付録

[小話] 星祭の夜に

冬の夜空に星々がもっとも多く輝く月の無い夜に、オリアーブ王国では星祭という祝祭が行われる。

その日の夜は全ての灯りが魔法で灯した篝火に変わる。

王都では、王城にて王自らが焚いた魔法の篝火を街の隅々へと飾られ、その篝火から各家庭は少しずつ炎をもらい、その日の夜を過ごす灯りにする。

そうしていつもより灯りの落ちた家の中で、家族皆で空を見上げ、星明かりを楽しむ静かな祭りだ。

冬の寒さが身に沁みる夜、愛する者と身体を寄せ合って<イーニャ オクス オーユルラーニア>……「月よ、陽よ、この夜を感謝します」と唱え、冬を無事に過ごせる事を感謝し、翌朝から新しい年を迎える準備に入るのだ。

当日はこのように静かに過ごす夜になるが、その前日までは華やかだ。街は綺麗に飾り付けられ、親しい物に贈り物を贈りあったり、甘い焼き菓子にクリームをたっぷり乗せたものを食べたり、食べ物をたくさん詰めた魚や鳥をこんがりと焼いた物を食べたりと、街も家も賑わう。

街の人々もそわそわと忙しなく、そして朗らかで楽しげだった。

そんなどこか浮ついた街を、ピウニー卿とその妻サティが腕を組んで仲良く歩いている。

「ピウ見て、あれ何、クリーム乗ってる」

「食べたいか?」

「食べたい!」

コロンとした丸い焼菓子カスティーラがいくつか入れ物に盛られていて、上から真っ白なクリームをたっぷり乗せたものが売られている。駆け寄ってみると、お店の中で焼いている様子を見る事が出来た。焼きたての甘くて香ばしい良い匂いが漂っていて、買って食べ歩きしているカップル達が、そこかしこでケーキの甘い香りにも負けないほど楽しげに微笑みあっている。

2人にとって、結婚してから王都で過ごす初めての星祭だ。サティももちろん星祭の存在は知っている。しかし理の賢者は冬は寒いからと王都へ出かける用事は全て断っていた。物心付いた時からずっと理の賢者の下で修行してきたサティは、星祭の日だけは師匠の焚いた魔法の灯火の下で星を数えたりしたが、王都の賑やかさは知らない。

ピウニー卿と旅に出ていた時に一度だけ一緒に星祭を過ごしたことがある。王都に戻るかと言ったのだが、結局間に合わずに違う街で星を見た。ピウニー卿はサティに王都の星祭を見せたかったらしく相当残念がっていて、そして申し訳なさそうだった。

そうして、今、ピウニー卿と結婚して名実ともに王都に落ち着いた2人は、初めてこうして星祭を楽しむことが出来ていた。

「ほら、サティ」

「ありがと」

サティはピウニー卿が買ってくれたお菓子の入れ物をそっと両手で受け取った。焼きたてでほのほのと温かく、優しいいい香りだ。

アルザス家は毎年、星祭の頃から翌年の始めまでは王都で過ごすらしい。現在、伯爵領を治めているピウニー卿の両親も戻ってきて、家族みんなで過ごすのだそうだ。サティもそんな中で家族の1人として過ごすのだ。なんだかくすぐったい気がする。

今日はピウニー卿の母ラフィニーアの言付けで、星祭の食後に飲むお茶を買い付けにきた。サティとピウニー卿の好きな物をと言われたものの、初めて言い付けられたアルザス家の妻としての仕事にサティはとても緊張した。だが、星祭に皆で飲むお茶を……と、ピウニー卿と共に選ぶ仕事はとても楽しく、我ながらいいものを選ぶ事が出来たと思う。

そんな買い物の帰り道、サティとピウニー卿は星祭用のお菓子をたくさん売っている店に立ち寄った。ピウニー卿が連れてきたのだ。

「おいしい!」

焼きたての菓子カスティーラを一口ほうばったサティが、瞳を輝かせた。その様子にピウニー卿も思わず頬を緩める。

2人で冒険していた頃、王都の星祭に連れて行けなかった事をピウニー卿はかなり気にしていた。王都の星祭は盛大だ。街中を彩る華やかな飾りと甘い食べ物、浮き立つような気分は女のサティには楽しいものだろうし、そして何よりも王の篝火で照らされた地上と、煌めく粉を撒いたような星々の対比を見せたかったのだ。

