「……なぜ、貴公が付いてくるのだヴェルレーン……」
「こうなったら陛下にお目通りしていただくまで、付きまといますよ!」
街道を月毛の品のよさそうな馬と、強面の青毛の馬が2頭並んで歩いている。月毛の方には、蜂蜜色の髪にすこし垂れ目の甘い顔の男が跨っている。青毛の方には、大きな荷物が詰まれており、一見何も乗っていないように見えた。
だが、目を凝らせばその荷の上に小さなネズミが荷の紐を持って揺れているのが見えるだろう。とはいえ、少し離れたところから見ると、怪しい男が1人でぶつぶつ話しているように見えた。今は幸いなことに街道を通る旅人はこの男と馬2頭。そして、ネズミが一匹だけであったが。
「……元に戻ったら、馳せ参じると言っておるだろう」
低い渋みのある声が、やれやれと言った風に答える。
「でーすーかーら、ピウニー卿がとっとと元に戻るために、協力しようと言っているんじゃないですか!」
「理の賢者殿のところに行くだけだろう」
「僕がいれば、昼間も街道を歩けるでしょう。感謝していただきたいくら……ふぇーーーーーっしょい!」
男が大きなくしゃみをして、鼻をすすった。同時に、ぶるる……と、青毛の馬が機嫌よく鼻を鳴らし、その背の荷物がもぞもぞと動き、隙間からセピア色の小さな猫が顔を出す。猫は前足を伸ばして片方で顔を拭いた。くあぁ……と欠伸をして、袋の中で香箱を組んで座る。だが、いまだグリーンの瞳はしょぼしょぼとしていて眠そうだ。
「サティ、起きたか」
「ん、ごめん。寝てた」
「かまわん。こちらは特に問題ないからな」
「サティさん! 大丈夫ですとも、僕がついて……くしょん、はくしょん……へーーーーーーーーくしょん!!」
「おい、ヴェル、マスクしろマスク」
青毛のシャドウメアに乗るのは、ネズミのピウニー卿と猫のサティ。月毛の馬に乗るのはヴェルレーンだった。グラネク山に向かうラディゲを見送り、ピウニー卿とサティも剣と杖の賢者の館を辞し、とうとう理の賢者の所に出向くことにしたのだ。剣の賢者は「ああ、寂しくなるね。またおいでよ」と朗らかに笑い、杖の賢者は相変わらずの穏やかな無表情で見送ってくれた。……そして。
「マスクなんかしたら僕の顔が見えなく、ふぇくしょん、ふぁくしょん!!」
……なぜか、ヴェルレーンが一緒に来る、と言いだしたのだ。ピウニー卿に会ってその状況を知ったのに、このまま何の手土産もなく国王の下に戻ることは出来ない……と主張した。理の賢者に呪いを解いてもらい、絶対に王都に連れて行くと言う。どのみち、人間の姿の仲間が出来るのはありがたい。街などでも動きやすいし、昼間でも堂々と街道を出歩けるでしょう、安全ですよ!……と言われれば、確かに一理ある。
自分が元通り人間であれば、ヴェルレーンなどに頼らず、不便など無くサティを守ることができるんだが……。
ピウニー卿は、深々と溜息をついた。
だが。
「んー……」
ピウニー卿は、ふかふかのサティの喉もとの毛皮に背中を預けた。猫のサティに包まれているのも、……そう悪い気分ではない。
「ピウ……ひげ、髭くすぐったいってば」
「勝手に揺れるんだ、仕方が」
「あーーーもーーーー、猫とネズミの癖にイチャつかないでくだ……っしょん、ハクショーーーン!!」
「だから、マスクをしろというのに」
2人+1人が、理の賢者の館に到着するのも、もうすぐだ。
****
オリアーブの王宮。図書室の端にある、騎士団や魔法師団の公式記録が保存されている書庫で、ペルセニーアは魔法師団に所属している魔法使いを調べていた。
兄ピウニーアが共に旅をしているサティという女性と、その女性が関わったという魔法使い同士の戦い。その話を聞いたときに、ペルセニーアは魔法研究所で起こったというその事件を知らなかった。彼女は黒翼騎士団の所属だ。そして、黒翼騎士団は魔法師団と関係が深く、魔法師団は魔法研究所の実戦部隊と言っていい。魔法研究所でそれほどの事件が起こったのであれば、黒翼騎士団にも多かれ少なかれ影響があったはずだ。
