そもそもピウニー卿が魔竜の討伐に出かけたきっかけというのが、とある騎士の報告書だった。グラネク山の魔竜が暴れている……という、それはオリアーブ国のいまや誰もが知っているピウニー卿の物語の冒頭と変わらない内容だ。その報告書を提出した騎士が、「ラディゲ・ラファイエット」……という1人の騎士だったことがヴェルレーンには引っかかった。
「ラファイエット?」
「知っているの?」
「もちろんだ。グラネク山にも同行した騎士だからな」
ラディゲ・ラファイエット。昔、ピウニー卿が若い頃、国王の親衛隊を選抜する際に御前試合で共に戦った相手だ。結局彼は親衛隊には選ばれず黒翼騎士団の所属のままだったが、魔竜を倒す旅にも共に発った仲間だった。魔竜の件を宰相や団長などを通さず国王に直接陳情し、それによって魔竜の討伐が決まったのだ。
「ただ、魔竜はグラネク山に住んでいることは知られていたけれど、人を襲うという話を聞いたのはこれが初めてだったのです」
グルル……と話を聞いていた魔竜が低く唸った。ヴェルレーンは落ち着かなさげにちらりと魔竜を見て、ため息をつく。ピウニー卿から事情は聞いた。魔竜がピウニー卿の剣に宿って生きていたこと、そして、……そもそも誰かに呪いをかけられて暴れていた……ということも。
「そうだ。だから、討伐隊には騎士団ではなく親衛隊が選ばれた」
ピウニー卿が答える。
単純に討伐するだけではなく、調査任務を遂行できる人員が組まれることになったのだ。もともと魔物の調査・討伐を任務にしていたピウニー卿がそれに選ばれた。ただラディゲの陳情により調査隊が組まれることになったため、黒翼騎士団からもラディゲ本人が参加することになった。
「そして魔竜を倒して王都に凱旋したわけですが、その後ラディゲ殿は荒れました」
「荒れた?なぜ」
「本来ならば彼は竜を倒し、生き残った人間として名誉を得られたはずです。ですが、人々が賞賛したのは死んでしまったピウニー卿だった。だからじゃないかと」
ピウニー卿が黙ってしまった。サティが首を傾げる。
「他の人たちは?」
「他の人たちは、親衛隊……ピウニー卿の同僚だったでしょう」
「そうだ」
ヴェルレーンの言葉にピウニー卿が苦々しげに答えた。彼らは命を賭して自分たちを魔竜の断末魔から救ってくれた恩人として、自分達の名誉は省みずに賞賛したのだ。だからこそ、魔竜退治を進言したラディゲエは荒れた……という。
「……ラディゲは、元々私の同期なのだ」
悪い人間ではない。それほど親しくないとはいえ、元々は黒翼騎士団で同じ隊だったこともある。ピウニー卿が親衛隊になって王都を空けるようになってからは、ほとんど言葉も交わさなくなった。久しぶりに言葉を交わしたのは魔竜討伐の時からだ。実力は充分で、話の分からぬ男ではない。ピウニー卿とラディゲの2人で隊をまとめていたといってもいい。
「……ラディゲ殿は、魔竜の討伐を進言した本人ですが……、どうやってグラネク山の魔竜が暴れていると知ったのか、それが気になったのです」
『それは、我が暴れていたのを見た、噂を聞いた……そのようなことではないのか』
ふしゅ……と魔竜の声が低くなった。慣れないその声にヴェルレーンは肩をびくびくさせながら、頭を振る。
「細かく調査してみたんですが、少し時期が……腑に落ちません。普通は、そのような噂が立ったり、被害が出てから調査します。ですが、ラディゲ殿の進言時期と魔竜の噂がたったのは同時期でした。当時は、気にも留められませんでしたが」
「……ちょっと待って。それって……」
「私も、少し引っかかる程度だったのですが、……今日、話を聞いて合点がいきました」
サティの言葉にヴェルレーンは頷いた。魔竜の理性を狂わせた呪い……それには、ラディゲが絡んでいるのではないか……という疑惑だ。ラディゲは魔竜に呪いがかかることを知っていた……だから、国王に進言したのではないか。……しかし、何のために。
『そなたを、……ピウニーアを陥れるつもりだったということか?』
「それは無いだろう……。ラディゲは真に裏のない、戦いぶりだった」