それがようやく叶う。妻になったサティと共に星祭を過ごすと思うと、自然に口元も瞳も緩もうというものだ。

「ピウ、美味しいよ、ほら」

ほくほくと楽しそうなサティを飽くことなく見つめていると、串に刺した焼き菓子にたっぷりとクリームを付けて差し出してきた。もちろんピウニー卿はニヤリと笑って顔を下ろし、そのままぱくりとほうばる。

「美味いな」

サティは、「あ」という顔をしたが、すぐに恥ずかしそうにうふんと笑った。いつもはこんな風なことをすると照れて慌てるくせに今日は楽しげに笑うのは、周りの恋人達もどこか浮かれて甘い雰囲気だからだろうか。たまにはこういうサティも好いものだ。ピウニー卿は街の雰囲気にかこつけて、サティの腰にいつもより深く腕を回す。ことんと預けられる体重は、いつでも変わりなくピウニー卿の気持ちを満たしてくれる。

初めて過ごす星祭に新婚夫婦は胸を高鳴らせながら、少し遠回りをしてアルザス家へと戻った。

****

「父上、母上、いかがしたのですか?」

帰宅してみると、居間で父のフォルディアスと母のラフィニーアが何やら難しい顔をしていた。テーブルの上には小さな箱が置いてある。

「あら、ピウニーア、サティさん、おかえりなさい」

「ただいまかえりました」

先に顔を上げたのはラフィニーアだ。ピウニー卿とサティが帰宅の挨拶をするとフォルディアスも顔を上げ、2人に箱が見えるように少し身体をずらす。

フォルディアスが太い腕を組んで、箱とピウニー卿とサティを見比べた。

「おいピウニーア、お前達に荷物が届いている」

「荷物?」

一体誰から……と箱に近付いてみると、難しい声でラフィニーアとフォルディアスが答える。

「ああ、それも理の賢者の」

「奥方からよ」

「え?」

ピウニー卿の背中から箱を覗き込んでいたサティが、交互に聞こえた義父母の声に、ぴーんと背筋を伸ばした。

「え、え?」

きょろきょろと落ち着かなさげに周囲を見渡す。

「え、え、え、え、え、お、おおおおお奥方? 奥方から!?」

ハッと我に返ったようにサティがピウニー卿を押し退けて、テーブルの上に置かれてある小さな箱を凝視する。

沈黙。

おろおろするサティを、3人がどこか不審そうに見つめている。

「サティさん?」

「サティや?」

「おい、サティ、どうした?」

「どうしたもこうしたも……」

あの奥方から、届け物……サティの背中に言いようの無い戦慄が走る。

「あ、あけないと、ダメ、ダメだよね?」

アルザス家の居間にて、サティを除く3人はゆっくりと頷いた。

****

箱を開けると美しい便せんが置かれていた。

『異国の星祭で着る衣装だそうです。赤い服を来た白いお髭のおじいさんが角の生えた鹿だか馬みたいな生き物の上に乗ってお空を飛ぶのですって。そんなお話を聞いたので、2人に贈り物です』

蓋を開けたらまず見えるように、流麗な文字が書かれている。 その文字を見たサティが蓋を持ったまま後ろに反り返る。

「じ、じきひつ……」

どうやら便せんに書かれた文字は奥方の直筆だそうだ。一切の乱れの無い美しい文字は、どこか不思議な力を帯びているようにも見える。

ピウニー卿は、緊張して猫のように警戒しているサティの肩をそっと叩いて励ました。

それに勇気付けられるように、サティはそうっと便せんを取り除く。

4人が見たもの、それは。

「まあ……」

「これは……」

フォルディアスとラフィニーアが顔を見合わせ、ピウニー卿とサティは声も無く後ずさった。

後ずさったピウニー卿とサティの代わりに、フォルディアスが恐る恐る箱から取り出して並べてみる。それらは、ネズミサイズの小さな赤い服と小さな白い三角形の毛皮、それからどう見ても猫程度の大きさの茶色い毛皮だった。茶色い毛皮には何故か角のような形の棒や、赤くてキラキラした丸い珠が付いている。

