「えぐい!」
ジーノの仕事部屋でそれを見せられた時の結菜の第一声がそれである。
「えぐい?」
「だ、って、大好きな奥様に使うんでしょう? しかも若い女の子なんでしょう? そんなえぐい形見たらドン引きするわよ」
「ユイナ、ドンビキ、とはなんですか」
「ええと……なんか、こう、うわあ……ってなること」
「ふむ。ドンビキの意味は分かりませんが……ともかく形がよくない、と」
ジーノは作業机の前に座って何事か作業をしている。結菜は椅子の背もたれに身体を預けて、ジーノの背中ごしに手元で作られているある「物」を覗き込んでいた。
その「物」とは、結菜の世界でいわゆる「バイブ」と呼ばれる道具である。
結菜がジーノの住まう異世界へ召喚されたきっかけになった道具、そして初対面であるのにも関わらずジーノとセックスし、さらには恋人になる切っ掛けになったものだ。
「しかし、これはユイナが持って来た『バイブ』と正確に形を一致させたものですが」
「だって、私もあれを初めて見たときドン引きしたもの」
「また『ドンビキ』……その言葉の意味を理解するところから始めた方がいいのでしょうか」
「そうじゃなくて」
「ソウジャナ?」
「いやだから、違うって」
ジーノは全く表情を変えずに自ら作った試作品のバイブを手にして、くるくると様々な角度から眺めている。その形は男性のアレそのものだ。
このバイブの試作品は、結菜が2度目に召喚された時には既に出来ていた。しかし再会したばかりの結菜が使う事を拒否したため、もう少し落ち着いてから見せようと思っていたらしい。
そしてようやくこの生活にも慣れた頃、試作品に対してアドバイスが欲しいと切り出したジーノに対して、結菜が「見るだけ! 見るだけだからね!」と念を押して、こうして見せてもらったのだ。
にしても、えぐい。
結菜が持って来たものは白い色だったのだが、出来るだけ違和感の無い色の方がよいかと思った結果が、肌色だったらしい。リアルな形にわざとらしい肌色が余計にえぐさを演出していて、なんとなくジーノはこういう感覚が無さそうだ。
「ならば、どのような形がよいのですか?」
「え?」
まじまじと見つめていたら、不意にジーノが首を傾げて振り向いた。ジーノの肩に寄りかかっていた結菜の頬に唇を寄せる。微かに眼鏡のレンズが結菜の髪に触れる感触がした。
「この形以外にも、何か? ユイナの世界にはこのような道具がまだあるとか? 」
「ええ?」
急にかかった吐息に照れて結菜が背もたれから少し離れると、バイブ試作品を作業机に戻したジーノが立ち上がった。つられて身体を起こした結菜よりも高い位置にある視線が下りて来て、とても自然に唇が啄まれる。
う、と小さく唸って目を閉じると同時に触れるだけだった口づけが深くなり、腰に手が添えられた。いつものように抱き締められて、一気にジーノの身体に包まれる。
「もう寝ましょうか。明日の夜にはユイナがいないのだと思うと、早く貴女を抱きたくてたまらない」
「う、うん」
ほう……と熱い息が髪に掛かって、思わず結菜もぎゅっとジーノの服を掴む。回された腕の温かさの中で頷くと、どうしてだか切なさがこみ上げた。
****
はあ……。
会社の帰りに最近リニューアルしたというカフェに立ち寄った結菜は、今日何度目かになるため息を吐いた。向かいの席でアイスカフェラテを飲んでいる友人の沙也加が、面白そうに目を輝かせる。
「何、どうしたの? 浮かない顔じゃない」
「別に……」
「最近彼氏とうまく言ってないとか?」
「か、かれし……」
「結菜、恋人の話題になるといっつも挙動不審になるわよね」
恋人!
