付録

[ふたりの場合] 答えは1つに決まっている

その日の夜、父と息子は2人で酒を傾けていた。

「いよいよ明日か。準備はどうだ」

「……ほとんど、セシル殿と母上が動いていて、私などの出る幕はありませんよ」

「ああ。こういった行事は大抵女が主役で男はおまけだ。ラフィニーアに任せておくといい」

「父上」

「なんだ?」

「此度の準備、ありがとうございます」

「ほう? 礼など言われぬと思っておったわ」

頭を下げる息子に、はっはっは……と、フォルディアスは豪快に笑った。酒盃を置いて、ピウニー卿をしげしげと眺める。

「サティを大事にしろよピウニーア。アルザスの人間も変わり者だが、それを請う者もまた変わり者よ。セシルやアンヘル殿を見ておれば分かろう」

セシルは、夫パヴェニーアの変わった趣味と共に生きる女性だったし、アンヘルは、ヴィルレー公爵であり宰相……文官としての最高の地位にありながら、女の身で武官を務めるペルセニーアとただならぬ仲であるらしい。それに、母ラフィニーアも体術を極めた女性だ。若い頃、暴漢に襲われそうになったところをフォルディアスに助けられ、最終的にはなぜかフォルディアスと並んで暴漢を成敗した……という逸話を持っている。

そして、サティは自分と同じように獣に変わる身で、自分と旅をすることを厭わない。

「分かっております」

ピウニー卿は、ぐ……と酒盃を煽って空になったそれを置く。

「言われなくても分っております」

神妙な顔になった。

今は人の姿で旅をしていて、サティは常に目の届くところにいるし、引き寄せれば抱きしめることができる。

共に旅をしていても自分が前線に立ち、大概の魔物は彼の敵ではない。サティは防御魔法を中心に、ピウニー卿が魔法剣で前に出て、数や個体の強さに応じて戦い方を少しずつ変えている。各々、魔法の打つタイミングや立ち位置なども把握し、ピウニー卿が指示すればサティはすぐに飲み込み、前に出すぎることなく援護に徹する。恋人、というだけでなく、サティは頼りになる魔法使いだった。

だが、こうした状況になるまで、ピウニー卿はネズミの姿で守られてばかりいた。サティからすれば、そんなことはない……と主張するが、男としては切ないことこの上無い。そして極めつけは、忘れもしない、目の前でサティが死の呪いにかかったあの、瞬間。

近頃では少なくなったが、思いを遂げてから日が浅いうちは、幾度も思い出し、夜中に目が覚めることはしょっちゅうだった。自分でも女々しいことよ……と思うが、目が覚めては、腕の中に抱いている存在を確認してしまうのだ。

しばし落ちた沈黙を破ったのは父の声だった。

「姿形が変わって、お前も変わったか」

「小さい身だからと恥じていたこともありました。愛する女が自分よりも大きな猫だと引け目を感じていたことも。……そのせいで、危うく大切なことを伝えられぬところでした。それがあんなに苦しいとは思いも寄らなかった。もうあんな思いは2度としませんし、させません」

「それならば、かまうまい。お前の変化の力も、無駄にはならなかったということよ。いかなる状況にあっても学ぶことは多い。それを忘れるなよ」

ノックの音が聞こえた。

ラフィニーアがサティを伴ってやってきたのだ。そろそろお開きの時間だ。

「おお、ラフィニーア。もうこんな時間か」

「ええ。放っておくと貴方は一晩中息子達とお酒を飲むでしょう。ですから迎えに来ましたの」

「む……。いいではないか。たまにしか会わないのだから、少しくらい」

「今日はダメです。ほらほら、愚痴を言わずに行きますよ、フォルディアス」

側に来たラフィニーアに腕を取られ、フォルディアスは渋々立ち上がる。2人で結構な酒量を飲んだが、それほど酔ってはいない。ピウニー卿が立ち上がり、サティを手招きした。並んだ2人の様子をフォルディアスは微笑ましく見遣り、頷く。

「おやすみ、サティや」

「おやすみなさい、お義父さん」

その声を聞いて、フォルディアスの顔がぱああぁぁぁ……と輝いた。ラフィニーアの肩をがしっと抱いて、よっし……と!拳を握る。

「聞いたか!? 聞いたか今のを、ラフィニーア! 勝負には負けたが私もちゃんと呼んでもらえたろう」

その様子にラフィニーアは苦笑しながら、フォルディアスを引っ張った。

「はいはい、聞いてました聞いてました。……さあ、呼んでもらえたことだし行きますよ。これ以上2人の邪魔をすると、ピウニーアに怒られそうだわ」

「母上……!」

サティの肩を抱き寄せかけていたピウニー卿が、頬を染めて母に抗議の声を上げた。フォルディアスとラフィニーアの様子を見て、サティが落ち着かなさげな表情を浮かべる。

「あの、私何か変なことを……?」

「いえいえいえいえ、いいのよ、サティさんは気にしなくて。おやすみなさいね、2人とも」

「ああ、サティや、もう一度『おとうさん』……と」

「フォルディアス! さあもう行きますよ」

嬉しくてテンションの上がっている様子のフォルディアスをずるずると引きずりながら、ラフィニーアは離れの居間を後にした。扉を出るとき、にっこり笑ってピウニー卿とサティに手を振るのも、忘れずに。

