「夫となるピウニーア・アルザス殿、妻となるサティ・イェーシェ・アニャケトゥス殿。婚姻の書類に署名を」
アルザス家の邸宅にて、庭に面して広く取られた室内。その上座に設えたテーブルの前で、ピウニー卿とサティは並んで書類に何かを書き込んでいる。その様子を台を挟んで見守っているのは、ヴィルレー公爵アンヘル。彼らの周囲には、それぞれ礼装に身を包んだ友人達が並び、サティとピウニー卿の2人の両脇には、少し年かさの夫婦が2組並んでいる。フォルディアスとラフィニーア、そして杖の賢者と剣の賢者である。
今日は、ピウニー卿とサティの結婚を祝う席が設けられていた。オリアーブで最も有名な騎士でありアルザス家の長子ピウニー卿の結婚の席にしては、呼ばれた人間はそれほど多くは無い。だが、その顔ぶれはそうそうたるものだった。
書類に書き込んだ2人は顔を上げる。
ヴィルレー公爵がその書類を自分の方に向け、内容を確認して頷く。
「……それでは、本日この善き日。アンヘル・ヴィルレーが、2人が夫婦であることの証人となる。……2人とも、いついかなるときもよい夫婦でありなさい」
そして、書類にヴィルレー公爵の署名を施し、ピウニー卿とサティを促して皆の方に向かせる。
「では、誓いの口付けを」
「え?」
「サティ」
サティの「ちょっと聞いてな……」という言葉の続きを塞ぐようにピウニー卿が、サティの腰を抱き寄せた。セピア色の髪を払うように頬を撫で、ゆっくりと唇を重ねる。2度、3度角度を変えていたが、フォルディアスの咳払いから1拍遅れてそれは離れた。真剣に見下ろしているピウニー卿と、照れて俯いてしまったサティとが対照的だ。
室内に差し込む日が暖かく、染み渡るように祝福の拍手が響く。
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「久しぶりだね、フォル……」
「あら剣の賢者殿、お久しぶりですわ」
「私はフォルディアス卿に挨拶したんだけど? ラフィニーア」
「ほほ……。夫の代わりに妻が挨拶しただけですわよ、剣の賢者、殿?」
寡黙な杖の賢者に挨拶をしているフォルディアスを覗き込むように、剣の賢者がやってきた。その動線を遮って、ラフィニーアが可愛らしく首をかしげる。ラフィニーアの様子を見て、ふん……と剣の賢者は物騒に瞳を細めた。
「やあ、相変わらずだね。ラフィニーア」
「貴女こそ、剣の賢者殿」
剣の賢者は、剣の魔法を極めた賢者という存在柄、アルザス家とは浅からぬ縁がある。先々代のアルザスの家長……すなわちピウニー卿の祖父の剣は先代が作成し、それはフォルディアス、パヴェニーアと受け継がれていた。そしてピウニー卿の剣は今代が作成している。ピウニー卿の剣に至っては、2本目を作った……という経緯もあった。
そして、今代の賢者は先代の頃からフォルディアスと知り合いで、ラフィニーアとも様々な意味で、仲がいい。
「以前会ったのは、パヴェニーア卿用に剣を調整したときだったっけね?」
「あの時は、手合わせのお相手いただき感謝いたしますわ?」
「いやいや、こちらこそ。あの時教えてもらった蹴り技はすごーく役に立っていてね」
「あら、お役に立てて光栄だこと」
「伯爵家の貴婦人の得意技が『蹴り』だなんて予想外さね」
「そちらこそ、淑女たる剣の賢者が剣の技を差し置いて、わたくしの教授した技を使ってくださるなんて」
ギリ……と2人は肩をつき合わせてしばらく睨みあい、……ふ……と同時に笑った。
「いい嫁をもらったじゃないか」
「わたくし達の息子ですもの、当然ですわ」
ラフィニーアと剣の賢者は2人並ぶと、友人達に囲まれているピウニー卿とサティを見遣る。彼らの以前には自分達の物語があり、そして今、彼らの物語がある。いずれ彼らの子供たちへと物語は移り、そうしてこの魔法と騎士の国は出来上がっていくのだ。なんと感慨深いことか。2人はしばし眩しげに、オリアーブの騎士と魔法使い達を見つめていたが、ふと夫2人の様子が視界に入った。
フォルディアスと杖の賢者。男2人は黙って酒盃を酌み交わしている。ラフィニーアと剣の賢者は顔を見合わせた。そして、小さく笑う。
「まあ、今日くらいは大目にみるかねえ?」
「羽目を外さない程度なら、よしとしましょうか」
「あんたも飲むかい?」
「まあ、多少なら」
ラフィニーアと剣の賢者は杯を持つと、新しい夫婦を祝してそれを持ち上げた。
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ペルセニーアは、兄ピウニー卿の婚姻の証人を引き受けてくれたヴィルレー公爵アンヘルの傍らに並ぶと丁寧に一礼を取った。