そして箱の底にはこう、書かれていた。

『サティとピウニー卿が着たら、きっととっても似合うと思うの』

****

僅かに開いた扉の隙間から、ちらちら……と、ふにゃふにゃした角のようなものがこちらを伺っている。

「サティ殿……!」

しかしパヴェニーアが期待に満ちた声で瞳を潤ませながら呼ぶと、ぴやっ……! と隠れてしまった。

「ああ!」

がくう……と頭を抱えたパヴェニーアが、ソファでぐったりと項垂れる。「あなた」……とセシルが寂しげな夫の背中を優しく撫でて励ました。

ラフィニーアは次男夫婦の余裕の無い態度をたしなめ、腕を組んで難しい顔をしているフォルディアスの隣に座って膝の上に手を置く。

「貴方達、出来るだけ、出来るだけ普通に過ごしなさい」

少し声を低くして、ひそひそと言い聞かせる。その言葉に、フォルディアスも重々しく頷いた。

「アルザス家の者ならば、気をしっかり持て。よいな」

両親の言葉をパヴェニーアは真顔で受け止め、ぐんぐんと何度も頷いた。

「では、お茶にしましょう。ペルセニーア」

ラフィニーアが涼やかな声で、扉の向こうを呼ばわった。「はい」と凛とした返事が聞こえて、扉が開く。

茶器を乗せたワゴンをペルセニーアが押していて、その後ろからシャンシャンと鈴を鳴らしながら四足歩行の小さな動物が歩いてきた。パヴェニーアが「うご」と奇怪な声を上げたが、セシルに突かれて慌てて口を閉ざす。

四足歩行の全身はもこもことした茶色い毛皮に覆われていて、頭の辺りから布で作った角が生えている。その角の下に赤い小さな珠が付いていて、珠の下から毛皮の隙間を縫うように、セピア色の猫の口元と髭が覗いていた。

2本の角の間から、小さな赤い物体が見え隠れしている。よく見ると、赤い物体は上下に分かれた服のようだ。極々小さいものであるのに腰回りのベルトと白い毛皮の縁取りが細やかで、どうやら小さなネズミのような生き物がそれを着ているらしい。頭には白い毛皮の縁取りと毛玉の付いた赤い帽子を乗せ、白い三角形のもこもこが顔の半分を覆っている。

家族中の、特にパヴェニーアの熱い視線とセシルのうっとりとした顔に見つめられながら、茶色い角の生えた毛皮はうろうろと彷徨い、ひょいと空いているソファへと飛び乗ると、おすわりの格好をした。頭の上に乗っていた赤い服を着たネズミは、茶色の毛皮を伝ってその足下に降り立ち、前足でもそもそと髭の位置を直している。

ペルセニーアが順にお茶を淹れていき、セシルも手伝って家族の前に置いていく。香ばしさの奥に隠れたキリリと澄んだような味わい、力強い芯のある香りがした。

「いい香り。素敵なお茶を選んだのねサティさん」

「ピウニーに手伝ってもらいました」

「そう。街は楽しかった?」

「はい、とっても!」

ラフィニーアの声に茶色い毛皮が答え、ひょこんと角の生えた頭を振った。途端にずるんと角がずれ、気付いたセシルがそっと持ち上げてくれる。

「街の様子はどうだった、ピウニー。特に何事も無かったか」

「ええ。常より多くの警備が出ておりましたが、目立った騒ぎにはなっておりません」

「街は浮き足立っているが、王の篝火の前で悪さをするような輩もおるまい」

「そのようにありたいものです」

赤いかたまりが茶色の毛皮の足下に寄り添っていて、低い声はどうやらそれから聞こえてきた。むんっ……と頷いた途端にすぽーんと赤い帽子が抜けてしまい、ペルセニーアに拾ってもらう。白いもふもふとした逆三角形の上には焦げ茶色のまんまるの瞳に金色の毛皮、そして丸い耳がぴくぴくと動いている。Yの字の口元は半分だけ白い髭に埋もれていた。ペルセニーアの指先から前足で帽子を受け取ると、律儀に被り直している。

つまり、奥方の贈り物を着たサティとピウニー卿である。

理の賢者の奥方いわく、異国の星祭にまつわる生き物だというそれは、ピウニー卿らも見たことのないような面妖な生き物だった。ご丁寧に解説図も書かれていたが、文字の乱れの無さに比べると何とも味のある絵で、結局どのような生き物かは分からなかった。

一応見たところによれば、サティに用意されたのは「トォーニャカイ」という4本足の生き物で、頭に枝角が生えているのだという。鹿によく似ているが鼻が真っ赤で光るというので、何かの魔法生物なのかもしれない。首についた鈴は魔除けだろうか、動く度にシャンシャンと音が鳴る。

