付録

[ふたりの場合] 緩まった顔はしておりません

「まあ、本当に綺麗ね。ぴったりだわ。ねえ、セシル」

「ええ、本当に。サティさん、とてもお似合いですわ」

「あ、ありがとうございます」

理の賢者から贈られた白い衣装にサティは身を包んでいた。俗に言う、衣装合わせ……というやつを行っているのだ。切り替えは無いが、布地を身体に沿わせ、滑らかな曲線を強調した流行にとらわれない美しい形のドレスだった。背中が少し開いていて、セピア色の髪がそこに落ちて彩る計算らしい。

ラフィニーアとセシル、そして数名のお針子達が裾の長さや腰周り、胸周りを測っているが、ほとんど手を入れなくても大丈夫のようだ。まるで自分ではないようで落ち着かないが、着てみた感触はぴったりだった。ラフィニーアが満足げに頷く。

「まったく心配が無いわね。理の賢者殿はお胸のサイズだけが心配……って仰られていたようだけど、ぴったり。サティさん、お疲れ様。ピウニーアも綺麗な貴女を見て喜ぶでしょう」

ピウニー卿が喜ぶ? サティの頬が染まり、その様子を見てラフィニーアの表情が柔らかくなった。

「喜ぶでしょうか」

「喜ばないわけがありません。サティさんに花嫁衣裳を合わせるっていったら、どうしても見たいと言っていたわ。フォルディアスと一緒になってとても煩かったから、剣でも合わせてこいって追い出したのよ」

「殿方にお見せするわけには参りませんものね」

「本当に。フォルディアスまで見たいって。そういえば、パヴェニーアもセシルのときに同じことを言っていたわね」

「ふふ。同じようにお義母様に追い出されてましたわ」

セシルとラフィニーアは楽しげに話している。それを見ながらサティはなんとなく後ろめたい。

セシルやペルセニーアには、帰還する度に会って話をしている気安さもあるが、ラフィニーアには正直どのように接すればいいのかが分からない。そもそも、呼ぶときに困る。「ラフィニーアさん」と呼ぶのもおかしい気がするし、「アルザス夫人」はもっと変だ。

しかも、ここまでしてもらっているのにも関わらず、サティは何も出来ていない。サティがやったことといったら、ピウニー卿と共に王宮に行って王様に旅の報告を行い、その時に、結婚の報告を述べて、ジョシュ殿下におめでとうと言われて、それくらいだった。

ぼんやりしていたサティを見て、ラフィニーアが小さく首をかしげた。

「どうしました?」

「いえ、……その、ありがとうございます。ここまでしていただいて……でも、」

サティが何ともいえない表情で、言葉を選んでいる。

「私、何もしていないのですけどいいんでしょうか。何もかも、アルザス家の人たちに任せきりですし。私も何かお役に立ちたいんですが、こういう時に何をすればいいのか、分からなくて」

ラフィニーアが驚いたような表情を浮かべた。サラ……と白金の髪を肩に流しながら笑う。その零れ落ちるような笑みを見て、サティの顔は再び赤くなった。

「ごめんなさいね」

「え?」

「急にいろんなことを進めてしまって、ごめんなさい」

「いいえ、違うんです。慣れないって、そういう意味ではなくて……」

「ええ。分かっていますのよ」

ラフィニーアはセシルの方を振り返った。

「セシル。あとは私がやりますわ。手伝ってくれてありがとう」

2人っきりにして欲しいという、ラフィニーアの意図にセシルは快く頷いて席を立ち、お針子達と共に部屋を出た。そんなセシルの後姿を見送りながら、サティはため息を付く。セシルもアルザス家のパヴェニーアの妻だ。武家の伯爵夫人……という地位にありながら、人好きのするおっとりとした性格で、そのくせ執事や侍女たちへの振る舞いは慣れたもの。ラフィニーアはきびきびと、セシルはゆるりと伯爵家の私事を動かしているのが、こうした機微に疎いサティでもはっきりと見て取れた。自分にはとても真似できそうにない。