「今日は兄の婚姻の証人を引き受けてくださりありがとうございました、アンヘル様」
「いや。こちらこそ、このような場に呼んでいただいて感謝するよ。いい式だったね、ペルセニーア」
「ええ。我が身内の事ながら、いい女性に恵まれて本当によかった」
オリアーブでは、書類を作成して提出すれば公には夫婦と認められる。大げさな祝い事を好まない夫婦は、単純に書面だけの手続きで済ませる者もあるが、大抵は、その書面を祝いの席で記述するのが慣習だった。書類には、証人の名前を記載する必要があるのだが、祝いの場を設ける場合は目上の人や年上の者などに証人を頼み、皆の前で夫婦となったことを誓い合う。
此度のピウニー卿とサティの婚姻の証人は、アンヘルが依頼を受けた。アンヘルも、ピウニー卿にまつわる一連の出来事を知っている人間の1人だ。あれ以来、2人とは公私共に両人とも親しくなっていた。娘のセラフィーナがピウニー卿に少しばかり憧れのような瞳を向けているのは、複雑なところではあるが。
ラディゲやヴェルレーンに囲まれている2人に視線を傾けるペルセニーアを、アンヘルはそっと見つめた。今日は騎士服ではなく、凛々しさを残したデザインのドレスに身を包んでいる。正装ならば騎士の服を着るべきなのだろうが、母にどうしても……と言われ、仕方なく、と苦笑していたペルセニーアを思い出した。甘いドレスではないところがペルセニーアらしい。よく似合っている。
「お父様、ペルセニーア!」
「セラフィーナ」
セラフィーナがペルセニーアのドレスに抱きつき、くるりと身を翻した。
「ねえ、さっき、ピウニーア様に『ドレスがよくお似合いですね』って言われてしまったの」
少しだけ頬を染めるセラフィーナに、ペルセニーアが優しく笑った。セラフィーナは裾がシフォンのミント色のドレスに、ショコラ色のリボンを飾っている。歩くたびにふわふわと揺れて、可憐な印象だ。
「ええ。とてもよくお似合いですよ、セラフィーナ」
「本当に? でも、ペルセニーアもよく似合ってるわ。いつもの騎士様の服も素敵だけど、今日はとっても綺麗だわ!」
うっとりとペルセニーアのドレスを見上げて、楽しげだ。
「ね、お父様?」
「ええ?」
「ジョシュのところに行ってくるわね」
ペルセニーアとセラフィーナのやり取りを楽しげに見守っていたアンヘルは、唐突に話を振られて面食らった。何かを言う前に、たたた……と、セラフィーナは裾をふわふわと揺らしながら駆けていってしまう。その方角には、祝いに駆けつけている王太子のジョシュが居る。本当はお忍びでもなんでもいいから参加したい……と国王も腰を浮かしかけたのだが、公務を優先して下さい……と止められ、代わりにジョシュがやってきたのだ。
ペルセニーアがセラフィーナの動線を視線で追いかける。その先には、ジョシュと仲良くおしゃべりに興じているセラフィーナ。小さな淑女を見守っているペルセニーアに、アンヘルはそっと呟いた。
「そうだな」
「アンヘル様?」
ペルセニーアがアンヘルの声に顔を上げた。視線が絡まり、アンヘルは穏やかに瞳を細める。遠慮がちに、そっとペルセニーアの髪に触れた。
「とてもよく似合っているよ、ぺルセ。いつもの騎士服ももちろん悪くは無いが、私はそういう雰囲気も好きだな」
「あ、……ありがとうございます。アンヘル様」
ペルセニーアは少しだけ照れたように、だがアンヘルの好きなあの表情で、柔らかに笑った。
****
「ラディゲ卿、マハ・マハジューレは元気かい?」
「殿下」
「今日は来ていないのだね」
ラディゲは側近くまで来ていたジョシュに、臣下の礼を取る。ジョシュは王太子という身分だったが、特別に国王の許しを得て、こうしてピウニー卿とサティの婚儀の祝いに駆けつけたのだ。ラディゲ、ヴェルレーンがその身を守るよう命じられている。ジョシュは健康な身体を取り戻した。
魔法の練習中に魔力を使いすぎてしまい倒れることはあったが、サティによれば、よくある話だ……という。いずれにせよ、こうして城下まで降りて臣下の邸宅に出向くことができるようになったのはよろこばしい。国の施設の視察などにも、そのうち出かけられるようになるだろう。
「マハは今、少し」
「少し?」
「体調を崩しておりまして」
「え? 大丈夫なのかい?」
ラディゲはいつもの彼らしからぬ様子だ。なぜか照れたような様子でこほん……と咳払いをした。
「ええ。まあ。病気ではありませんので、心配はいりません。時期が来ましたら、改めて殿下にも陛下にもご報告します」