そしてピウニー卿に用意されたのは、「センティクーロス」というこれまたよく分からない髭の生えた「おじいさん」の衣装らしい。「おじいさん」というからにはいい歳なのだろうが、その年齢をして全身真っ赤なスーツに黒いベルトと黒いブーツを合わせ、頭には白い毛玉の付いた赤い帽子、そして白い髭を長く蓄えているのだから相当な洒落者なのだと思われる。恐らく、武人のアルザス家には無いタイプだ。

そんな洒落者の老人が鹿によく似た鼻の光る魔法生物に乗っている……奥方の言う異国とは、一体どこなのだろうと首をひねったが、やはり贈られてしまったからには一度は着ておかなければならないだろうということで、しぶしぶ2人はその衣装を身に着けた。

小躍りしたのはパヴェニーアだったが、ピウニー卿は決していつもの態度を崩さぬようにと念を押した。さすがにこの歳になって「かわゆいかわゆい」と愛でられるのは頂けないし、視線もなんだか生ぬるい。そして何よりサティが恥ずかしがって出てこなくなるのだ。

ゆえに、アルザス家の面々は、どれほど愛くるしい鹿もどきの格好をした猫がシャンシャンと鈴を鳴らしながら歩いていても、どれほど愛くるしい白いお髭のおじいさんもどきの格好をしたネズミがちょこちょこ歩いていても、笑ったり顔を赤らめたりしてはならないのだ。

ラフィニーアもフォルディアスもさすが年の功か、顔色ひとつ変える事無く長男と長男の嫁に対応している。ペルセニーアも涼しい顔でお茶を配り終え、ピウニー卿らの隣に座った。

セシルも交えてほのぼのとした家族らの談笑に講じる中、そわそわと落ち着かないのはパヴェニーアであった。

何故皆ここまで平静でいられるのか、サティの少しずれた鹿頭のフード、ピウニー卿が白いお髭をさわさわと小さな前足で撫でる様子、どれもこれも恐ろしい破壊力だ。いつか見た結婚式の衣装と張り合う、いやそれ以上に直視できない。多分泣く。

それにしても、愛らしいものが愛らしい格好をするというのは、互いの魅力を打ち消すどころかより一層引き出してしまう。

目に毒である。

じっと見ているとぎゅっとしたくなるので、代わりに一番可愛いセシルをぎゅっとしたいが、さすがにここでは無理だ。

しかもセシルはペルセニーアや母のラフィニーアと共に、サティと一緒になって何やら女同士ひそひそと話している。時々、女達が焼き菓子をつまんでいて、セシルはなんとセピア色の愛らしい着ぐるみを着た猫に、焼き菓子のかけらをあーんするという僥倖に合っていた。うらやましい。なんであれらはあんな可愛い生き物を前にして、あまつさえお菓子をあーんして平静な顔をしていられるのか。もう一度いうがうらやましい。

パヴェニーアは顔の筋肉を引きつらせながら、男同士仕事の話などをしている。

しかし、フォルディアスから聞かれる白翼騎士団の新人の様子に相づちを打ちつつ、兄のピウニー卿が城に戻ってくる算段を問うのは苦行だった。父の手元の肘掛けの先端にちょこんと座り、短い後ろ足の膝あたりに短い前足を乗せて、まるで戦場で指揮でも取っているかのような格好は、父とまるで同じである。ちなみに気付いていないだろうが、パヴェニーアともまるで同じである。つまり親子兄弟そろってまるで同じなのであるが、ともかくそんな格好で存在しているのだ。しかも何故か赤い小粋なスーツと白い髭を着こなして。

あれを例のぬいぐるみに着せたら、どれほど愛らしいだろう。
結婚式の衣装は作らせて着せているから、今度は星祭衣装を着せるためにもう1組購入せねばならないだろうか。いや、着せ替えて楽しむという方法もある……。

そんな妄想に、何度席を立って「いざ、玩具屋にゆかん! 仕立て屋を呼べい!」などと叫びそうになったことか。

「というわけで、今度殿下に剣をお教えする事になって……」

「パヴェニーアと共に、粗相のないようにな」

フォルディアスとピウニー卿が、くるりとパヴェニーアの方へ顔を向け、同時にこっくんと頷く。赤い帽子を被った小さなネズミが頷くと、半分出ていたYの字の口元が白い髭の中に全部埋もれた。