……やだ、恋人。
かあ……と結菜の頬が染まる。その響きを声に出さずに口の中で転がすと、砂糖を含んでもいないのに甘い心地になった。確かにジーノの国では結菜はジーノの恋人として認められているようだ。……と言っても、真面目に会った事のあるのは、ジーノの家主のマアムさんとそのご家族で、あとは騎士団長だという人とその奥様にちらっと紹介されただけだった。それでも、ジーノが「結菜」という存在を堂々と明らかにしてくれることを、結菜は嬉しく思っている。
だが、こちらの知人には言えない。ジーノが結菜の世界に来た事がない、ということもあるけれど、自分の恋人が異世界の魔法使いだなどと言ったところで信じてもらえるはずが無い。戻って来る度に自分があの世界で過ごしている時間は本当なのだろうかと不安になる。
結菜だって知っている、自覚しているのだ。
ぬいぐるみを買ってしまうくらい会えない時間が切ない事も、外で買い物をするときにそっと腰に手を回されてそれを嬉しく思う事も、ケーキを一緒においしく食べる時間が楽しくて、胸がきゅうと痛くなる事も、2人で寄り添う肌触りやぬくもりがすごくすごく心地よい事も、全部知って、自覚している。
「なにニヤついてるのよ、やだ、心配して損した。うまくいってるんじゃない」
「え? ニヤついてないわよ」
「ニヤついてたわよ、気持ち悪い」
「うそ」
「ほ・ん・と」
言いながら、今度は沙也加がにんまりと笑う。結菜はぺしぺしと頬を叩いて、ふう……と息をついた。浮かれてるかもしれないと、少し反省する。
「ねえ、恋人なんでしょう?」
「う……うん」
多分、そう。
だってジーノからは、いつだって結菜への愛情が感じられる。流されてばかりの結菜だけれど、流されるだけの理由があるのだ。ジーノの顔は確かに感情が出ないけれど、その言葉と行動は率直でくすぐったい。それでも素直に「うん」と言えないのは、少しの照れと会えない時間の不安だった。
「何、煮え切らないわね」
何か不安でもあるの? と続ける沙也加は、こと、恋愛の話ともなればいつも鋭く食いつきが良い。大胆で女子力の高い沙也加は、結菜にバイブを渡した張本人だが、そのおかげで「恋人」と出会えたのだからここは感謝すべきだろう。
沙也加にジーノのことを話したことは無いが、沙也加自身はもちろん気付いているようだ。
結菜の雰囲気が色っぽくなったと指摘し、あれを恋人になる前に男と使った……ということもバレてしまった。結菜の週末は明らかに付き合いが悪い。
だから結菜自身は、既に「恋人」の存在を否定するのはやめた。ただ、素性を明かすことはやはりまだ出来ない。沙也加はそれを把握していて、男の外見や性格は聞いてくるものの、どこのどういう人間か……という情報は、詮索しないでくれている。
それでも心配してくれているのだろう。時々、こうして結菜の断片的な話を聞いてくれるのはありがたかった。
「不安はいろいろあるよ」
正直に口にする。沙也加がこちらに視線を向けた。それを確認して結菜は続ける。
「身体から始まったから飽きられないかなとか不安だし、平日は会えないし、連絡も取れないし」
「平日の連絡、取れないの?」
「うん……」
「あんたね、ほんとにヤバい男なんじゃないでしょうね」
「ちがうちがう」
何度と無く疑われた「ヤバい男」疑惑を何度と無く否定して、よくよく考え直してみれば、こっちの世界から見たらジーノはかなり「ヤバい男」だよなあと思い直した。無表情なのはまあいいとしても、魔法使いで、バイブを作ろうとしているところがかなりヤバい部類だ。
それでも結菜にとってはジーノはまともな男である。もっと一緒に居て、もっとお互いのことを知りたいと思うほどには。
「それに、週末はもうちょっと一緒にいたい……って思う」
「それは……結菜、かんっぜんに、惚れてるのね」
「えっ」
「えっ、じゃないわよ。完全に恋する乙女の台詞よそれ」
沙也加は最近つやつやしてきた結菜を見つめる。話によれば結菜はちゃんと大事にされているようだし、他に女の影も無いという。つまり、典型的な恋の不安だ。一体何が不安なのか分からないけれど、とにかく何かが不安で、くすぐったい。そんな女心だろう。つまり、結菜はちっとも「それなり女」なんかじゃない。
どう考えても相手の男は怪しいと不安だが、それはもう、結菜を信用するしかないなと沙也加は思う。
「それにしても『飽きられる』ねえ。確かに最初がアレじゃ、不安になるか」
「アレって!」
もちろんアレである。しかし沙也加はさすがに「バイブ」を結菜にプレゼントするくらいの強者だ。身体から始まる恋を否定する気はさらさら無い。身体から始まらなくても上手くいかないカップルなんて大勢居る。言葉が巧みだが心が伴わない人間だってザラだ。それに比べれば、少なくとも最初から身体の相性がいいと分かっているだけいいではないか。