そこで、1年ほど前に、魔法研究所が理の賢者に依頼した案件を中心に調べてみたのだ。
それほど多くは無かった。大きな魔道器への魔法力充填、より魔力を制御しやすくするための魔法陣の見直しや研究、研究会への参加や講義の依頼だ。それらの依頼の内、受けているのは半数以下、さらに理の賢者本人が参加するものはほとんど無く、もっとも作業を行っているのがサティだ。それでも1ヶ月に1度、多くて2度程度。
<アーイェク・オ・イラウォート・イ・シェード・サティ>
(理の賢者の弟子、サティ)
そのように魔法語で記述されている案件がいくつかある。当然のことながら最近は見られない。サティの名前を最後に見た案件、それは理の賢者が共に来訪している珍しい件だった。変質魔法(有機物・無機物の耐性を強化させる等の魔法)についての講義だ。魔法師団のうち、第1師団の師団長からの依頼。その件から以後、記録にサティの名前は出ていない。
ペルセニーアは、第1師団の師団長にそのときの話を聞いてみた。もちろん、事件があったかどうか……という話を聞いたわけでは無い。講義はどんな様子だったのか、とか、そういう他愛も無いことだ。1年前の記憶だったが、理の賢者自らが足を運んだ講義だけあって盛況だったそうだ。そういえば……と付け加えられたのは、講義後の話だった。理の賢者と弟子の2名は、ついでに……と第5師団に呼ばれたらしい。
第5師団に呼ばれた……と。私的に呼ばれたから、記録には残っていないのだろう。もし事故があったのなら、このときか。……記録に残っていない訪問であればたどり着くことは出来ない。
第5師団には師団長が居ない。親しい魔法使いも居なかった。……そこで、ペルセニーアは魔法師団に所属している魔法使いの記録を探ってみたのである。聞いた話によれば、サティだけではなく相手の魔法使いも滅んでいるはずだ。所属が外れた……もしくは死亡した魔法使いは、いないだろうか。
この1年、死亡した魔法使いは居なかった。だが、退役した魔法使いが数名居るようだ。そのうち、第5師団に所属しているものがあった。
<イルスーク・イラ・エドゥ・ユーク・イ・シェード・ヒューリオン>
(???の弟子、ヒューリオン)
そのように魔法語で記述されている。ペルセニーアには見慣れぬ魔法語で、意味は上手く読み取れない。この魔法使いの師匠は「イルスーク・イラ・エドゥ・ユーク」となる。これは人の名前とは限らない。魔法使いは、自身を示す魔法語の組み合わせを作り、それを上級魔法に組み込んだり、魔法使いとして名乗る場合に使う。この弟子は師匠の名前をその魔法語で記録しているのだろう。家名を持たない魔法使いにはよく見られることだった。
誰の弟子なのか。もちろん、ペルセニーアは多く魔法使いが所属する魔法師団の全員の名前を、覚えているわけではない。ヒューリオンという名前も、ペルセニーアには馴染みの無い名前だった。サティなら誰か分かるだろうか。……ペルセニーアはその名前を記憶に留めると、記録書を閉じた。同時に、コンコン……と、ノックの音が聞こえる。
ペルセニーアは記録書を書架に戻してから返事をした。開いた扉から、長身で細身の男が顔を覗かせる。
「おや、これはペルセニーア殿」
「宰相閣下」
ペルセニーアは敬礼の形を取る。ペルセニーアの前に現れたのは、バジリウス宰相。オリアーブ国を支える重鎮の1人である。バジリウスは手にいくつかの本を持って部屋に入ってきた。
「何か調べ物ですかな?」
「過去の騎士団の編成について、少し」
「気になることでも?」
「護衛周りの編成について報告資料を作るために、過去の編成やそのときの出来事が参考になるかと思いまして」
嘘ではない。ペルセニーアは、ここに来た表向きの目的を言った。バジリウスは「そうか」……と小さく頷く。
「お勤めご苦労ですな」
「いえ、恐れ入ります」
ペルセニーアは低い書架の上に置いていた騎士団の資料を手に取った。それを見たバジリウスは少し首を傾げる。