危ない。

パヴェニーアは咄嗟に視線を逸らして、紅茶に手を伸ばす。

「は、その時は私も在席する予定になっております」

「うむ。パヴェニーア、よろしく頼む」

ぶほっ!……と紅茶が喉に飛び込み、咽せそうになる。

うむ、よろしく頼む。
うむ、よろしく頼む。
うむ、よろしく頼む。

いつもなら細やかな髭がぴくぴく動くところが、今日は白い髭もどきがもっそもっそと動いている。赤いスーツは無駄に細工が丁寧で、小さな黒いブーツなど履いている兄を手に乗せてみたくなる衝動に駆られて仕方がない。

我慢する。我慢するが。

そろそろ限界が。

****

幸いなことに、パヴェニーアがピウニー卿の髭に触れる前に会合はお開きとなった。夜遅くはあったが、ピウニー卿とサティは離れへの宿泊を丁重に辞去して、王都の郊外にある新居に戻っていった。変身を解いた2人を見送って、ようやくパヴェニーアは一息付く。

ソファに身体を預けてセシルを抱き寄せ、ぬふーん……とため息を吐いた。大変疲れたが、どこか爽快な疲労感だ。

「セシル」

「ええ」

「あれはいかんな」

「ええ……」

2人は神妙な顔で頷き合うと手を取り合った。

「よし。年明け、玩具屋にいくぞ」

「いいの? あなた」

「無論だ。星祭の面妖な衣装は用意できなくとも、似たような事は出来るかもしれぬ。例えば、例えば……猫にネズミのかぶり物をさせるとか……! ぐぬぅ!」

「まあ!」

自分で妄想して自分で仰け反る。

もちろん、鹿のような扮装をしていたサティに案を得たのである。2人の脳内に、もあもあもあ……と、金色の毛皮に丸い耳のついたかぶり物をしたセピア色の小さな猫と、セピア色の毛皮にとんがり猫耳のついたかぶり物をした金色のふくよかなネズミの姿が浮かぶ。

「あなた! ステキだわ!」

「うむ、これはいてもたってもいられないな!」

「ええ、とっても可愛い!」

「いや、セシル、お前の方が可愛い」

それには真顔で返して、パヴェニーアが世界で一番可愛いセシルをきゅーんと抱き締めた。

星祭は恋人同士の夜、とも言われている。

そうして、パヴェニーアとセシルはこんな2人であるけれども、いつも恋人気分なのだ。

****

「あれで皆に喜んでもらえたのかな」

「さて……俺はサティはやはり一番可愛いと思ったが」

「嘘!……なんだかよく分からない生き物だったし、ピウニーの格好の方がなんだか普通っぽかった」

「そうだろうか。あの白い髭が何を意味するのか全く分からん」

うーん……と悩みながら、湯を使ったばかりのサティがごそごそと寝台に上がってくる。ごろりと寝転がっているピウニー卿の上をまたいで乗り越えると、膝立ちになって寝台の真横にある窓を開けた。冬特有の冷たくキリリとした空気が流れ込んできたので、サティは肩に掛けた温かなショールを思わず引き寄せる。普段のピウニー卿であれば、サティのそんな仕草を見たら風邪を引くからとすぐに咎めるのだが、今日は特別だ。

「わあ。星、綺麗ね」

そんな通り一遍等な感想しか言葉にできない、それほどすばらしい夜空だった。まるで黒い天鵞絨の布に銀色の粉を撒いたようだ。

部屋は暗く、月明かりも無い。だから、余計に星々の煌めきがくっきりと見える。大きく輝くものもあれば、細かく震えるように小さく輝いているものもある。何度か街の高い場所から夜の王都を眺めた事があるが、あれらはとても華やかで煌びやかだった。しかし冬の闇色に浮かぶ星達は、同じ無数の煌めきであるのに静かに冷え冷えと佇んでいて、その佇まいが美しい。

「サティ」

ピウニー卿が身体を起こして腕を伸ばした。

「おいで」

窓を閉めて振り返ったサティが、嬉しそうに笑う。そうしてピウニー卿の肩に額を預けるようにもたれかかるのと、太く硬い腕がサティの背中に回されるのは同時だ。バランスを崩して傾いた身体を難なく受け止めて、ぼふんと柔らかい寝台に2人が沈み込む。