とはいえ、心配になる気持ちもちろん分かる。人間というのはそれほど簡単に、いろいろなものを割り切れないし、どうしたって不安になるものなのだ。
沙也加はくすくすと小さく笑っていたが、すぐにいつもの悪い笑みで結菜に何かを差し出した。
「じゃあ彼氏に飽きられないように、これでも注文してトレーニングしたら?」
「何よトレーニングって。また変なものじゃないでしょうね」
「ちがうちがう」
からからと笑いながら、沙也加がくれたものは小さな冊子だった。
「何コレ?」
「秘密。ここでは開けない方がいいわよ。彼氏と一緒に見てみて」
「えええええ? 何それ、絶対変なものでしょう!」
「まあね。いいから、一緒に見てみなって」
ちょうど飲んでいる飲み物も終わって、一息ついたところだった。2人の女子は、1人はどこか不安げに、もう1人は楽しげに席を立つ。
冊子の表紙には「LOVERS」とかなんとか書かれていて、あの沙也加がくれたのだから明らかに「変なもの」に違いない。けれど、突き返すことも出来なくて、もちろんこの場で開く勇気もなく、結菜は仕方なく冊子を鞄に入れた。
****
その日の夜が、ちょうど召喚の夜だった。ジーノの所に赴く準備を整えた結菜は、そういえば沙也加から何かもらっていた……と、パラパラと冊子を開いてみる。
その内容を見て、愕然とした。
「な、なな、なななな、なにこれ」
思わずがっしと冊子を手に取り、まじまじと眺めていたところで召喚が始まる気配を感じた。
しかし始まったと思った時には遅い。
ちょうど両手でがっしりと冊子を広げていた、その姿勢のまま結菜はジーノの寝台へと落ちたようだ。冊子が手から離れて、バサリと音をたてて顔に落ちてくる。
すぐに冊子は取り払われ、結菜の視界が晴れる。
寝台にゴロン状態の間抜けな格好の結菜の傍らにジーノが居て、早速冊子を取り上げていた。
「ユイナ、これは?」
「あ」
しまった! ……とすぐに奪い取ろうとしたが、転がっている状態では分が悪い。ジーノはやすやすと結菜をかわし、片方の手でグイ……と眼鏡の銀縁を押さえると、冊子をパラパラとめくり始める。いくつかのページに軽く眼を走らせていると、すぐに眼鏡の向こうに見える灰色の瞳が、すう……と鋭く細くなった。
「ユイナ、これは何ですか?」
ジーノが結菜に見せ付けるように手に持っている冊子の表紙には、こう書かれている。
『女の子も使いやすい。お洒落なバイブ・ディルド特集』
結菜は傍らに置いてあったクマノヌイグルミを掴んで、ゴロゴロと悶絶した。
****
そんなわけで、ジーノは結菜を片手に寝転がり、ふかふかの上掛けを被って2人で仲良く冊子を読み始めた。冊子の中にはどのような技術なのか、非常に綿密な絵と細かい字が書かれている。結菜の世界には魔法が無いと聞いていたはずだが、この絵は魔力で転写でもしているとしか思えない。字は結菜の世界の文字なのだろう、さすがにジーノには読めなかった。
「ユイナ、答えてください、これは何ですか? 何に使うものですか?」
ジーノがページをめくると、様々な形の様々な道具が現れる。その度にジーノは興味津々の声で結菜に問うのだが、結菜は何故か答えてくれない。
しかし結菜にしてみれば素面で答えられるはずもなかった。一体何に使うものか、パッと見は分からないものもある。……ただ、中には使い方が解説してあるものもある。ジーノが日本語読めなくてよかった。ただでさえ恥ずかしいのに、読まれたらもっと恥ずかしい。
「き、き、聞かないでよ、分かるでしょう!」
「分からないから聞いているのですよ。おや、これは『バイブ』ですか」
何やら顔を真っ赤にしてクマノヌイグルミに顔を押し付けていた結菜を抱き寄せる。結菜が異世界から持ってきた毛のかたまりは、あれから何故かジーノの寝台の上に置かれていた。その代わり、結菜は街で買った「シルフェ」の布人形を持って帰っている。結菜の世界では「ネコッポ」と呼ぶらしい。余談である。
さて、開いたページにはジーノも見た事のある道具が大量に並んでいた。曰く「エグい」形のものだ。こんなに大量に種類があったとは驚きだ。中には両方、そういった形になっているものもある。一体どのような使い方をするのか。
興味深い。
「ということは、もしやこの美しい形のものも?」
次を捲ると急に雰囲気が変わった。結菜がちらりと薄目で覗き見ると、表紙にもあった特集ページのようだ。なぜかジーノが感心したように、ふむうと唸る。