「サティさん」

「はい」

ラフィニーアはサティの着ている衣装を解き始める。サティも一緒に幾つかの留め具を外そうとしたが、「形が崩れるから」……と止められた。ラフィニーアは作業をしながら、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。

「貴方はアルザス家のお嫁に来るのではないわ。ピウニーアの妻になるのです」

「え」

「だから、これはわたくし達が勝手にやっていること。サティさんは気にしなくてもよろしいのよ」

「でも……」

「でも、気になるわよね」

くすくすとラフィニーアが笑う。笑うときつそうな雰囲気が一変して柔らかなものになる様子は、ペルセニーアによく似ていた。そういえば、夫のフォルディアスと一緒に居るときも、ラフィニーアは柔和な雰囲気だ。

「アルザス家は代々続く騎士の家系……というのはご存知でしょう。フォルディアスも、パヴェニーアも、そしてペルセニーアも、わたくしが言うと自慢に聞こえますが、立派な騎士であり武官で、アルザス家の誇りです」

「ピウニーは……」

「もちろん、ピウニーアもよ」

確信を込めて、ラフィニーアは頷く。

「でもピウニーアは、宮廷にあって多くの騎士達と共に堅実な守護の勤めを果たすよりも、最前線にあってまだ見ぬ未知の脅威を知って国へと報告する……という任務に忠義を捧げてしまったわ。オリアーブは平和に見えますが、その裏に、大人しいはずの魔物が暴れる……という脅威があります。その危険をいち早く察知して、調査する……という、危険な仕事ね」

悪戯っぽく片方の瞳を閉じて、にっこりと笑う。

「……などといえば親バカか何かのように、聞こえはいいですが、要するに真面目なくせに奔放な性格をしているのですわね」

ラフィニーアはサティに着替えを手渡し、脱がせた花嫁衣裳を調える。サティは渡された服に袖を通した。

「ピウニーアが若いときには、親の目には無謀で考え無しに見えたこともあったのよ」

そんなピウニー卿は、任務の果てに魔竜との戦いに赴き、一時その戦いによって死んだものとされた。

「国の騎士として任務の途中で死ぬのは致し方の無いこと。その覚悟もアルザス家の者としては当然のことです。ですが、親としては……覚悟などするよりも、生きて戻ってくることを願わずには居られません」

着替え終わり、サティは大人しくラフィニーアの話を聞いていた。ピウニー卿が伯爵家の家督を譲り、覚悟を決めた話は知っている。ただ、魔竜との戦いは話しに聞くだけでどのようなものだったかサティは詳しくは分からない。

「だけど、今はサティさんが居てくれるでしょう?」

「私が?」

「ええ。ピウニーアのようなクソ真面目な割りに旅鳥な、危険を危険とも思わないような騎士を、好きになって、ついて来てくれて、本当にありがとう」

サティの顔が赤くなり、ぶんぶんと頭を振った。いや、それよりもこの人、自分の息子にさらっとさりげなく「クソ」って言った気が。

「わたくし達は、サティさんにピウニーアを押し付けるの。大切な人が出来れば、ピウニーアもそれを守るわ。守ることを知る。それこそがアルザス家の騎士の大切な教えです。あのバカ息子もやっとそれが分かったのね」

今度はさりげなく「バカ」って言った気が。いやさりげなくない。はっきり言った。しかもその部分だけ力籠もってた。

「だから、今回の式のことを貴女が気に止む必要はないわ。むしろ、わたくしが貴女達にしてあげたいの。……余計なお世話かもしれないし、貴女には慣れないことばかりで迷惑かもしれないけれど」

サティも手伝いつつ、ラフィニーアも脱がせた花嫁衣裳を調え終わった。「さあ、お茶にしましょう」……と言って、ラフィニーアが立ち上がる。

「ラフィニーアさ、ん」

……と、しまった思わず名前で呼んでしまった。呼んでしまってから失礼にあたると気付いたが、仕方がない。ただ、ラフィニーアは気に留めたふうではなく、言葉の続きを待っている。何も言われなかったことにほっとして、サティは言葉を続けた。

