真っ直ぐだけれど無表情な瞳。
頑固そうな鼻梁。
引き結ばれて、にこりともしない唇。
すらりと長い手足。
そして、抱き心地のいい身体。
目が合ってしまったのだ。そして立ち止まってしまった。
そっと頬に触れてみると、それはとても滑らかなさわり心地で手が離せない。
だから。
「結菜……」
「沙也加、言わないで」
「あんた、そういう趣味、あったっけ?」
「だって目があったんだもの」
呆れたようにつぶやく沙也加に言い返しながらも、結菜は言い訳できない自分に困っていた。
結菜が抱えているのは、パステルカラーの大きな無表情のクマのぬいぐるみである。クマ……といってもふっくらしているわけではなく、どちらかというと手足が長くスマートな抱き枕だ。似ているというわけでは全く無いのに、むっつりとした口元と生真面目な無表情具合が、まるで誰かさんを思い起こさせて、思わず買ってしまったのである。何度も言うが全然似ていないのだ。だが、その無表情を愛しく思ってしまったのだから仕方が無い。
結菜が似ていると思う誰かさん。
もちろん。リュチアーノ王国の魔法使いジーノのことである。
結菜が週末にジーノの元に召喚されるようになって1ヶ月ほどが過ぎた。たった1ヶ月、されど1ヶ月だ。身体は心をつなぐものなのか、会うことのできない期間があるから余計に心を大事に思うのか、互いに知り合ってそれほどでも無いのに会うことの出来ない時間を、結菜はすでに「寂しい」と感じてしまうようになっていた。この感覚に、結菜は覚えがあった。付き合い始めの浮ついた時に味わう類のものだ。
大事そうにぬいぐるみを抱えている結菜に、さらに呆れ声で沙也加が追いかける。
「で、それを1人さみしく部屋で抱きかかえるわけ? 結菜、笑えないわよ」
「うるさいなあ……。飾るだけよ!」
「ふーん」
まだ何か言いたげな沙也加からあえて視線を外すと、む……と結菜も渋い顔をした。一瞬沈黙が降りて、次の瞬間には沙也加の様子も元に戻る。
「ま、さみしい訳ないか。結菜にはステキな彼氏がいるみたいだし?」
「何言ってるの、そんなのじゃないってば!」
「でも、毎週末連絡つかないのは、彼氏と過ごしてるからなんじゃないの?」
「それは……」
ニンマリと笑ってからかわれ、結菜は慌てて首を振る。だが親友の沙也加には、この一ヶ月毎週末結菜が何かしら予定を入れているのがばれていたし、それが男絡みであることも、結菜は肯定していないにしろ知られていた。
沙也加からは、当然のようにどんな人なのかとか、紹介しろなどと言われているがそんなことが出来るはずもなく、のらりくらりとかわして今に至るのだ。結菜だって女だから、人並み程度に友人に恋の相談などしてみたいが、出来ないのは仕方が無い。
知れずため息を吐いてしまって、沙也加に見咎められる。
「何、結菜、悩み事?」
「別に……違うわ」
「ふうん。恋のお悩みならおねーちゃんに相談してみ? ん?」
「あああ、もう、違うってば!」
「そう? 最近結菜、可愛くなってきたからなー。営業の男共が噂してたわよ」
「嘘ばっかり」
からかわれたと思って軽くあしらう結菜だったが、もちろん嘘……というわけではない。結菜には恋をしている女特有の自意識が見え隠れしている。よく女は恋をするときれいになる……というが、あれはあながち間違いではない。
女性ホルモンが分泌されるからとか、そういう科学的なものは抜きにして、好きな人が自分を見るという意識やパートナーがいるという潤いが、女を美しくみせるのだと沙也加は思っている。今の結菜にはそうした余裕があった。
でも、結菜からは何も相談されないし、どんな彼がいるのか……などという話も聞かない。親友であると自負している沙也加にとって、少しばかり……いや、かなり寂しいものだ。だが結菜には結菜なりの事情があるのかもしれない……とも、思っている。この1ヶ月ほどの間、週末は一切予定を入れないし、それどころかメールや着信への返答もない。日曜もかなり遅くに、返信がやってくるというありさまだ。
「ねえ、平日に彼氏と会うことはないの?」
「え?」
「平日の方が夜遅くまでつきあってくれるでしょ? でも、金曜の夜は絶対にNG。怪しくないわけが無い」
「それは……」
