ピウニー卿とサティが入ってしまった寝室の扉をちらちらと見ながら、うろうろと、なにやらヴェルレーンは落ち着かない。
「……なにさっきから、落ち着かないんだい、ヴェルレーン」
剣の賢者が苦笑しながら、ヴェルレーンを見遣る。ラディゲまでもが、どことなくヴェルレーンを咎める表情だ。
「無粋なヤツだな」
「違いますよ、ラディゲ殿」
「俺は別に何も言っていない。何が違うんだ」
ふん……と詰まらなさそうに鼻を鳴らすラディゲに、ヴェルレーンは「ああ……」と、なぜか哀れそうな溜息を付いた。
「……剣の賢者殿」
「ああん……?」
「どう思われますか」
ヴェルレーンの問いかけに剣の賢者は腕を組んだ。天井を仰いで、難しい顔をする。
「あー……、男としては、時間的にどうなんだい?」
「そりゃあ……残り時間を計算した場合、素早く行動に移せば間に合わないことはありませんよ。……ですが、素早く行動に移す……というか、お2人を見る限り、そういった……いわゆる、がっつくタイミングではないのでは? もっとこう……情緒的に時間をかけて攻めるべきかと思うのですが」
たまたま人間に戻った瞬間を見たヴェルレーンは、てっきり2人が既に深い仲なのかと思っていたが、あの夫婦喧嘩?を見るにどうやら違うらしい……という結論に至った。
「タイミング的にはそうだろうけどねえ……」
「男としては、ここで中途半端な行動に移すことは避けるべきですよ。僕だったら、肩を抱き寄せて言葉をかける……までで止めますね。男には、理性が利かない時がありますから」
「あんたさ、割とそういうところは融通が利くんだね……。……ま、ピウニーみたいなむっつりクッソ真面目な男は、爆発すると厄介そうだよ。変に言葉がかけられずもやもやと時間を無駄に過ごした挙句に、やっぱり止められませんでしたーとかさ」
言いつつ、剣の賢者はラディゲ以外の全員が認識している心配事をずばり口にした。
「タガが外れたところで時間切れにならなきゃいいんだけど。ピウニー的に」
「そう思うなら、寝室に2人きりにしなきゃいいじゃないですか。いい雰囲気になれと言ってるようなもんでしょう、あれじゃあ」
「ああいう荒療治が必要なんだよ、あの2人には」
「本懐遂げないと療治にならないでしょう。……楽しんでませんか? 剣の賢者殿」
「あ、分かる?」
にんまりとほくそ笑む剣の賢者を見て、……この人だけは絶対敵に回したくない……とヴェルレーンがつぶやく。
「おい、何の話だ」
剣の賢者とヴェルレーンの意味深な会話に、ラディゲが難しい顔をする。
「もうすぐか」
室内の人間がラディゲに答える前に、珍しく杖の賢者が言葉を発した。
そのとき。
寝室の扉の向こうから、悲痛な声が響き渡った。
「くっそ……!……真の敵は時間かおのれーーーーーーー!!」
その声を聞きながら、ああ……とヴェルレーンと杖の賢者は額を押さえる。なんだ、今のはピウニー卿の声か?……と、1人事情の分からないラディゲが室内の全員を見渡している。
「……寝台に押し倒して、3拍目と見たね、私は」
「それトラウマになりますよ、僕だったら」
ヴェルレーンの言葉に、杖の賢者が大きく頷き同意を示した。
しばらく経ったあと、すごいスピードでサティがピウニー卿を咥えて部屋にやってきてヴェルレーンがくしゃみした。サティはピウニー卿を適当なところにペッ……と降ろすと、剣の賢者のところに飛んできて、背中に頭をぐいぐい押し付けてじたばたと悶絶している。どうやら隠れようとしているようだ。
「おいおい、サティ。こーら、隠れたいならちょっと待ちな」
剣の賢者はサティを抱き上げて立ち上がると、部屋にかけてあったピウニー卿のマントにくるんでソファに置いてやった。サティはその中からじー……と警戒するように外を窺っている。布の隙間から僅かに覗くグリーンの瞳は瞳孔全開だ。
ちなみにピウニー卿は床に落とされて、燃え尽きたようにうなだれていた。サティはあまりの恥ずかしさに部屋を飛び出してしまったのだ。ピウニー卿もついつい一緒に運んできてしまったのは、日常化してしまった癖のようなものだろう。
ああ、本当にネズミと猫に変化するのか……と、ラディゲは半信半疑だった話を信じたと同時に、皆が心配していたことが何のことなのかを悟った。確か、人間でいられるのは8時間と言っていたか。
「夢中になるのは分かるが、時間計算しろよ……」
……確かにトラウマになるな……と、ラディゲは思った。
ピウニー卿の栄誉に嫉妬していた自分が、今となってはなんだか遠い。
****
「グラネク山に登る」
