それなり女と魔法使いの人形

人形

リュチアーノ王国の次席魔法使いジーノが恋人と甘い時間を過ごしている頃、王城では騎士団長クルレウティステイカルス・アーニャスが主席魔法使いのグレイに捕まっていた。

「……なるほど、ユイナ嬢……と言う……」

そして、ユイナという名前のジーノの恋人のことを洗いざらい喋らされていた。

決して自分から話してしまったわけではない。某有名な焼菓子専門店で棚全部買いをしていたところを見たという軽い導入から始まり、奥方との初デートの時に使ったケーキ屋で結婚記念日には毎年ケーキを買ってお祝いしているという極秘情報まで、それらの話を騎士団に広められたくなければ大人しく情報提供しろ、という脅迫である。

そこに、宮廷の菓子職人が魔法使いのために配布しているという糖分補給用の飴の横流しと、城下でも有名な高級菓子店が売り出そうとしている季節の新作の売り出し日をちらつかされれば、致し方なかった。

「それも、あーんしていた……と。間違いないですかな?」

「間違いないですな。しかもお互い」

「しかもお互いっ!? ということはあのジーノが? あのジーノも!?」

グレイの大袈裟な反応も分からなくもない。クルウもあの現場を見た時は、腰を抜かしそうになったのだ。ちなみにクルウという男の名誉のために言っておくと、この男は口の軽い男ではない。人の恋を面白おかしく話す趣味も無い。

だが、一度話してしまえば楽になった。ジーノとて別段隠れて付きあっているという風でもなかったし、むしろ見せ付けていたではないか。

「どのような女性なのですか、それは?」

「……黒い髪と黒に近い色の目の、どちらかという可愛らしい系の女性でしたな」

「可愛らしい系か」

それを聞いてどうするというのかは分からないが、得心したのだかなんだか読めない表情でグレイは頷いていた。

「しかし、何故クルウ殿には紹介して私には紹介してくれぬのか……」

言われて、クルウはまじまじとグレイを見る。

グレイは先代王と現宰相と先代騎士団長の悪友だったという。もう若い頃のような遊びはせず大人しくなったのだと言うが、今でも若い連中に遊び方を教えているし、上下無制限に女性は口説く対象と豪語する男である。非常に悪い意味でいい男であり、非常にいい意味で悪い男なのだ。

そうした不良中年に、恋人を紹介したい男がいるだろうか、いやいない。それがグレイにとって挨拶のようなものだと分かっていても、目の前で妻や恋人が口説かれるのを見るのは腹立たしい。しかもグレイはリュチアーノのどのような男よりも熟した男で、口説かれた女性は大抵悪い気にならないのだからなおさらだ。

「いずれは会わせてくれるのではないですか? お師匠なのであればなおさら」

「そうだろうか」

「恋人がいるというのは隠していないようですし、あのジーノのことですから、単に聞かれて無いから答えていない……というだけのような気もしますがね」

「聞かれていないから、か。あり得る話だ」

「さて、私が知っているのはこれだけです。妻が待っているので、そろそろ帰りたいのですが……」

作り笑顔を顔に張り付け腰を浮かしかけたクルウに、グレイは、おや……と首を傾げる。

「ルミイ殿か、最近お会いしていないがお元気かな?」

クルウの作り笑顔がピクリと歪む。

「先日、中央庭園での宴に招待された時には連れて来ていましたが?」

「おや、そういえばそうだったな。今日辺りご挨拶しておきたいものだ」

「今日はもう遅いですし、またいずれ」

挨拶ならその時充分過ぎるほどしただろうがと思いながら、クルウはニッコリとかわした。これ以上会話すると、夕飯に招待する羽目になりかねない。それは避けたい。

ぐいぐいと追い出さんばかりの勢いで退室いただき、クルウは1人になった執務室で、ふう……と息を吐く。それにしても、あの主席魔法使いでも把握できていない情報があるとは……。

まあ、今はいい。

「さて」

今日は家に帰ると、隠れ甘党クルウがリュチアーノ王国で一番愛するスイーツが待っているはずだ。すなわち、妻と妻のお手製クリームパイである。

ウキウキしながら帰宅準備を始めようと席を立った時、無情にも再び執務室の扉が開いた。

「そういえば、奥方がレイキ村産限定深蒸し茶葉を欲しがっていたとか。ここにありますが、どうでしょう、今からお届けしても?」

その茶葉はクルウが妻から欲しいとおねだりされていたが、どうしても手に入れることの出来なかった逸品であった。そのような手土産をぶらぶらと見せつけられたクルウは、「是非、私が持っていきましょう」というグレイと一悶着したのだが、そもそも若輩者のクルウがグレイに叶うはずもなかった。