「うん?」
少しだけ不思議そうに首を傾げたが、ジョシュはそれ以上追及しなかった。別の話題を口にする。
「先日の遺跡調査には、ラディゲ卿もマハと共に協力してくれたそうだね」
「はい。マハが情報の解析を」
「協力してくれた旨、お礼を言っておいてくれないかな」
「伝えましょう」
そのとき、ジョシュの視線が別のところに移り、顔が綻んだ。側に来たのは今日の主役達だ。ジョシュは、サティのドレス姿を眩しげに見る。綺麗だね、などというのは照れくさい。セラフィーナになら、言えるのだが。
「サティ、それにピウニー卿も」
サティとピウニー卿は顔を見合わせて溶けるように微笑んだ。ピウニー卿の精悍な顔が緩まったが、その視線をジョシュに移したときには、いつもの騎士たる表情に戻る。ラディゲと同様に臣下の礼を取る。
「ラディゲ卿と共闘したそうだね。さっきその話をしていたんだよ」
「遺跡の調査はかなり有用な情報が得られました」
「うん。陛下からも聞いている。随分と大量のアンデッドと対峙してきた……と」
ピウニー卿の言葉に、ジョシュが頷く。ピウニー卿は臣下の礼を解くと、顎を撫でた。ラディゲに視線を向ける。
「そういえば、ラディゲ。マハから何か?」
「そのことなら、伝え聞いている」
「ほう、内容は? 如何によっては、再度調査の申請を陛下に申し出なければ」
「まあ、詳細は明日にでも改めて伝えるが、同様の箇所がいくつかあるらしい」
「うむ。手を打つ方法があれば……」
大量のアンデッド。人の魂が特定の魔力によって魔物と化したものである。魔物ではないものを魔物にする魔力と、魔物を凶暴化する要因について、討伐と共に確認をしてきたのが先日の調査だ。その件についてはラディゲも共闘し、サティの見解を持ち帰ってマハが解析している。その内容をラディゲは、今回の王都入りでピウニー卿に伝えるつもりだった。何事かを真剣に話し合い始めた2人のところから、ジョシュとサティは少し下がった。ジョシュが苦笑して、サティを見る。
「いいの、サティ?」
「何がですか?」
「だって、新婚でしょう?」
ずっと2人でいた……といっても、サティとピウニー卿は曲がりなりにも新婚夫婦だ。だが、ピウニー卿ときたら、ラディゲやヴェルレーンが側に居ると、すぐに仕事の話を始めてしまう。魔竜の件から復帰した後、ピウニー卿はすぐにサティと共に旅の騎士に戻ってしまったが、それは本人の希望もあった。王都に待機していても、ピウニー卿やサティほどの実力であれば、騎士や魔法使いとして多くの勤めがある。国王とてしばらくは、ピウニー卿に王宮勤めを勧めようとしてたのだ。ピウニー卿とサティ、2人ゆっくりと王都で過ごしてはどうか……と。
「いいんです」
ジョシュの表情に、サティが笑った。
「彼がどこに行っても、私が側に居ますから」
「なるほど。……2人らしいね」
ジョシュとサティは顔を見合わせて、大きく笑った。
ピウニー卿の隣にはサティ。きっとどこに居ても、2人が居る場所が……2人の場所なのだろう。うらやましいな……とジョシュは素直に思う。自分にもいつか、自分の場所と思える伴侶が見つかるだろうか。
「でも、困ったな」
「何がですか?」
「まだ僕はピウニー卿に剣を教えてもらってないんだ」
ああ……と、サティは神妙に頷いて……ジョシュの顔を覗き込む。
「厳しく叱っておきます」
「頼むよ」
悪戯を企む友人のように、2人は真剣に言い合って、……そして再び笑う。「おいサティ?」……ようやくピウニー卿が2人の様子に気付いて、不思議そうに声を掛けた。そんなピウニー卿から、サティはつん……と視線を逸らす。
「何でもないわ。ね、ジョシュ殿下」
「うん。そうだね」
「……サ、サティ? ジョシュ殿下?」
2人の様子にわずかに慌てたピウニー卿が、交互にジョシュとサティの顔を見ている。ピウニー卿がサティを抱き寄せたい衝動に駆られてうずうずしているようだが、ジョシュの手前、自重しているようだ。サティがわざと拗ねて見せたりすると、ピウニー卿はすぐにこうなる。
そんな2人の夫婦漫才を見ながらラディゲは考える。
自分がいつだったか予想したように、ピウニー卿は今、正々堂々と、サティを守り愛している。自分はどうかと問われれば、自分も同じだ。誰になんと言われようと、矜持に従っているという心に嘘偽りは無い。
だが、そんな今の自分の在り様は恐らくこの男の影響だろう。そう考えると、妙に口惜しい気持ちがこみ上げてくる。
なるほど、今日は祝いの席だが。
多少の仕返しはしてやっても、バチは当たらないだろうな。
さて。