それなり女と魔法使いの試作品

献上品

リュチアーノ王国の首都シキは、広くはないが、白と青を基調にした美しい町並みを誇る都市だ。その町並みを見下ろす高台に、王城シンドゥナが建っていた。

その王城の一室、国王自身の執務室に、リュチアーノ王国次席魔法使いのジーノは呼び出されていた。もちろん国王から直々に、である。

「ジーノ、よく来たな!」

近衛の案内で姿を現したジーノを、マルスは満面の笑顔で出迎えた。扉を開けた途端にすぐさま席を立ち、ソファへ座るように促す。早々に人払いをさせて、2人きりになった。

「お呼びでございますか、陛下」

「ああ。他でもない。……余と、リュナのことだが」

ジーノが軽く頷き眼鏡を直した。マルスはそんな相変わらずの無表情を見返して、満足そうに頷き返す。そして、コホン……と1つ、咳払いをした。

僅かに視線をそらして、頬を染めて一息に言う。

「お前のもたらした献上品、どうやら上手くいった」

「ほう」

ジーノは興味があるのか無いのか分からない表情で視線を持ち上げ、すぐに軽く一礼した。

「それはようございました」

「うむ。よくやってくれた」

それだけの会話だったがジーノは把握したようだ。何が、どのように「上手く」いったのかという追求はしなかったし、マルスも詳細を説明する気はなかった。

5日ほど前に、ジーノから献上された品はマルスにとって見たことも聞いた事も無いようなものだった。

少し先のくねった流線型、細く長い形に澄み切った空を思わせる薄い青、ひょこりと付いている小さな突起、そしてスベスベしているような、ふにふにしているような、人肌を思わせる絶妙な手触り。

一体何に使う道具かと尋ねると、ジーノは真顔でそれをうねうねと動かしながら説明した。

すなわち、「女性の身体の秘部に挿入し、女性を悦ばせるために使用します」と。

聞いたマルスは最初、呆気に取られた。己があそこまでポカンと間抜け面を晒したのは初めてだろう。目だの耳だのあらゆる場所を疑う。しかも説明したのがジーノだったことも衝撃を倍加させた。もちろん、そんな道具をあのジーノに依頼したのは自分なのだが。

そして冷静に考えてみると、そんなものを王妃に使うなどととんでもないようなことに思える。挿入すべきは自分のモノであって、こんな棒であるはずがない。

そう思ったのだが、ジーノの説明を聞いているうちに、ううぬ……と考え直す。

マルスは王妃リュナとの閨の時間、リュナを悦ばせることが出来ていないわけではない……と自負している。濡れてくれるし、愛らしい声も聞かせてくれる。だが恥ずかしがって、なかなか自分に心を開いてくれないのだ。まるで自分1人だけが気持ちよくなってしまっているような感覚を覚えてしまい、それで苛立ってリュナに対して優しく出来なくなってしまう。それがこの道具で解消されるのだろうか。

使い方は教えてくれたが、女性の心理まではジーノは教えてくれない。

また、注意点はいくつかあった。痛がったら止めること。常に冷静でいること。王妃の好さそうな場所を探す事だけに集中し、自分は二の次であること。

そうして神妙に頷いて、マルスはリュナとの閨に望んだ。

結果、予想以上だった。……というよりも、予想外だった。リュナの愛らしい様子はいつも以上で、解かしていると思っていたはずの場所は、もっともっと解けることを知る。

そして何よりも女が感じれば、男もまた感じるのだと、当たり前のことに気が付いたのだ。

最初はリュナも極度に恥ずかしがっていたが、お互いすっかり心地よく満足のいく結果になった。道具を使ったのはその一晩だけだったが、リュナは以前よりもマルスに心を開いてくれた、……ような気がする。寝台の上ではにかんだように微笑んでくれたのは忘れられない。

ジーノの道具は成功だった。少なくともマルスは大満足だ。これが独りよがりな感情ではないと注意しなければならないが、以前と今ではリュナが素直なのは間違いないし、そのことがとても嬉しい。

