付録

[ふたりの場合] 何か、問題が?

最終話よりすこし前のお話。


王都の調えられた街路を、青毛の馬を引いた騎士と杖を持った女性が並んで歩いている。

「あ、ピウニー卿とサティだ! おかえりなさい!」

「ねえねえ。今度はどこに行ってきたの?」

「遺跡? 洞窟? 何か面白いものあった?」

その騎士と女の周りに、街路の傍らで遊んでいた子供たちが駆け寄り纏わりついてきた。ピウニー卿、と呼ばれた騎士は自分を見上げる男の子の1人の頭を撫で、穏やかに笑う。

「ああ、ただいま。今回は、遺跡に行ってきた。古い古いお墓があってな、そこを荒らしているものがいる……と聞いて……」

「きゃーーー! お墓! お化け? お化けでたの!?」

「はっはっは、さて、どうだろうな。また今度話してやろう」

「サティ! ねえねえ、怖かった?」

サティ、と呼ばれた女はピウニー卿と子供たちの様子を楽しげに笑って見ていたが、小さな女の子にマントの裾を引っ張られて視線を傾ける。

「んー……、そうねえ……」

小さな女の子に答えようとしたサティを、別の子供の声が遮った。

「サティは怖くないよねー」

「ねー」

「だって、ピウニー卿がいるもんねー」

「ねー!」

「ちょっと、あんたたちねえ……」

「きゃーーー!」

囃し立てる女の子らの声に、わざと声を低くしたサティが追い討ちをかけると、歓声を上げながら小さく逃げて見せる。

ピウニー卿とサティが王都に帰還し、アルザス家までの道を歩いていると大体がこのように子供たちに囲まれてはからかわれる。いつもの光景に、大人たちも「ああ、あのピウニー卿が戻ってきたのだ」……と分かる、というわけだ。

子供たちの輪の中から年長の少年が出てきて、はしゃぐ子供たちをなだめながらピウニー卿に向き合った。

「ピウニー卿。アルザス家にお客様が来られているようですね」

「客?」

「ええ。5日ほど前から、立派な馬車が泊まっているようです」

「やはり来ておったか……」

ピウニー卿はサティと顔を見合わせた。

ピウニー卿らは、今回の旅で、アルザス家の所有する伯爵領に立ち寄った。現在、アルザス伯爵は騎士団長として王都に勤めているため、代わって領政を行っているのは、いまだ武勇は健在の、他ならぬアルザス家の前伯爵フォルディアス。……つまり、ピウニー卿の父だ。

ピウニー卿はサティを連れて、久しく会っていない両親に挨拶をしようと立ち寄ったのだが、生憎と両親は不在だった。家人に聞くと、王都に出た……という。丁度、帰還する用があった2人は後を追いかけるように王都に入ったのだ。

ピウニー卿は不穏な顔をする。

「やはり夜、ひっそりと入ったほうがよかったか……」

「何が不味いの?」

サティの問いには答えず、ピウニー卿は自らの顎を撫でる。

「帰って早々、何も言われなければいいのだが……」

「何か言われるの?」

ピウニー卿のご両親ってどんな人なのかな……などと、ちょっぴり怖いような楽しみなような気持ちがするサティには、気が重そうにため息をつくピウニー卿の表情には気付かなかった。

****

「……で、どういうことか、私達が納得できるように説明していただけるのかしら。ピウニーア」

「説明は書簡と、パヴェニーア、ペルセニーアから受けているはずです、母上」

「ほう、お前は他人の口から自分のことを説明させるというのか、ピウニーア」

「2度、領地に出向きましたが、お2人とも不在でした。ゆえに書簡にした……と何度も言っておりますが。父上」

「それで、このような重要なことを、今まで放置していた……と? ピウニーア」

「放置していた事柄に、心当たりはありませんが。母上」

「見上げた態度だな。結果どうあれ、放置は放置だとは思わぬか、ピウニーア」

「放置していた事柄に、心当たりはありません……と、申しております。父上」

アルザス家の広く趣味のいい居間は、先ほどからずっとこの調子で、重苦しい雰囲気に苛まれていた。

ピウニー卿が帰ってきてすぐに、サティは両親であるフォルディアス・アルザスと、ラフィニーア・アルザス夫人に出迎えられた。

フォルディアスは威厳と経験値を年齢と共に重ねた厳つい、武人にしか見えない人だ。どちらかというとパヴェニーアに似ている。ただし、パヴェニーアも大概厳しい外見をしているが、フォルディアスの風貌には足元も及ばない。濃い金茶色の髪と、丁寧に整えられた口髭が威厳を全く緩和していない。それどころか、威嚇している。

そして奥方のラフィニーア夫人は美しく年齢を重ねた人特有の豊かな表情が目を惹く、白金色の髪の人だった。少し鋭いきつめの表情が、いかにも武家の夫人……という風だ。30過ぎの息子が居るなんて、とても想像が出来ない。にっこり微笑まれたときなど、サティはあまりの緊張に仰け反ったほどだ。