……そう言い出したのは、ラディゲだった。互いの身の上を話し、剣を合わせたことで納得したのか、ラディゲはそれ以上ピウニー卿を責めなかった。ただ、呪いが解けたら王宮には顔を出せ……と付け加えた。
「本当に魔竜がよき竜ならば、その周辺の魔を調査してみようと思う。それに自分の目で見なければ納得できない」
「……そうか。私は予定通り理の賢者の元へ出向く」
「……ピウニーア」
「なんだ」
一晩明けて、ラディゲは杖と剣の賢者の家を発つことになった。
今、ピウニー卿とサティはネズミと猫の姿で、2人並んで柵の上に立っている。仲直りしたのかうやむやにしたのか、2人はひとまず元の通りの仲に戻っていたようだった。ただ、それまでの間の……特にピウニー卿から噴出される何ともいえないオーラは、ラディゲですら、哀れに思った。あれが竜殺しのピウニー卿の後姿か……と。
それはさておき、ラディゲがネズミのピウニー卿に一歩近づき、鋭い瞳で顔を寄せた。
「もう分かっているとは思うが、第5師団と……宰相、バジリウスには気をつけろ」
「……バジリウスか」
ピウニー卿の口元がピクリと動く。
「魔法師団の第5師団は、宰相の口添えで出来た師団だ。宰相自身も研究に関わっているほどな。それに、あの調査書……確かに、ああいう情報が俺のところに来るのはおかしくは無いが……、団長のところに報告に行く前に宰相と……バジリウスと直接接触できたのは、タイミングがよすぎる」
当時は自分の意見が採用されたことに有頂天になり、そのようなことは気付かなかった。バジリウスは確かに有能な騎士とはよく交流を持つ人物で、ラディゲも初めて話す……というわけではなかった。当時、自分のところに調査書が来て、その直後に、全く別の名目で呼び出されたのだ。……そこで魔竜の件を相談してみたところ、「陛下に直接進言してみてはどうか」……と提案された。
「一連の流れを宰相は知っている……と? もしそうだとしたら、何故バジリウスから直接国王に提言しなかったのだ。あるいは団長を通すこともできただろうに」
「さあな、宮廷に遠い者を選んだのかもしれん。いずれにせよ、俺も浅はかだった。……とにかく気をつけろ。目的が分からんだけに、厄介だ」
「そうだな……」
苦々しい顔のラディゲをピウニー卿は見上げながら、髭を撫でた。
「ラディゲ、国にはいずれ戻るのだろう」
「当然だ。俺はオリアーブの騎士なのだから」
「そうか」
「じゃあな。またいずれ」
「ああ」
別れの言葉は簡潔に終わり、ラディゲは歩こうとして、足を止めた。不意に、ピウニー卿の隣に並んでいる猫に目を止める。首を傾げているその小柄な猫の脇を片手で掬った。
「ちょっと、何!」
「ピウニーア、サティ嬢を少し借りるぞ」
「な……、おい、ラディゲ、待て!」
ラディゲはじたばたと暴れるサティの両脇を押さえたまま、ピウニー卿の声が届かないところまで歩く。
「ちょっと!離してよ!」
「おい引っ掻くな、噛むな!……おい、あれを見ろ、あのピウニーアの顔」
「は? 何言ってるのよ」
ピウニー卿がすごい勢いで登っていた塀を降りようとしているところを、「ちょっと! 危ないですよ、ピウニー卿!」などと言われながら、ヴェルレーンに鷲掴みにされている。それを見ながら、ラディゲは鼻で笑った。サティに視線を移す。
「……女にうつつを抜かして……などと言って、悪かったな。あんたを侮辱するつもりは無かった」
「え?」
ラディゲは真摯な瞳でサティを見つめていた。あれについては、侮辱されたとは思わなかった。それよりも、ピウニー卿に関係ない呼ばわりされたことの方が腹が立っていたし、はっきり言ってほとんど聞いていなかったのだ。一体、なぜラディゲはこんなことを言い出すのだろう。
「他意は無い。騎士として、女子供は保護の対象になるだけだ」
「別に侮辱されたとかは思ってない」
「ならいい。……あの時、関係ないとピウニーアが言ったのは、男のみっともない争いを大切な女に見られたくなかったからだろうよ」
「大切な、女……?」
「違うか? 名誉や矜持、忠義は俺達の大事なモンだがな、傍から見れば滑稽な争いだ。男には、女には分からないつまらない見栄やプライドがあるんだ。それを分かってやれ」
「……なんでそんなこと私に言うのよ」
「さすがにアレは同情の余地があるだろう……」
ぼふ……とサティの毛皮が膨れる。アレ……というのは、アレのことだろう。何があったか……などという話、一言もしていないが、全員に何か生温かい視線で見られていることにサティは気付いていた。改めて同情とか言うな! デリカシーの無い男だな!