そもそも進言したとてピウニー卿が調査に行くとは限らず、陥れるつもりなら行くと決まってからも自分が共に行く必要は無い。そして、共に行き共に戦ったが、陥れる……という真似はされなかった。ラディゲは果敢に戦う騎士であったし、ピウニー卿は旅の仲間として背中を預けたのだから。
「ヴェルレーン。……ラディゲの話は間違いないのか」
ピウニー卿は丸いこげ茶の瞳を伏せがちに聞いた。髭がしおらしく下を向いている。かつて信頼して共に戦った仲間に対する疑惑に、戸惑いを隠せないのだろう。戸惑い……というよりも、裏切られたかもしれない……という悲しみかもしれない。サティはそっと近づいて、頭を擦り寄せてすぐ側に体を丸めた。ピウニー卿はそんなサティの頭を撫でるが、心ここにあらず……といった風だ。
「報告書を出した時期と、ラディゲ殿が荒れたことは間違いありません」
「そうか……」
「ただ、何か企んでのことであれば相応の動きをするはずです。……ですが、今のところラディゲ殿にそのような様子はありません。それに、ラディゲ殿が当事者だとしても、魔竜に呪いをかけるほどの魔法を構築できたとは思えません。……別の共犯者がいるはずなのです」
『魔法使いだな……』
グウウ……と、再び魔竜が忌々しげに息を吐いた。
「マハ・マハジューレ」
サティが魔竜を名で呼んで立ち上がり、そっと鼻面を寄せた。
「魔法使いがあなたに呪いをかけた時の呪文を覚えている?」
『残念ながら覚えておらぬ。……いや、待て』
魔竜は瞳を細めて思案しているようだ。……あの時、あの呪いを掛けられたとき、理性が一瞬でひっくり返り、他の一切が目にも耳にも入らなくなった。……いや、知覚情報として認識できなくなった。それでも、記憶に残っている言葉は……。
『アラヌ・イアルト・アラニーサナク・アラニースルク……という冒頭だけ覚えておる……』
サティの耳がふい……とひっくり返った。魔竜の喉がグルル……と鳴る。身体が震え、放出される魔力が悲しみとも憎しみとも知れぬ色を帯びた。頭を垂れてしまった魔竜の口元に、サティは顔を摺り寄せた。
「分かった。マハ、もういいよ」
「どういう意味だサティ」
サティは沈み込んだ。
<アラヌ・イアルト・アラニーサナク・アラニースルク>
(生きることの悲嘆、永らえることの苦慮、目覚めることの辛苦)
その魔法は。
「私にかけられた呪いと、前半は同じ。……多分、後半も同じだと、思う」
「どういうことだ」
「使っている魔法語が同じ……っていうことは、私に呪いをかけた魔法使いと同じ……だと思う。私も……自分の呪いを全部聞き取れたわけじゃないけれど、前半は間違いないよ」
「死霊魔法か……」
ピウニー卿の声が低くなった。
魔法語の中にある、憎しみや悲しみなどの感情を表現する言葉に、さらに恐怖を付与する枕詞。これだけでは単に呪いの枕詞……と言えるが、これに例えば、生命力を止める……とか、死を与える……とか、そういった語を使って呪文を完成させればそれは死霊魔法だ。
「正確に言うと、死霊魔法になる、直前……かな」
サティの髭がしょんぼりと萎れた。
死霊魔法……そう言われてサティに思い浮かぶのは1人しか居ない。自分をこんな風な姿に変えた、あの魔法使いだ。……魔竜にかかっていた呪いも、ピウニー卿を襲った魔竜の最後の咆哮も、そして自分にかかってる呪いも、恐らく同種の魔法ということになる。
「その魔法使いの名前と所属は分かりますか?」
ヴェルレーンが遠慮がちに問いかけた。サティがそちらに顔を向ける。
「ヒューリオン」
……ヒューリオン。忘れるはずの無い、魔法使いの名前。
「魔法師団の第5師団に所属する、魔法使い。……でも、多分もう居ない」
『居ない……?』
「うん。私が、倒したからね」
あの時。魔法の戦いがあったときに、ヒューリオンにはもう魔力も体力も残っていなかったはずだ。それでも、サティの杖を折り、サティを猫の姿に変えた魔法を使った。ヒューリオンは無事では済まされないだろう。魔竜はそれを聞いて、ただ、しゅう……と溜息を付いただけだった。