だが、2人はとても穏やかにサティを迎えてくれた。武家風の装いも雰囲気も、心地よい緊張感でサティは嫌いではない。ほっと安堵の一息をついたのだが、挨拶もそこそこに居間に通されピウニー卿と共に座らされた。そして、現在のこの状況である。

父フォルディアスは憮然と、母ラフィニーアは微笑を湛えて、ピウニー卿を何かしら責めているようだが、サティには何の話だかさっぱり分からなかった。分かるのは両親のすごい迫力と、その迫力に対しても眉一つ動かさない泰然としたピウニー卿の態度だった。

「放置は放置だと言っている。ピウニーア」

……さっきから何を放置している……と言っているのだろうか。

「父上、ですから……」

「ピウニーア。わたくしは、」

ラフィニーアの声が低くなった。毅然とした態度で、ぴしゃり……と言い放つ。

「未婚のお嬢さんを旅に引っ張りまわして、どういうつもりかと聞いているのです!」

え?
私?

重苦しい緊張感に息切れしそうになったときに思わぬ矛先を向けられて、サティは顔を上げた。未婚……いや、まあ未婚は未婚だが、じ

「事実婚という言い訳は許しませんよ、ピウニーア」

何、今聞こえたの。私の心の声が聞こえたの!? サティは、怪しくなっていく雲行きに鼓動が速くなってくる。うわあ……と思っていると、サティの手をピウニー卿がそっと握った。思わずピウニー卿を見上げると、微かに頷く。それだけで安心してしまうから、どんな魔法を使っているのかとサティはいつも思う。

「母上、ですから……」

実は王都に戻ってきた理由の一つに、まさにその事項があったのだ。

ピウニー卿とて、王国の騎士である。親衛隊という身分で王命で動く男だ。いつまでもサティとの関係を宙に浮かせておいてはいけない。宙に浮かせているつもりは全く無いし、離すつもりも全く無いが、それならば結婚する方がよいに決まっている。王都に戻ってきた際、書類を提出してサティと公に夫婦になる手続きをしようと考えていたのだ。そうなるとこのまま旅の合間の帰還の度にアルザス家に世話になるわけにもいかないから、帰る家も準備して、正式に一緒になるつもりだった。

ピウニー卿は粛々とその説明を行った。だが、

「……で?」

「え?」

「それでも、今までの間放置していた事実に変わりはないでしょう」

ピウニー卿が一度離れていた手を今度は掴んで膝の上に引き寄せた。サティとしては放置されているなどと思ったことは無いし、自分たちの関係に疑問を持ったことも無い。それをどうしても伝えたくて、サティは隣に居る恋人と2人の親の顔を交互に見る。そんなサティの様子に、ピウニー卿は少し顔を寄せると、「分かっている」……とだけ、言った。

「今まで2人の婚姻の届けを出していなかったことが不備だというのならば認めますが、それは放置していたわけではありません」

「放置ではなくて、なんだと?」

「父上、母上……」

はあ……と、ピウニー卿は溜息をついた。心配そうなサティの手を、ぽんぽんと優しく叩いてその手を外す。半ば呆れ気味に両親に問いかけた。

「……何を企んでいるのですか」

「あらあら、企んでいる……などと」

「人聞きの悪いことよ、ピウニーア」

その言葉に、ほほ……とラフィニーアは笑み、フォルディアスはにんまりと笑った。

「花嫁姿が見たいのよ」

「花嫁姿が見たいのだ」

「え? 花嫁?」

……って誰だっけ?

「サティさんの花嫁姿……さぞ、可愛らしいことでしょう。ねえ、フォルディアス?」

「まったくだ。ペルセニーアに、セシルに、サティ。可愛い娘が3人も出来て、私達は幸せだな、ラフィニーア」

「む、……娘?」

サティは再び仰け反った。

そんなサティの反応を知っているのか知らないのか、ラフィニーアはフォルディアスの腕に自分の腕を絡め、肩に頭を預ける。そのままにっこりとピウニー卿に笑って、言い放った。

「式は1週間後。証人はヴィルレー公にお願いしましたわ。快く引き受けてくださいました。そして、ピウニーア。既に陛下からもお祝いの言葉を頂いております」

「は? 今なんと……」

「大丈夫だ。見知った者のみを呼んで、内々のみで執り行なう。招待客のリストはこれだ、足りないところは無いか? ピウニーア」

バン!……と、何が書き込まれた紙がピウニー卿とサティの目の前に置かれる。

「何が大丈夫で、」

「招待状は既に出した。何か、問題が?」

「いや、問題だら」

「まあ、何が問題なの?」

「何が問題なのだ、ピウニーア」

「……」

初めてピウニー卿が、圧された。

実のところ、サティはこういった事象に伴う様々なことに、ピウニー卿よりもずっと疎い。フォルディアスやラフィニーアという両親と共にアルザス家で育ったピウニー卿と違って、サティは呪いで猫になってしまう前は、ずっと理の賢者の元で魔法使いの修行をしていたのだ。憧れもあるが、現実味が無い。小さい頃からあの理の賢者に育てられたのだから、普通の家族とか、ましてや結婚……というものは、サティにとっては第三者的な機会しかない、よく分からないものだ。