「ありがとうございます。……正直に言うと、ピウニー……ピウニー卿の側に居られるなら、結婚の事も特に考えたこともありませんでした。旅ばっかりだったし。今回帰ってきたのも、彼が言ったからなんです。私はその……、両親が居なくて、あまりこういうことに現実味が沸かなくて……。憧れが無いわけではないのですが、どうすればいいのかも分からない。でも、」

「でも?」

「今は少し違います。自分達だけじゃなくて……周りの人に認めてもらうためにも、そういうことも必要なんだと思ったんです。さっき、ラフィニーアさんにありがとうって言われて、とても嬉しかった。だから……」

「サティさん!」

「ふぎょうっ!?」

サティはぎゅう……と、ラフィニーアに抱きしめられた。思わず喉から変な声が出る。

「サティさん……なんて可愛いの。ピウニーアにはもったいないわ! 本当に、こんな娘が出来るなんて、わたくしとっても嬉しい!」

ぎゅうぎゅう……と抱きつく腕がきつくなる。

「でも出来れば、ラフィニーアさん……ではなくて、その……『お義母さん』って呼んでくれれば嬉しいのだけど……贅沢かしら」

ぎりぎりと抱きつかれながら遠のく意識の中、サティはピウニー卿の言葉を思い出した。

ピウニー卿の母ラフィニーアは剣は苦手だが、体術の達人であるのだ……と言っていた気がする。ラフィニーアいわく、女の嗜み……なのだそうだ。だが死ぬ。このまま呼ばないと死ぬ。多分死ぬ。

「お、おか……おかあさん……は、はなして……」

「はっ!……サティさん、大丈夫かしら……って、今、お義母さんって言った!? 言ったわね!?」

腕が緩んだ。助かった……昇天しかけた。ぜぇはぁと息を吐くサティに、「まあ!」……と言って両頬に手をあて、今度はそっとサティの頭を撫でた。

「わたくしとしたことが……。取り乱しましたわ。サティさん、ありがとう。『お義母さん』って呼んでくれて。……サティさんに認められたみたいで、とても嬉しかった」

「へ?」

ラフィニーアはにっこりと笑った。

「さあ、お茶にしましょう。自慢しなきゃ」

「あ、は、はい……」

侍女達と入れ替わりに部屋を出て行くラフィニーアの後姿を追いかけながら考える。サティは、ピウニー卿と自分の関係を、アルザス家の人たちを始め、みんなに認めてもらうことがとても嬉しかった。そう気付いた。ラフィニーアに「ありがとう」と言われて、それがとても嬉しかったのだ。

だが、もしかしたらラフィニーアも同じ思いを抱いていたのかもしれないと思うと、急に親近感が沸く。

ところで、自慢ってなんだろ。

****

「サティ!」

地下の鍛錬場で父のフォルディアスと剣を合わせていたピウニー卿は、ラフィニーアと共に降りてきたサティに気付き微笑んだ。確か、母と共に花嫁衣裳を合わせていたはずだ。胸周りのサイズが心配だ……と言っていたが、大丈夫だったのだろうか。どうしてもドレス姿のサティを見たかったのだが、男が見るなとラフィニーアにもセシルにも、ピウニー卿とフォルディアスは男2人して叱られてしまった。「2人で剣の稽古でもしてらっしゃい」と、ラフィニーアに追い出されたのだ。

しかしサティの花嫁姿か……。

想像するだけで、ピウニー卿は頬が緩む。

「おい、ピウニーア! 直立不動!」

「はっ!」

「緩まった顔をするな!」

父の声に従い姿勢を正したピウニー卿は、思わず舌打ちした。怒号に対する反応は、アルザス家の騎士に刷り込まれた条件反射のようなものだ。ピウニー卿は父の顔を見て嘆息して、姿勢を解く。

「父上ほど緩まった顔はしておりません」

「ほほう。言うようになったなピウニーア」

言いながらフォルディアスは、にへら……と、サティに向かって微笑んだ。その笑顔を向けられて、思わずサティも、えへへ……と笑みを返す。途端に「おおおお!!」……とフォルディアスが拳を握った。