そもそも、……あれは、本当に思い出しただけで顔から火が出そうだ。基本的に、ああいう状況下でのお作法なぞ、(何故か)師匠が取り揃えている恋愛小説の中でしか見たことが無い。とりあえず全く知識が無いわけでは無かったのは、師匠のおかげです! ありがとう師匠!
……などという余裕があるはずもなく。あそこまで深いとか……。……そもそも、サティはピウニー卿の動きにどうやって応じればいいのか分からず、でも温かくて心地よくてしがみつきそうで、何かしら反応しないといけないと思って、いやむしろ何かしたいと思って、それで……その……ピウニー卿の舌にそっと触れてみたら何故か急に彼の雰囲気が変わって、あっというまにピウニー卿が上にいて、服着てるのにいつも裸で元に戻るときよりもずっと近くて、ピウニー卿の唇があんな風に触れてきて、何が一番恥ずかしいって、あんなところで終わっ……
うあ”あ”あ”あ”あ”あ”……
ダメだダメだダメだ。思い出したら毛皮が逆立つ……。
「いだっ!!……ちょ……本気で刺しましたね今! ピウニー卿、ちょっと!」
ヴェルレーンの手を剣でちくりと刺してなんとか捕獲から逃れたピウニー卿は、四肢を懸命に動かしてこちらに駆けてくる。
倍くらいに毛皮を膨らませて、何故か(猫だが)犬掻きのような仕草で、パッタパッタともがいているサティをしばらく眺めていたラディゲは、ヴェルレーンの声が聞こえて、静かに下ろしてやった。ピウニー卿がサティの傍らまでやってきて足に触れると、先ほどまでのあれやこれやを思い出して、サティの毛がまたもや、ぶおおおおと膨らむ。
「サティ! どうかしたのか!?」
その様子を見て、慌てたのはピウニー卿だ。小さな頭でラディゲを見上げると、後ろ足でトン……と苛立たしげに地面を叩いた。
「……ラディゲ、どういうつもりだ!」
「別に、どうもしていない」
ラディゲは肩を竦める。
「サティ、ラディゲに何か言われたのか?」
「べ、別に、何も言われてないわよ」
「しかし……!」
「もう、ピウニー大丈夫だってば!」
おろおろしているピウニー卿と、いつになく緊張しているサティ。2人の姿を確認すると、ラディゲは背を向けた。
「じゃあな、せいぜい仲良くやれ」
そういって、ラディゲは自分の馬と共にグラネク山へと向かう。
****
ピウニー卿を剣で負かせることは出来なかったが、あたふたさせることに成功したラディゲはどことなく満足気だった。それにしても、あのピウニーアが……な。あの男は、精悍な面差しと華やかな出自もあって、女が放っておかない男ではあった。
だが、本人に浮いた噂のひとつも無く、少なくとも女に関してはクソ真面目で堅物な男だったはずだ。付き合った女もいるにはいるのだろうが、結局は国王の命で旅に出ることが多く、それを理由に深い付き合いになった女は居ないというのがもっぱらの噂だ。噂ではあったが、ほぼ真実に近いのだろう。酒の席で女の話になっても当たり障りの無い相槌を打つ程度だ。
それなのに。……ラディゲは思い出して、可笑しさがこみ上げてくる。
あのとき、「女にうつつでも抜かしたか」……と言った自分に、ピウニーアは信じられない言葉を言ったのだ。
『……そうだな』
……と。だが、こうも言った。
『その女を守りきるのが、俺の騎士としての矜持だ』
……と。
開き直ったかとも思ったが、そうではあるまい。あれはいつか国王の下へ馳せ参じるに違いない。完全に呪いを解いてから国王に姿を現したいと願っているのは、宮廷への配慮もあるのだろうが、恐らく、元を正せば女のためだ。国に女を連れて帰ったとき、誰にも隠れることなく正々堂々と守るために。
「忌々しい男だ」
言いながらもラディゲは笑った。
いつかそれは叶えられるとしても、今はせいぜい、男の熱情を持て余すといい。