「何? 言えない事情でもあるの? 変な男と付き合ってるんじゃないでしょうね」
「……」
「ちょっと結菜」
変な男……と言われて黙り込む結菜に、沙也加が焦る。まさか結菜に限って可笑しな男と付き合うなど考えられなくて、冗談のつもりで言ったのに、結菜が思いがけずに真面目な顔で黙り込むから焦ってしまったのだ。
「変な人、じゃないけど……」
「けど?」
「いや、少し、だいぶ変、かもしれないけど」
「結菜……?」
「週末しか、会えないのよ」
「え?」
「金曜日の夜から、日曜の夜までしか、一緒にいられない」
「どういう、事情で?」
「え、と、……中距離、だから、かな?」
「ふうん?」
言葉を濁す結菜に、言えない事情を何となく察する。わざと声を明るくして、沙也加は気安い風に結菜の肩をぽん……と叩いた。
「言えない事情なら、……また言えるようになったら教えてよ」
「沙也加……」
「営業の男の子に、結菜の週末はNGって言っておいてあげるわ」
「だからー」
「はいはい。じゃあまたね、いつか彼氏の話して」
楽しそうに結菜を見ながら、沙也加は頷いた。結菜はぬいぐるみを抱えて、不機嫌な顔をしている。それなり女の結菜がぬいぐるみを買うなんて珍しいとは思うが、選ぶぬいぐるみも淡白そうな顔なのがらしいといえばらしいかもしれない。表情がくるっと変わるところが男に人気があるんだけどな……と沙也加は思いながら、それぞれが乗る駅のホームで手を振って別れた。
****
部屋に戻ってきた結菜は寝台にぬいぐるみを置いて、いそいそとシャワーを浴びた。今日は金曜日で、夜、ジーノの召喚があるはずだ。
何を着て行こうか、どういうお化粧をしていこうか。……夜にジーノの部屋に直接だから、化粧はしない方がいいかな……それとも嗜み程度はしていった方がいいかな。し始めの恋のように、どうでもいいけれど重要なことを思い悩みながら、いつもよりも念入りに身体を磨く。ボディソープもシャンプーも、買ったばかりのロクシタンをチョイスした。
マキシ丈のワンピースにショールを肩に掛けて、あー、やばいなんかすごい女子っぽいことしている……という自覚にどこか浮かれながら召喚の時間を待った。
いつも、大体同じ位の時間に召喚は始まる。帰り際に渡される眼鏡に触っていると、向こうから魔力が届いてジーノの部屋の(なぜか)寝台に落ちていく。時間は多少前後するが、大体20時くらいだ。
「遅いな……」
だが、今日は少しばかり召喚の時間が遅れているようだ。仕事で忙しいのかもしれない。時計は21時を回っていて、テレビも何も付けていない部屋は静かだ。
結菜は寝台にころんと転がると、なんとなく傍らに置いてあるぬいぐるみを引き寄せた。引き寄せたまま、手に持っている眼鏡を覗きこんだり、手遊びに掛けてみたりする。
「彼氏かあ……」
彼氏って、言えるのだろうかとつらつら考えた。何よりも「異世界の男」という、現実味の薄い男である。そんな人に好きだと散々口説かれて、流されるように結菜もそれを受け入れた。毎週の逢瀬はデートとも言えるし、5日というインターバルは付きあっている男と女としては普通の頻度だろう。ただ、会いたい時に会えないし、5日間の間、声を聞きたくても聞けない。
まだ完全に実感しているわけでは無いけれど、一人でいると声が聞きたい……と思うことがあった。ほんの1時間でいいから会いたい……と思うこともあった。でも、普通の恋人同士ならできるそんなことが、結菜とジーノは出来ない。結菜は呼ばれるままにジーノの世界へ行って、もしも呼ばれなかったら、結菜から出向くことも出来ないのだ。
そう考えると、胸が痛い。
もうそれって、完全に「好き」ってことじゃないかと結菜は眉を寄せる。……あんな出会い方で、あんな風に絆されて、本当にいいのかな……と結菜はいまだに自信が無い。こんなに自分は流されやすい女だっただろうかと、悩むこともしばしばだ。それでも呼ばれるのを楽しみに待っていて、呼ばれたらジーノを受け入れてしまうのだから、本当に重症なのだろう。
「ジーノ、まだかな」
もふ……と引き寄せているぬいぐるみにもたれる。ふかふかの毛足が心地よくて、あたたかくて、待ちくたびれて、眼を閉じると身体からくったりと力が抜けていく。