「私は緩まった顔などしておらんぞ! ……なあ、サティや!」

ピウニー卿をスルーして、ずんずんとフォルディアスはサティに近づくと、うんうん頷いて、義娘の肩に手を置いた。

「どうだ、衣装合わせは上手くいったか?」

「はい、おかげさまで。ラフィニ……お、義母さ、ん、に、よくしていただいて」

「おっ……!?」

サティの返答を聞いて、フォルディアスの顔が驚愕した。その顔を見てラフィニーアがにんまりと笑う。2人の表情に挟まれたサティは、何か悪いことを言っただろうかと、変な表情で固まっている。全く、他の人であればこんなことは無いのに、フォルディアスとラフィニーアに挟まれると、サティはどうも調子が出ない。

「うふふ」

「……く……っ」

そんなサティを挟んで、フォルディアスが悔しそうに、ラフィニーアが自慢げにお互い向き合っていた。ピウニー卿がその隙にそっとサティの隣に並んで、肩を抱く。その顔を見上げてサティが何かを言う前に、ピウニー卿が人差し指を唇にあてた。「出るぞ」「えっ」……ピウニー卿はサティの肩を引いて、静かに親2人と距離を取る。

「わたくし、サティさんに『おかあさん』って呼んで貰いましたわ。これで5勝ですわね、5勝!」

「しかしっ、3人の時は私はずっと王宮勤めであったし、セシルもサティも、お前のほうがずっと一緒に居る時間が長いではないか! 分が悪いっ、分が!」

「あら、わたくし3人にはちゃーんと『ちちうえ』って教えましたし、セシルやサティと顔を合わせたときは2人とも揃っていたではありませんか」

ラフィニーアがふふん……と澄ました顔で横を向いた。フォルディアスが悔しげに唸る。

「……しかし、次はっ、次は負けん!」

「あら、わたくしだって負けませんわよ、『じいじ』」

わざと「じいじ」のところを強調して、ラフィニーアは、ほほ……と笑った。

「むう……、今回はラフィニーアに譲るが、サティや、とりあえず『お義父さん』……って、サティ? おい、ピウニーア!」

サティはピウニー卿に引っ張られて鍛錬場を出た後だった。フォルディアスの顔が、がっくりとうなだれる。うなだれたフォルディアスをよしよし……と撫でながら、ラフィニーアは楽しげに笑う。

「仲がよいのは一番ではありませんか、フォルディアス」

「ううむ……それはそうだが……」

フォルディアスは先ほどまでの悔しげな顔はどこへやら。ラフィニーアの腰を引き寄せて、ふう……とため息を付く。

「しかしあのピウニーアが、嫁を見つけてくるとはなあ」

「まったくですわね」

王都を留守にしがちだから……と、これまで付き合った女性とも深い仲になったことの無かったアルザス家の長子。恋をしたとて、その女性を王都に残しておかなければならず、特に若い時分は相手に寂しい思いをさせてしまうから……と、故意に遠ざけていたところもある。そもそも、ただ「待つ女」は、彼の性格には合わなかったのだろう。それが今は、文字通り、共に歩む女性を手に入れたのだ。

息子の性格から言って、自分たちで派手なお披露目を用意するなどということはしないだろうと思っていた。かといって、旅ばかりのピウニー卿を任せる女性に何もしないというわけにはいかない。既に自分たちの手を離れた息子たちだ。どうにでも好きなように過ごすだろうが、せめて、2人に記念の日を持たせてやりたいと思ったのは親心。もっとも、「サティの花嫁姿を見たい」と言ったのは自分たちの希望でもあったのだ。

「早く『じいじ』って呼んでもらえたらいいわね、フォルディアス?」

「む。……とりあえずは、セシルとパヴェニーアの子だ。次は負けん!」

「うふふ。ようやく私達も、孫に囲まれてのんびりできるかしら?」

「孫に囲まれたとて、私はまだまだ現役だぞ」

「あらあら」

くすくすと笑うラフィニーアを引き寄せて髪に口付けると、フォルディアスは鍛錬場を後にした。まだまだやることはたくさんあるのだ。そういえば、2人は猫とネズミになるというが、その姿もまだ見せてもらってはいない。

見せてくれる、のだろうか?

2人は理の賢者の奥方の、贈り物を思い出した。