言を信じないわけではなかったが、一体何が起こったのか……国王はヴェルレーンにひそかに詳しい情報を調査させていたのである。
ただ、最初の1年間はほとんど何の情報も得られなかった。
だが数ヶ月前、本当に些細な情報が入る。それは、普段ならば取りこぼしそうな些細な情報だった。
旅の多かったピウニー卿が、拠点のひとつとしていた小さな村の酒場。その酒場でピウニー卿のキープしていた果実酒が、何者かによって空けられていた……というのだ。酒場の店主は、「竜殺しのピウニー卿の幽霊が出たに違いない」という。その噂が呼んで、今その酒場は結構な評判らしい。サティとピウニー卿は顔を見合わせた。どこかで見たような話だ。
その村は王都から遠く離れたオリアーブ国の端、辺境といってもいいところにあった。その後、街道で「妙に体格のいい怪しい男の人影を見た」という話をいくつか聞くようになった。特に意識したわけではないが、どんな些細な手がかりでも……と思い、ヴェルレーンはその噂を追ってみた。すると、そういった目撃情報は、ごく僅かだが徐々に王都に近づいていくようだった。
それにしても、見かける……といっても本当にささやかなものだ。街の近くの森に女と共に佇んでいたとか、人気の無いところを歩いていたとか、河原で洗濯していたとか……そういうものばかりで、街中で見かけた……などという噂は全く無かった。まるで人目を避けているように。
そこでヴェルレーンは王都に戻り、今度はパヴェニーアやペルセニーアの動向に気を配っていた。いずれにしても、ピウニー卿が生きていれば、接触するのは間違いなくこの2人の弟妹のはずだ。幸いヴェルレーンは白翼騎士団の所属で、パヴェニーアとは近しい立場にある。仕事をしていれば、自然と団長の動きは知れた。そして、
「……ジョシュ殿下の猫を探していたとき、サティさんとパヴェニーア団長と共に居たあの男性は、……ピウニー卿だったのでしょう」
「知っていたのか」
「確信はありませんでした。……今から考えれば、そうかなという程度です。ただ、」
……その後、アルザス家の邸宅をさりげなく観察していると、離れに客人を迎えていた様子が見て取れた。そして確信に変わったのは、
「シャドウメアを連れて、出られたでしょう。知らない人が見れば、質のいい青毛の馬にしか見えませんが、知っている人間が見れば分かります」
「ふうむ……。シャドウメアも有名になってしまったものだな」
「僕らくらいの騎士には、ピウニー卿と愛馬シャドウメアは随分有名な話です。実物を見たことがなくても、アルザス家から出てきた立派な青毛の馬が、シャドウメアだろうということくらいは分かります。……もっとも、僕は実物を見たことがありますが」
そして、ヴェルレーンはかなりの距離を置いて、シャドウメアを追いかけたのだ。かなり遠くから足取りを追うだけだったが、相当立派な馬だ。その特徴ははっきりと知れた。ただ、1日の少しの間は馬上に影があるが、それ以外の時間は街道ではほとんどその姿を見かけなくなる。見失ったか……と思うと、再び1日経って街道に現れる……といった調子だった。幾度も見失ったり見つけたりしながら、やがて杖の賢者の館にたどり着いたのである。
「国王陛下はピウニー卿をお探しです。できることなら再び自分に仕えて欲しい、と」
ピウニー卿は髭を撫でて、小さく首を振った。ネズミが首を振っても、毛づくろいしているようにしか見えないが、それでもそれが否定の意であることは見て取れた。
「そもそも、王宮まで戻っておいでにも関わらず、陛下にお会いしなかったのは何故ですか」
「……このような姿で会うわけにはいかない。それに、私は国では死んだことになっているのだ」
「それはそうですが……」
「死んだと思われていた陛下の側近、それも恐れ多くも2つ名を賜った私がネズミの姿で生きて戻れば、怪しいことこの上ない。アルザス家に害を及ぼそうという輩もいるやもしれぬ。まず元に戻らなければ」
それにヴェルレーンや賢者達には伝えていないが、自分達は国王すら知らないジョシュの事情も知っている。理の賢者に会って、自分たちの姿とジョシュの事情を解くまでは、公に姿を現すことは避けたい。
「それに今となっては、魔竜のこともある」
オリアーブ国を動かした魔竜。魔竜の暴れる原因が呪いによって意図的に起こされたものだとしたら……一体誰が何の目的でこれを起こしたのか。それは国と関わっているのか、そうではないのか。それははっきりさせておかなければならないだろう。
「そのことですが……、実は気になることがあります」
ヴェルレーンは再び口を開いた。
噂を収集してそこから情報を解析してみたり、こっそりシャドウメアを追跡したり、こう見えてもヴェルレーン・サテュルニアは有能な男なのである。