グレイはこの後、ちゃっかりクルウの家の夕飯にお邪魔し、奥方お手製のクリームパイをレイキ村産限定深蒸し茶葉で美味しくいただいたのである。

****

さて、グレイという男の情報収集能力を持ってしても集められる情報には限界があり、そもそも実際にこの目で見たという目撃証言に勝るものは無い。そうして、大概そのような偶然は欲しがっている者のところには降ってこない。

翌日のことである。

グレイの弟子である魔法使いのウィリーウィリアムウェルナ・ロンバッハは、首都シキにある小さな雑貨屋で故郷の妹のために、何か可愛らしいものを買ってやろうと雑貨を物色していた。

華やかな肩掛けや、髪飾りなど、女性が好みそうな愛らしい雑貨がたくさん置いてある、こじんまりとした店だ。しかし小さいながらも、流行にあまり左右されないよい品物が置いてあるという評判の店だった。

人形もいいかもしれない……そう思って、たくさんの布人形を置いてある棚に回ってみる。すると聞き覚えのある声が聞こえて、思わず隠れてしまった。

「これ、これなんていう動物?」

「レイフェルですね。手触りのよいことで有名な動物です」

「うさぎみたい」

「ウサギ?」

「ねえ、これは?」

「シルフェと言います。小柄で、愛玩動物としてよく飼われています」

「そうなんだ。猫っぽい!」

「ネコッポ?」

「違うわ、ネコ」

「ふむ」

ウィルには理解出来ない話をしているようだが、片方の声はまさに兄弟子のジーノの声だ。ウィルが恐る恐る隣の棚から声のする方を覗いてみると、ジーノの灰色の髪と、その隣に並んでいる女の黒い髪が見える。

それは衝撃的な場面であった。

なんと、あの兄弟子が、女の腰に手を回して人形を手に取っていたのである。それだけではない。時折その手がすすうと女の二の腕を撫でたり、髪に触れたりしている。女の背中を守るように……というか、なんだか割といやらしく密着していて、要するに目に毒な位置に寄り添っていた。

後ろから見ると相当仲睦まじい2人に見える。あの兄弟子が一体どんな顔で女の腰を抱いているのだろう。師匠のグレイでなくても興味が沸き、怖いもの見たさでジーノの横顔の見えそうな位置に移動してみる。

なぜか胸をドキドキさせながら覗いて見ると、ウィルの期待とは裏腹に常の無表情であった。

兄弟子殿は、恋人と居るときも無表情なのか……と、ホッとしたような腑に落ちないような気分になる。

そんなもやもやを抱えながらも2人の会話を聞いていると、女が別の人形を手にとってジーノに見せるように持ち上げていた。持っている手をふにふにと動かしながら、楽しそうに笑っている。

「あ、これは? すごくスベスベで気持ちいいよ、ほら」

「私は貴女の手触りの方が……」

「ジーノ!」

貴女の手触りの方が、何だ!!

ジーノが何か不埒な発言をしようとしたように思えて続きを切望したが、どうやら女性に止められてしまったらしい。だが2人の距離は一層近くなり、雰囲気が色づく。

「ではこれにしますか」

「本当にいいの?」

「気に入ったのでしょう?」

「うん、これが一番かわいい。貸して、持つわ」

女性が人形を抱えてこちらに向かってくる。別にやましいことは一切していないのに、ウィルは思わず逃げ腰になった。どうやらこちらに気づく気配はなさそうだ。

2人が自分の1番近くを通った時、一瞬ジーノの横顔が見える。

それを見て、ウィルは驚愕に目を見開いた。

なんとあのジーノが、とても優しく眼差しを緩めて口元に僅かに笑みを浮かべていたのだ。

思わずぱちぱちと瞬きをしたら、既にジーノの顔はいつもの無表情に戻っていた。

「ま、まぼろし?」

いや、違うはずだ。確かに口元が動いたのをウィルは見た。

もう一度見たいと思ったが、当然それは叶うはずが無く、呆然としているうちにジーノらは勘定を済ませて出て行ってしまう。

ちなみに、ウィルがうっかりグレイにこのことについて口を滑らせてしまったのはさらに翌日である。

****

グレイは落ち込んでいた。

ジーノの恋人だという女性を、クルウだけではなく弟子のウィルまでが目撃したのだという。偶然見かけただけで会ってすらいないと必死で言い訳していたが、なぜそうした幸運な偶然が自分には降りて来ず、弟子に降りてくるのか。