……。

変なテンションの2人を見送ったピウニー卿は、ふう……と息を吐いて、再びソファに腰を下ろした。不思議そうに2人を見送ったまま立っているサティの手を引いて、隣に座らせる。

「疲れていないか、サティ」

ピウニー卿に手を引かれるまま隣に座ったサティは、ふる……と首を振って笑った。

「疲れていない。お義父さんもお義母さんも、……仲がよくて、素敵な人ね」

「……まあそうだな、昔から仲はよかった」

父の稽古も母のしつけも厳しかったが、あの2人の仲のよさが、兄妹たちの恋愛観に大きく影響を与えたのだろう。それは、アルザス家特有の頑固さも伴って、納得のできぬ相手とは決して相容れない……という妙な信義も生み、3人とも普通の貴族よりもぐっと婚期が遅れている。アルザス家自身がそれを別段気にも留めないからなおさらだ。

それでも、納得のいく相手を見つけることができるのは、なんという幸福なことだろうか。

ピウニー卿はしばらくサティの手を握ったままそれを撫でていたが、不意にふわりと抱き寄せた。「ピウニー?」……と、腕の中でサティが身動ぎをする。サティの頭の上で、ピウニー卿の吐息交じりに低い声が聞こえた。

「サティ」

「どうしたの?」

「俺の妻になってくれるか」

「はい」

腕の中のサティが、一切躊躇うことなく答えた。また戸惑われるかと思っていたピウニー卿は、少しだけ驚いて、腕を緩めてサティを見下ろす。見上げるグリーンの瞳は真剣だったが、瞬きの間に悪戯げな表情に変わった。

「ピウニーに初めて『好き』って言った日みたいだわ」

あの時もこうして、ここに座ってピウニー卿は少しだけお酒を飲んでいて、サティを抱き寄せていた。その日の事を思い出して、ピウニー卿も微笑む。2人はあの日と同じように唇を重ねた。あの日と違うのは、ピウニー卿が急いた様子ではなく……だが、とても大胆にサティの肌に触れていることだ。しばらくそうして、互いを堪能していたが、少し離れて、ピウニー卿が囁く。

「ああ……本当に、愛してる」

その声を聞いて、サティの頬が染まった。

だが、もう照れて身を離したり、慌てたりすることは無かった。サティはピウニー卿に体重を掛けて、ぎゅ……と背中に手を回す。ピウニー卿の耳元に唇を寄せて同じ言葉を告げると、それを聞いたピウニー卿は再びサティの身体に手を這わせ始める。

触れる唇が深くなり、抱き合う身体がきつくなった。

****

騎士の礼装に身を包んだ壮年の男が、部屋の扉をノックした。いつもは少し伸びがちの無精髭も今は綺麗に剃って整えられている。薄い色合いの金髪とこげ茶色の意志の強そうな瞳が特徴のその男は、少しだけ緊張の面持ちで扉が開くのを待っていた。やがて、3人の女性が扉を開けて、男と入れ違いに出て行く。

男が部屋を横切り、窓辺に座る女性の側にやってきた。

白いドレスに身を包んだその女性は、セピア色の長い髪に白い小さな花をいくつも挿している。わざと残した葉の緑色が瑞々しい。男が傍らに跪いてその手を取ると、幸せそうに笑んだ後、すこしだけはにかんで俯いた。

男が女性を立ち上がらせた。

女性は薄いが化粧も施していた。目元がすこし潤んだように煌いていて、唇は濡れたように艶めいている。うっとりと男は女性を見下ろし、下ろした髪に遠慮がちに指を絡ませた。やがてその指は耳元を滑り、頬を撫で……そしてもう一度、髪に触れる。何も言わない男に、女性が少しだけ不安そうに瞳を揺らして唇を動かした。

「こういうのは着慣れなくて……変じゃない?」

「変なものか……。見惚れてしまった。とても綺麗で、よく似合う……サティ」

「そうかな、ピウもよく似合ってる。そういう格好、初めて見たわ」

「お前と並んで見劣りしないようにしなければな」

2人は顔を見合わせて笑った。部屋の扉が急かす様にノックされる。

「やれやれ。もう少しゆっくりサティを見ていたいのだが……」

「うん」

「サティ」

ピウニー卿がサティの名前を呼ぶと、それに呼応するようにサティが顔を上げる。自分を見つめるその顔に、ピウニー卿は小さく口付けた。サティが慌ててピウニー卿の唇をハンカチで拭う。少しだけ口紅が移ってしまった。

「ちょっと、まだ早いわ」

「後でも先でも一緒ではないか」

……仕方がない。行くか……とピウニー卿はサティから手を離し、扉の前に立った。
サティへ向かって、手を伸ばす。

「俺と一緒に来てくれるか、サティ」

「当たり前じゃない。ピウニー」

答えは1つに決まっている。
サティはピウニー卿の手を取った。

扉が開き、祝福の声が2人の下に聞こえ始める。