中に描かれている絵は、滑らかな表面と流線的な形が美しい、何やら棒状の物体だった。先ほどのページに描かれている道具と結菜の態度から察するに、この冊子に描かれている大半は、何やら性的な目的で使用する道具であるらしい。すなわち「バイブ」のような。そして、この居住まいの美しい棒。よもやこれらも、「バイブ」と同様の働きをするものだろうか。色も明るく、どことなく爽やかなものが多い。
その予想を確信に変えたいジーノは、懇願するように結菜に問う。
「ユイナ……答えて」
いつも口調を崩さないくせに、こういう時だけそんな言い方をするなんて卑怯だ。そう思いながらも、抑揚の無いくせに熱いため息混じりなジーノの声に囁かれると、結菜はとても弱かった。
「そう」
「バイブ?」
「……うん」
結菜は渋々頷いた。つまり沙也加が結菜にくれたのは、アダルトグッズの通販カタログなのだ。一体どういうルートで手に入れてきたのか。装丁もお洒落で、パッと見はとてもいやらしい道具を売っている冊子には見えない。最近のアダルトグッズは女性向けにとてもお洒落なものも登場しているらしく、結菜が始めにもらったような、男性器そのものズバリみたいなバイブだけでなく、綺麗な形の触り心地のよさそうなディルドもある。
そんなカタログをジーノの腕の中でまじまじと見せられる羞恥といったら無かった。
「結菜、これは何ですか? とても変わった形をしている」
ジーノがとあるページを開いた。載っていたのは丸い卵のような物体が2個つながっている、見た事の無い形の道具だ。結菜もよく分からず、思わずよくよく見てみると解説が書かれてあった。
「えっと? ちつあ……!」
途端にぼふん! と顔を赤くした結菜は、慌てた様子で冊子を閉じた。
「ユイナ、何ですか?」
「なんでもない!」
「何が書いてあったのですか? やはりあれもバイブと同じ使い方を?」
「知らない、もう!」
ジーノはしつこく食い下がったが、結菜も割と頑に答えなかった。冊子をばさばさと閉じると、ジーノの腕から逃れるようにもがいてクマノヌイグルミの方へとにじり寄る。しかしもちろん、それはジーノが許さない。
「ユイナ、抱きつくなら私に抱きつきなさい」
「だって」
「ほら、こっちを向いて」
羞恥で暴れる結菜もまた可愛らしいが、離れるのは心もとない。柔らかさと温かさを求めてジーノの腕が結菜の腰を攫い、引き寄せて首筋に唇を寄せる。召喚したての結菜は、おそらく異世界で入浴しているからだろう、ジーノとは異なる香りがする。共に湯を使って同じ香りになるのもいいが、こうした女らしい美しい香りを纏う結菜もまた、好い。
「ユイナ……」
ぱくりと首筋を食まれて、ダイレクトに互いの体温を感じる。どちらか一方が身体を寄せると、もう一方がそれに応える様に腕を強くしたりしがみついたりする、肌に感じるその圧力はとても好ましいものだ。
「ジーノ、へんなとこ、さわらないで」
「触らない方が難しいですよ、ユイナ」
「だって」
ちゅ……とジーノが肌に吸い付く音を聞きながら、結菜は思わず、あふ、と欠伸をした。しぱしぱと涙目を瞬かせて瞳をこする結菜を腕の中で見下ろして、ジーノの瞳が緩くなる。
「眠いのですか?」
「ん、ねむくない」
「嘘はいけません」
ジーノの広い手が結菜の背中をさすり、首筋を撫でて、黒い髪に指を埋めて、頭を抱えるように抱き寄せる。温かい上掛に温かいジーノの身体は、余計に結菜の眠気を誘っている。ジーノにもそれは分かっていた。夜の少し気だるい身体と空気に、互いの体温はあまりに心地よい。
それでも眠らせたくなくてジーノが顔をおろすと、結菜も求めるように唇を寄せてくる。ほんの僅かの結菜の動きから眼が離せず、彼女が少しでも自分に心を許しているか、自分を求めてくれているか、そんなことを気にかける。
ジーノは結菜の服を脱がせると、柔らかな肌に直接触れた。結菜は「ん」と小さな声を出して、ジーノの背中に腕を回す。掌に吸い付くようなまろやかな胸と腹回りをまさぐると、結菜の湿ったため息がジーノにかかる。
「ん……う」
甘い声だ。結菜はジーノを「いつも冷静で自分ばかりずるい」と唇を尖らせるが、ジーノ自身の心の内を知ったらどう思うだろうか。今の自分は冷静とは程遠く、結菜に対する自分の感情を持て余したただの男だ。結菜を抱きたくてたまらないし、自身を求めて欲しいと贅沢なことを考え、その目が逸らされる事無く、常に自分の事を見て欲しいと願っている。
それなのに、いつもいつも2回の夜を迎えたら離さなければならないのだ。
今日はそれほどの手管でなく、ただ優しく手を触れて、ただゆっくりと繋がった。あまり激しくない、互いの体温だけを感じるような行為に、とろんとした表情の結菜がジーノに頬を摩り寄せる。
ジーノが果てると同時に結菜は眠ってしまったようだ。
その身体を優しく撫でながら、ジーノはいつものようにこれからのことを考える。結菜と共にいるために、やらなければならないことを。