「おかしい。日頃の行いはいいはずなのに」

「は?」

ウィルが顔を上げる。

「何だウィル。何か言いたいことでもあるのか」

「いえ」

ウィルは再び仕事に戻った。

昨日見た衝撃の現場についてうっかり口を滑らせてしまったのは、グレイがジーノの恋人の髪の色を教えてくれたのが切っ掛けだった。

ウィルはそれについて「ああ、そうですね」と言ってしまったのだ。「ああ、そうですね」と。

そもそもウィルが師匠のグレイに詰め寄られて、口を割らないでいられる訳が無い。

一緒に人形を選んでいたことや、腰を抱き寄せていたからあれは間違いなく恋人同士であろうということまで、全て白状させられた。

さらに、どんな雰囲気だったと聞かれてかなり困った。

ジーノのあの無表情で女の身体をいやらしく……いやいや、優しく触れている様子を見ると、無表情ではあっても無感情などとんでもない事のように思われる。だが、それを説明出来るだけの語彙が自分には無い。

そう思っていると、グレイが意外なことを言った。

「あいつは、無表情だが無感情な男ではないからな」

「え?」

「見てみたいものだなあ、あのジーノが大事にする女を」

「師匠?」

「周りがどう言っているかは知らんが、ジーノは不当な男ではない。いい女をつかまえて、いい暮らしをするに値する男だからな」

そう言った師匠の顔があまりに真面目だったので、ウィルは黙った。

無表情で変人、無感情で冷たい男だと宮廷から敬遠されているジーノのことを、師匠は師匠なりに正当に評価しているはずだ。そんな自分の弟子が大切にしている女性、見たいと思うのは当たり前のことか。

グレイは単にジーノをからかいたいとか、ジーノの恋人にちょっかい出してみたいとか、そんなことを考えているわけではなく、全ては弟子を思ってのことなのかもしれない。

ウィルの心になんとなく熱いものが込み上げる。

「師匠……やっぱり……」

「そもそも、あの変人ジーノに付き合えるんだ、相当心が広いか、やっぱり特殊性癖だと思わんか」

師匠、やっぱり。

****

こうした情報が城を錯綜する中、とあるやんごとない人物の耳にその噂が入った。

「あのジーノに恋人?」

まだ僅かに幼さの残る顔立ちに、若い興味と好奇心を浮かべる。

その人物にとってジーノは宮廷で最も信頼の置ける魔法使いだった。無表情・無感情を揶揄する声も多々あったが、いまだ若い彼からすれば、読めぬ作り笑いを張り付けて下心満載で近付いてくる輩よりもよほど信用できる。言っていることも実直で、野心などとは程遠い男だと思っているのだ。

少し前までは主席魔法使いのグレイや宰相などが、将来有望な魔法使いに妻をと、よさそうな年頃の娘を紹介しようとしていたようだが、それらの全ては失敗に終わっている。夜会で何度かそうしたところを目撃してからかいもしたが、ジーノはほぼ女性に無関心だった。

そのジーノに恋人がいるらしい。

現在、この人物は夫婦間におけるある悩みを抱えていて、その悩みを解決するための魔具の開発をジーノに依頼している。その依頼は国の主席魔法使いすら内容を知らぬ極秘の依頼であり、この国の系譜を守護することになるかもしれないものだった。

そう。悩み事だ。

誰にも出来なかった悩み事をジーノにならばと思い相談した。ただ、相談してから1ヶ月、ジーノは部屋に引きこもっていて、なお成果が上がっておらず、やはり女の扱いに長けているという主席魔法使いにも重ねて相談するべきか……と思っていたのだが……。

「そうか、恋人がいるなら……やはり間違っていなかったな」

恋人がいるならば、そうした問題についても上手い解決策を講じるだろう。何しろあの次席魔法使いのジーノは、自分が知る限り引き受けた魔具の製作に失敗したことはない。

「その恋人とやら。此度の問題が解決すれば妃と共に是非会ってみたいものだ」

彼の名はマルシュリオルスヴァルブランシュ・リュチアーノ。リュチアーノ王国の若き国王である。

国王マルスの現在の悩み事とは、最愛の妻との夜をもっとよくしたい……という、若い夫婦にとっては非常に深刻なものだった。

そして国王夫妻のこの悩みが、次席魔法使いジノヴィヴァロージャワシリー・フルメルのもたらす秘密の献上品によって解決されるのは、もうすぐの話である。