それなり女と魔法使いのお菓子

001.大・大・大好物

リュチアーノ王国の王城にある騎士団の駐留棟に王宮魔法使いジーノが来たのは、丁度午後の食事の時間が終わった頃だった。鍛錬に入ろうかと思っていた騎士団長クルレウティステイカルス・アーニャス……通称クルウは、廊下でその姿を見かけて声を掛けた。

「よう、ジーノ。珍しいな、お前がこっちに来るなんて」

「クルウ。やはりここにいましたか」

ジーノが愛想のひとつも浮かべず、クルウに向き合った。灰色の髪に灰色の瞳、硬質な眼鏡に無機質な表情の魔法使いジノヴィヴァロージャワシリー・フルメルは、リュチアーノ王国の王宮魔法使い次席の腕前を持つ。

全てのジャンルの魔法を操るが構築する術式は奇天烈で、それでいながら完璧な魔法を用意することで知られる魔法使いだ。主席の魔法使いを師匠に持ち国王とも親密だが、無表情無愛想無感情、笑いもしなければ怒りもしない男として有名だった。

感情の起伏の少ない人間ならいるが、ジーノの場合は変人の域である。どれほど侮蔑されようが、どれほど色っぽい女がしなだれかかろうが、その表情は潔いほど動かない。口調も表情と同じく淡々としているし、相手が師匠であろうが国王であろうが王妃であろうが、全て均等に同じ態度を崩さないのだ。

その様子から当然冷たい人間だと思われているのだろう、宮廷の役人からも城で働く者からも敬遠されがちな男である。

ただ、冷たいか冷たくないかはともかく、ジーノはこの城の中でも信頼できる男だということは確実だ。クルウは騎士見習いの頃からジーノを知っている、いわば友人なのだが、彼が不誠実な仕事をしているところを見た事がなかったし、個人的な付き合いに関しても真面目な男だった。

そんなジーノが布に包まれた長いものをクルウに差し出す。

「依頼の品です。4属性の魔法強化をそれぞれ2割ずつ配合しています」

「おう、本当に出来たのか。極属性2対をよく魔法剣にしたな」

クルウはジーノからそれを受け取ると、布を取り外す。中は装飾の無い一振りのショートソードだった。少しだけ鞘をずらして刀身を露にする。魔力を帯びているのは明らかで、鋼の光とは全く異なる煌きを放っている。クルウはそれを見て、ほう……と頷き、キンッ……と音を立てて鞘を閉じた。

「流石だなジーノ。俺でも分かる完全一律な魔法だ」

「苦労はしましたが応用の範囲は広いでしょう。ただし、魔法の比率はそれぞれ2割以上には出来ませんね」

「こんだけ出来りゃ上等だ。礼はお前の家に送っておく」

「お願いします」

ジーノは相変わらず抑揚の少ない声色でクルウに答えていたが、会話が途切れ沈黙が落ちた。クルウは少しばかり首をかしげる。いつもならジーノは用件が終わればすぐに立ち去る。だが、何かを言いたげにクルウを眺めているような気がした。沈黙が不自然な長さになる直前、ジーノがそれを破った。

「クルウ。……少し貴方に聞きたい事があるのですが」

「お? なんだ。珍しいな、お前が」

「そうですね。ですが、得意分野の貴方にお聞きしたほうがいいかと思いまして」

「ん? 得意分野?」

「ええ」

ジーノはつい……と眼鏡を直す。

「最近城下でもっとも美味な、貴方オススメの菓子屋はどこですか?」

クルウのよく知る相変わらずの無表情で、淡々と問いを投げ掛けられた。

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「は? なんだって?」

唐突に無表情男ジーノから出てきた問いの内容に、クルウは思わず聞き返した。

「最近城下でもっとも美味な、貴方オススメの菓子屋を教えていただきたい。季節によって品物が変わり、出来れば持ち帰りも店内での食事も出来るところがいいのですが」

「ああ?」

「耳が悪くなったのですか、クルウ。最近城下でもっとも美味で貴方オススメの……」

「ああ、いやっ、その質問の内容は分かった、っつか、何度も復唱すんなっ!」

クルウは我に返ると、若干顔を赤くしてきょろきょろ周囲を見渡した。その様子に今度はジーノが首をかしげる。

「何をきょろきょろしているのですか」

「そりゃお前、騎士団員に訊かれたらどーすんだよ、俺が甘いもの好きって!」

クルウは声を抑えながら、ジーノの肩を掴んでゆっさゆっさと揺さぶった。その行動にも全く顔色を変えることなく、ジーノは僅かに瞳を細くする。

「……みな知っているのでは?」

「んなわけねーだろうが!! 」

「そうなのですか?」

腑に落ちない様子のジーノを横目で見ながら、クルウはすぐ側の団長室の扉を開けた。最初から部屋で話しておけばよかったのだ。クルウはジーノを団長室に押し込みながら、盛大にため息を吐いた。