魔竜にとっては敵。
ピウニー卿とヴェルレーンにとっては国王や騎士達を謀ったかもしれない魔法使い。
サティにとっては……。
「サティ?」
ピウニー卿の声が思考に沈んだサティを浮上させた。まん丸の瞳がじっとこっちを見上げている。髭が小刻みに動いているのは、こちらを気遣っている証拠だ。
「もし同じ魔法使いだとしたら……その魔法使いはもう居ない。どんな魔法だったかは分からないと思う……。でも、」
「サティ、お前は……」
「大丈夫。師匠のところには資料が山ほどあるし、死霊魔法なら私も多少分かるから」
サティの声は穏やかだったが、尻尾の先が落ち着かなさげにゆらゆらと動いていた。そういえば、ずっと魔竜に気を取られていたが、サティ自身も戦いの末に呪いをかけられたという経緯があるのだ。ピウニー卿はその話を詳しく聞いたことは無かった。どういった出来事があって、どうして戦うことになったかの……。サティはあまり自分のことを話さない。自分はサティのことを何も知らないのだ……。そのことが何故か今、ピウニー卿の心をちくりと刺した。
部屋にしばし、沈黙が落ちた。
それを破ったのは、剣の賢者が作業場の扉を開けた音だ。
「あんたなら大丈夫さね。理のじーさんもいるしね」
「剣の賢者」
サティがしおれていた頭を上げて、尻尾をぱたんと振った。その様子を見て、大きな手でマントごとサティの頭を撫でる。剣の賢者を改めて見たヴェルレーンは、ほんのり頬を染めながら駆け寄った。
「……貴女は……!剣の賢……」
ビターン!!
だが、残念ながらその手は剣の賢者に届かなかった。杖の賢者の足に引っ掛かって、すっ転げたのだ。杖の賢者がちらりとヴェルレーンを見た。その顔を見たヴェルレーンの顔がぎょっとする。
「……す、すみませんっ、あの、剣の賢者殿かな? と確認しただけでして、美しいとか手を出したいとかそういう、……ふぇーーくしょい!」
鋭い杖の賢者の視線に刺された挙句、サティが身動ぎしたためにくしゃみが響いた。これ以上おかしなことを言い出す気は無いらしく、ヴェルレーンは大人しく正座して、再びくしゃみをした。この男、引き際はよく知っているのである。
剣の賢者はそんなヴェルレーンをちらりと一瞥しただけで、一振りの剣と短剣をピウニー卿の小さな身体の前に置く。
『おお、出来上がったのじゃな』
「ああ。あんたのおかげでいいもんが出来たよ。ありがとうよ、マハ」
気持ちを切り替えるように顔を上げた魔竜の横面をぽんぽんと叩いて、剣の賢者が笑った。腰に手をあてて小さなピウニー卿に顔を近づける。
「人間に戻ったら、あたしと手合わせして馴染ませるよ。しばらく振れば、おそらくあんたに馴染んでネズミに戻ったときにも同じ大きさになるだろう」
「それはまことですか」
「ああ。マハで作った合金はおっそろしく柔軟だね。素材自体に魔力がある上に、元が生物だからその魔力は意志に近い。あんたのことを認めれば、大きさはあんたに合わせてくれるだろう」
「認めれば……ですか」
ピウニー卿が小さな前足を口元にあてて、思案している風だった。その仕草に剣の賢者が、あっはっは、と豪快に笑う。
「そんな仕草もかわいいね、あんたは。大丈夫。元はマハのものだ。認めないなんてことはないだろうよ」
『まこと、その通りじゃ。ピウニーアよ』
「……かたじけない。人に戻ったら試してみましょう」
ピウニー卿はくるりと魔竜に背を向けると、サティの前足の影で腕を組んだ。……照れているんだな、とサティに分かる。それにしても……。
魔竜とピウニー卿の呪い、そして自分の呪い。
唐突に繋がった2つの呪いが、同じ潮流のものだとすると……サティは呪いをかけた張本人を知っている。
どちらにしても旅の目的は変わらない。
サティとピウニー卿の目的は、自分達にかかった呪いを解いて人間に戻ることだ。
しかし、単純だと思っていたこの目的が、騎士とか魔法師団とか……そういったいろんなものを巻き込んでいることに、サティは今更気付いたのだった。