だから、ピウニー卿に話を持ち出されたときも、なるほど、こういうタイミングでこのような事象が自分の身に降りかかるのか……と、嬉しいやらくすぐったいやらで、顔が真っ赤になり取り乱した。その状態で「了解」したら、ピウニー卿は大いに喜び、その後宿に泊まった時に、大変だったが。

しかし、このように自分達以外の人から指摘されると、妙に現実味が沸くというものだ。「娘」などと呼ばれてしまったし……。サティが意味もなくドキドキとしていると、ラフィニーアが執事を呼んだ。

「そうそう、それに合わせてサティさんに、届いているものがあるのよ」

「え、私にですか?」

ラフィニーアの言葉にサティが首をかしげる。アルザス家にサティ宛の届け物……というと、事情を知っているものでしかありえない。ピウニー卿が怪訝そうな顔を浮かべた。

「サティに、アルザス家へ……ですか? 一体誰から」

「理の賢者殿だ」

「し、師匠から?」

フォルディアスが頷くと、執事がなにやら大きな箱と小さな箱を持ってきた。サティとピウニー卿の前に置き、「開けてもよろしいでしょうか?」……と執事が問う。サティは頷いて、開いた大きな箱の中身を覗き込んだ。

「……こ、これ……」

「これは……」

「うふふ。……1週間ではドレスを用意するのが難しいかしら……って思っていたら、理の賢者殿が、……ねえ、フォルディアス」

「うむ。ここまでされては、きちんとした機会を持たねばならぬだろう、ピウニーア」

「サイズは心配いりません……とのことでしたわ」

……師匠ああ師匠。

なぜ弟子のサイズを知っているのですか。むしろ弟子のサイズだから知っているのですか。久々に口から泡が出そうだったが、ピウニー卿の様子は若干違っていた。

「サティのドレス……か」

何故か顎を撫でつつ、ふうむ……と、ため息を付いた。その様子を見て、フォルディアスはニヤリと笑う。

「どうせお前のことだ。書類だけ提出して終わらせようと思っていたのだろうが」

「や、それは……」

図星だ。

「理の賢者殿にここまでしてもらったら、アルザス家としても歓迎しないわけにもいくまい」

「うぬ……」

こうして、1週間後。アルザス家長子ピウニーアと理の賢者の弟子サティとの結婚の誓いの儀が、半ば強引に行われる事となった、のである。

****

「そうそう。あと、理の賢者殿の奥方からも小さな箱が届いておりますのよ」

「を……、おおおををおを奥方から!?」

サティがぎょっとした。ピウニー卿の両親の前だというのに変な声が出てしまう。ピウニー卿もいささか驚いているようだ。実のところピウニー卿自身、理の賢者の奥方には会ったことがない。何度か話題に出ることもあるが、サティはいつも曖昧に交わすし、理の賢者に言い出す雰囲気ではない。なんとなく不可侵のような気がしてあまり触れていないのだ。一体どんな人物なのかは、謎のままだ。

サティを窺うと、受け取った小さな箱をしげしげと眺め少しばかり緊張しているようだ。「あの奥方から……何が……どんな天変地異が……」と、恐ろしいことをぶつぶつとつぶやいている。

「……開けてみないのか?」

「開けて、みたほうがいいよね……」

などと問うたところで、どんな判断を下せばいいのかさっぱり分からないが、ピウニー卿はとりあえず神妙に頷いておいた。そんな2人の様子にフォルディアスとラフィニーアが首をかしげる。

「どうかなさって?」

「いいいいい、いえ。あ、あけ、開けます」

意を決したように、サティが開けた。サティの緊張感がピウニー卿にも移って、恐る恐る……2人顔を寄せて小さな箱の中身を覗き込む。サティが箱の中身をちょいちょい……と触れ、何事も無いのを確認した。

「……」

「あぁぁぁぁ……」

ピウニー卿が沈黙し、サティの魂が抜けた。2人を見たフォルディアスが、少しばかりうきうきと問いかける。

「……で、なんだったのだ、中身は」

「なんだったの?」

ピウニー卿が止める前に、フォルディアスとラフィニーアが身を乗り出して箱の中身をのぞき込んだ。

「まあ……」

「む……」

箱の中身は、小さな(恐らく)猫用のウェディングドレスとヴェール。小さな(恐らく)ネズミ用の騎士の正装だった。ネズミの騎士服など、小さすぎて余程目を凝らさなければ見えないほどだが、それこそ、目を凝らせば如何に精巧に作ってあるかが分かる。騎士服そのものを小さくしたわけではなく、四肢の大きさなどもきちんとネズミなのが憎らしい。というか、3頭身のネズミの騎士服……どうやって作ったのか。

「これを……どうしろと」

ピウニー卿が真顔でつぶやいた。

「着ろってことかと……」

サティががっくりとうなだれた。