「サティ、手を」

「え?」

ころんと寝台の上を転がりながら、ピウニー卿がサティの細い指先を取った。左手の薬指を摩られたかと思うと、何かがぴたりとそこにはめ込まれる。

「指輪だ」

「ああ」

「お守り? 魔石?」

「そんなにいいものではない」

ピウニー卿は苦笑して、指輪を着けたサティの手をじっくりと眺めている。

アルザス家の男は特別な日、自分の伴侶に身につける物を贈るという習慣がある。もとは、贅沢をしない妻をなんとか着飾らせたいと思った不器用な当主が始めたと言われているが、アルザス家の男達は代々不器用なので怪しい言い伝えだ。だが怪しくも優しい小さな言い伝えを男達は利用して、特別な贈り物に迷う事は無いのである。

「すごく綺麗……」

それは小さい薄緑の石が埋め込まれた細い指輪だった。

いつもサティが身に着けている品物とは違って何の魔法もかかっていない。魔力を帯びるためでもなく、魔法の道具でもない、ただ彼女の指を慎ましく飾るだけにしか役に立たない装飾品で、好いた男からの贈り物というだけの意味を持つ品物だ。

そのことが、なんだかサティにはとても特別で大事なことに思える。

「よく似合う」

ピウニー卿がサティの指輪をそっと撫でて、耳元で甘く囁いた。きっとサティはこの言葉だけで、ずっとこの指輪を身に着けて離さないだろう。

「どうしよう、すごく嬉しい……」

サティはしばらく愛する男からもらった指輪を何度も角度を変えて眺めていたが、ぎゅう……とピウニー卿の肩に顔を埋めて「ありがとう」と唇を動かした。

湿った吐息と触れた唇に誘われてピウニー卿の手が持ち上がり、妻の腰に回されようとしたが、それが届く前にガバ!……とサティが身体を離した。

「私も、贈り物があるの」

「ん?」

「ちょっと待ってね」

隠しておいたのだろうか。サイドテーブルから小さな箱を取り出して、ピウニー卿に向き合ってちょこんと座った。

「これ」

開けてみると、それは一枚のチーフだった。騎士服に採用されているオリアーブの正式な白いチーフだ。広げてみると、角に黒い馬と剣と短剣の拵えが刺繍されていた。星明かりを頼りによくよく見てみると少し糸がほつれていて不器用だ。

「あ、あんまり綺麗じゃないからよく見ないで」

「サティ、これは」

「……お義母さんとか、セシルさんに教えてもらって……ペルセニーアさんと一緒に作ったの」

ペルセニーアもまた、誰かに贈るために刺繍をしたのだという。2人ともこういう方面は大変不器用で悪戦苦闘したのだが、ラフィニーアとセシルが根気よく教えてくれたのだそうだ。

ラフィニーアも昔はあまり得意でなかったのだと、なかなか上達しない2人を励ました。

星祭に合わせてめいめい刺繍の意匠を選び、なんとか贈り物に出来るようにがんばって仕上げたのだ。

「これはシャドウメアと、マハの剣だな」

「うん。……ちゃんと馬と剣に見える?」

「見えるさ。とても上手にできている」

「本当に?」

「ああ」

刺繍など、サティがしているところを見た事が無い。見るからに不得意な分野であろうに、ピウニー卿のためにどんなに懸命に作ったのだろう。それを思うと、どんな持ち物よりも大切で良いものに感じられる。きっと自分は、これを正装の時だけではなく、ずっと身に着けてしまうだろう。

今日は珍しく素直なサティを、ピウニー卿は全身で抱き締めた。胸板に当たる暖かな呼気が心地よくて、どうにも言葉に詰まった。

今宵は星が最も多く見える星の祭。

「サティ」

「ん」

<イーニャオクス オーユルラーニア……サティ ラーニャ>
(月よ、陽よ、この夜を感謝します。サティに感謝します)

だから、愛してるの言葉の代わりに、王都に伝わる祝いの言葉を紡ぐ。

それを受け止めて、ピウニー卿の腕の中のサティもまた同じように美しく返した。

<イーニャオクス オーユルラーニア ピウニーア ラーニャ>

ピウニー卿の逞しい身体とサティのしなやかな身体が絡まり合う。

外は寒く吐く息も白いほどだったが、王都の片隅で重なり合う夫婦に身体が冷えるなどという心配は無いだろう。冬の夜は長く、暖め合う肌は常よりも心地が良い。

ピウニー卿はその暖かな肌を堪能する事に集中した。


ちなみに理の賢者の奥方が言う異国の星祭と、我らが世界の「クリスマス」は何の関係もありません。