クルウはリュチアーノ王国の若き騎士団長だ。陽に焼けた彫りの深い精悍な顔に濃い青い瞳、短く刈った金髪。体付きは騎士団長の身分にふさわしく長身で、見るからに筋肉質。こうした類の男が好きな女が放っておかない、まさに今が盛りというに相応しい出で立ちの男である。最近、先代の騎士団長が引退してその後を引き継いだのだが、新しい団長としての振る舞いもまた堂々たるものだった。それでいながら若々しい勢いに溢れており、若い騎士団員の憧れの的だ。

だが、そのクルウにはちょっと人には言えない……いや、人に言えないとか恥ずかしいとか思っているのは本人だけなのだが、……趣味があった。

それが無類の甘いもの好き……というものである。

真っ白いクリーム、ふわふわのスポンジ、さくさくの焼き菓子、砂糖漬けのフルーツ、瑞々しい果汁のゼリー……それら全て、クルウの大・大・大好物だ。

しかし、クルウはそれをなぜか周囲の人間には秘密にしていた。甘い物は女子供の食べるものであり、自分の立場で「甘い物が好き」などと堂々と公言出来るわけがない、……そう思い込んでいるのである。

コホン……とクルウは咳払いをした。

「んで、なんだって? 城下で一番美味い菓子屋?」

「ええ。貴方ならよくご存知でしょう」

「……なんで、ジーノがそんなことを知りたがるんだ」

「連れて行きたい人がいましてね」

「……ああ、なるほどね。連れて行きたい人。はああああ!?」

「先ほどから何なんですかクルウ。挙動不審ですよ」

「きょ、挙動不審なのは……っ!」

お前だろう……と言い掛けて、クルウは仰け反ったまま黙りこんだ。ジーノは確かにクルウの甘いもの好きを知っている。クルウが甘いもの好きになった経緯も知っている。そして城下で流行りの甘いものについて、城で一番の情報通がクルウであることも知っているのだ。だから、ある意味ジーノが甘いものについてクルウに質問するのは正しいことだった。ジーノはこういうとき、無駄なことは一切しない。

しかし、問題はそこではない。

ジーノが、女子供の食べるもの……甘いものについての情報を欲しがる。しかも自分が食べるためではなく、「連れて行きたい人がいる」とはっきり言った。そこから導かれる答えは、この無表情男ジーノにもっとも程遠いような気がするというのに、それしか考えられない。

つまり。

「……女かジーノ……」

「……連れて行きたい人の性別ですか? そうですよ」

クルウの一世一代の質問には、あっさり肯定の答えが帰ってきた。それを聞いて再び仰け反る。……まさか本当に女とは思わなかった。いや、ジーノが女に興味あるとかないとか、そういう問題ではないのだ。ジーノとて男だ。いい年した男だ。友人であるクルウも、ジーノがノーマルであることを知っている。恋人の1人くらい居たっておかしくはない。

しかし、仮にジーノに女がいたとして、その女をジーノ自ら菓子屋に連れ出すとか、その女のために菓子屋の情報を収集するだとか、そういう行動につながるとは想像がつかないのである。

たとえば、ジーノが女の肩を抱いたり腰を抱いたり手をつないだりして、楽しげに街中を歩いているところを想像できるだろうか。10年以上付き合ってきて、笑顔なぞ見たことの無いこの男が……?

「想像力の限界だな……」

「何がですか?」

「いや……」

クルウは、目の前のジーノをちらりと見やる。伸ばしっぱなしに見える灰色の髪。くたびれて見える青灰色の魔法使いの長衣コート、動かない表情、その割に意志の強い瞳は、普段は眼鏡を掛けていて読めないからジーノの無表情を余計に際立たせている。一歩間違えれば根暗にも見える男だ。

最近は国王から何か直々の命を受けたらしく、ずっと家に引きこもっていてめっきり城でその姿を見かけなかったと思っていたが、一体いつのまにそんな女を作ったのだろうか。

ともかくも、大切な友人の頼みだ。それが男の恋路のためになるならば、多少恥ずかしい情報を出すのも致し方あるまい。クルウは頭の中で気に入りの菓子屋をいくつか思い出し、これという店を1軒選んだ。

店内でお茶とお菓子を楽しめて、持ち帰りも可能。静かに会話を楽しめるよう席の配置も工夫されていて、お決まりの菓子と季節限定のものが楽しめる店だ。評判の割りに少し敷居が高い店で、騒ぐ客層がいないところが気に入っている。女との逢瀬にはぴったりだろう。

「……1軒、いい店がある」

「教えていただけますか?」

クルウは神妙に頷いた。とっておきの情報である。