「お戻りですかな?」
「はい。今からジョシュ殿下の元へ参ります」
「なるほど。今日は殿下に何かご予定はあっただろうか」
「今日はもうご予定はございませんが」
「ならば、少し顔を出そう。共に行っても?」
「はっ」
バジリウスは手にしていた本を書架に戻し、ペルセニーアと共に部屋を出た。廊下を並んで歩きながら、バジリウスが問いかける。
「ピウニーア殿が竜の討伐に向かってから、1年が過ぎましたな」
「はい」
唐突に出てきた兄の名前に一瞬心臓が跳ね上がったが、さすがに動揺は表に出さない。
「私は、彼がいまだに居なくなったということが信じられないのだよ。あれほどの騎士が……」
「そのように言っていただき、光栄です」
その遠慮がちな物言いに、バジリウスは苦笑する。
「いや、不躾なことを言ってすまない。……あれから1年経ち、魔法師団と騎士団の協力体制も強化された。ピウニーア殿が魔竜を滅ぼしてくれたおかげだ。だが、もう1段階強化させたい。もし機会があれば、理の賢者殿にも教えを請いたいものだな」
「理の賢者殿に?」
「ああ。1年前、理の賢者殿が変質魔法について講義を行ったことがあるのだが、大変素晴らしいものだった。何度か依頼をしたのだがね、断られてしまっているのだ。まあ、世俗に関わりたくは無いという、賢者殿の気持ちも分からないではないが……」
1年前の講義……というのは、ペルセニーアが調べた例の講義のことだろう。随分有名な話らしい。理の賢者の話をするときは、バジリウスは本当に残念そうだった。自身も魔法に関わっているからか、その瞳には憧憬の気持ちがこもっている。
バジリウスは現在の騎士団と魔法師団の連携を作った人である。先代国王の時には騎士団ではなく魔法師団に所属していたはずだ。現国王より少し上の年齢だったか。信頼も厚く、文武の両道にすぐれたバランスの取れた内政は、野心家の多い宮廷にあっても一目置かれていた。王妃の懐妊によって揺れている現在の貴族達が、表立っては何の手出しもしてこないのは、この宰相の尽力によるものだろう。
「宰相閣下は、魔法研究所に出向いたりなさるのですか?」
「どうしてかね?」
「……理の賢者殿の講義が素晴らしい……と」
「ああ」
バジリウスは、瞳を細める。
「昔魔法師団にいた頃は、これでも魔法語の名前を持っていたのだよ」
「先王陛下のときは、魔法使いとして名を馳せておられたとか」
「はは。名を馳せたというほどでもないが。魔法語の名は師匠がくれた名でね」
宰相閣下の師匠とは、どのような人なのだろうか。バジリウスはいつも冷静で何を考えているのか分からない表情の男だが、珍しく楽しげだ。
「バジリウス・イルスーク・イラ・エドゥ・ユーク。……古代魔法語で、『知によって苦悩も善行と為せ』……という意味なのだが……私が宰相として、自らの心に常に戒めている言葉でもあるのだよ」
そういって、バジリウスはペルセニーアへ、ふ……と笑った。
<イルスーク・イラ・エドゥ・ユーク>
(知によって苦悩も善行と為せ)
思いがけず降って沸いた、ヒューリオンという魔法使いの師匠を表す魔法語だった。
唐突につながったキーワードに、ペルセニーアが表情を崩さなかったのは流石だ。バジリウスが魔法使いだったことはよく知られている。魔法語の名前も調べればすぐに分かることだ。そして、それに連なる弟子の存在も。それほど驚くべきことでは、ないはずだった。
そもそもヒューリオンという魔法使い自体、サティに関与しているのかどうかは不明だ。普通に考えたら考えすぎのような気もする。……だが。
なぜ、これほどまでに、引っ掛かるのだろう。
それはほとんど、騎士の勘と言ってもいいほどの些細な引っ掛かりだ。
バジリウスもそれ以上は魔法使いの話はせず、話題はジョシュの近況に移っていく。ペルセニーアは自分の焦りがバジリウスに伝わっていないことを祈り、話題が変わったことに安堵した。