「礼を言う。ジーノ」

「もったいなきお言葉にございます」

本当にもったいないと思っているのかどうなのか分からない表情で、ジーノは再び礼を取る。その頭が上がり切らぬうちに、マルスは問うた。

「褒美は何がいいか」

身体を起こしたジーノが、視線を常より心持ち上げてマルスを見つめる。

「では、是非いただきたいものがございます」

「ほう」

即答だった。どうやら褒美に強請るものはずっと決めていた事らしい。淀みなく「それ」を口にしたジーノの動かぬ瞳に、マルスは僅かに目を見張った。

すぐに楽しげに笑って、座っていたソファの背もたれに身体を預ける。腕を組んでふうむと唸ってみせた。

「無欲なやつだな。お前なら必要書類を提出するだけで通るだろう。余の力など不要ではないか」

「通常ならばそうですが、……いくつか、陛下のお力で『見逃して』いただきたい条件がございます」

「その者、お前の信頼に足る者か」

「当然でございます」

しばし考えたマルスは、ゆっくりと頷いた。もとより断る道理も無い。ジーノの進言であるならば、それを此度の褒美として与えてもよいと思える。

ただし。

「褒美といっておいて悪いが、それを与えるには条件が2つある」

「なんでございましょう」

「1つは問題の無い後見を得ること。……そしてもう1つは」

マルスはニッと人懐こい笑みを浮かべた。この時ばかりは王としての威厳を消し去り、 年相応な賢い若者の顔になる。

動かぬジーノの灰色の瞳、眼鏡の奥を覗き込んだ。

「その者、余と王妃に会わせろ」

言って、どうだと言わんばかりにふんぞり返る。ジーノはほんの少し眉を動かしただけで表情は乱れる事無く、眼鏡の位置を直した。

「かしこまりました」

予想以上にあっさりとジーノは応じ、マルスは幾分つまらぬ顔をした。もう少し面白い「表情」が見られるかと思ったのだが、やはりこれを崩すのは至難の業らしい。

「まあ、詳しくはまた改めてゆっくりと聞き出す事にしよう」

「改めてお話することもございませんが、陛下の命ならばなんなりと」

言ってマルスは立ち上がる。それを退去の合図とし、ジーノも立ち上がった。マルスは臣下の礼を取って退室しようとするジーノを呼び止める。

「もう後見は決まっているのか」

「主席魔法使いならば、文句はありますまい」

「ああ、グレイならば申し分なかろうな。そういえば会いたがっていたぞ」

そこで、動かなかった表情が僅かに動いた気がした。ジーノは足を止めて完全にマルスに身体を向け、ぐいぐいと眼鏡を直して眉間に皺を寄せる。

おや? とマルスは首を傾げた。何かしらの続きをまっているらしい。どうやら自分の話題がジーノの興味を引いたようだ。

「お前の望みの者、お前の女のことであろう? グレイがわざわざ余の部屋に来て、会いたいとこぼしていた」

「……そうですか」

微妙に視線が鋭くなったような気がするが気のせいだろうか。

グレイはリュチアーノ王国の主席魔法使いであり、ジーノの上司であり、ジーノの師匠であるはずだ。真っ先に会わせてもおかしくないと思っていたのだが、どうやらそうではないらしいと印象に残っていた。ちなみに「ジーノの女」の話はグレイから聞いたものが大半なのだが。

「会わせていないのか?」

「特に聞かれておりませんので」

「会わせぬのか?」

「特に言われておりませんので」

「しかし後見にするのだろう?」

「……」

マルスが聞くと、心なしかむっとした様子でジーノが黙り込んだ。その顔を見て、よもやと思い当たることを口にする。

「まさか会わせたくないのか?」

「そういうわけではございません」

「グレイは色男だからな」

「後見を頼むのですから会わせないわけには参りません」

「ジーノ」

「なんでございますか?」

変わらぬ男の表情を、マルスはニヤリと笑って見上げる。

「お前意外と嫉妬深いのだな?」

いつも冷静で顔色を変えない男の、少しばかり表情を崩すところを見てみたい。そんな気持ちを持ったところで、マルスのそれを誰が責められるだろう。

だが、ジーノはそんなマルスの期待をあっさりと裏切った。顔色ひとつ変えずに、もちろん表情筋は微動だにすることなく、平然と言ってのけたのだ。

「私も男ですから当然です」

****

国王の執務室を辞去したジーノはそのまま魔法研究棟へと赴いた。

無論、師匠の主席魔法使いにある依頼をするためだ。

主席魔法使いの研究室に入ると、丁度良いことに他の弟子達は居らずグレイ1人のようだった。ジーノはまっすぐグレイの執務机に歩を進める。

グレイは憂いを帯びた褐色の瞳で、現在設計している汎用型属性剣の設計図に目を通していた。現在グレイに依頼されている品の1つだ。

未だに女性に人気の熟年紳士であるグレイの横顔は、誰が見ても惚れ惚れするような造作だ。笑えば一気に少年のような表情になる口元は今は引き締まり、少し伏せた瞳は仕事をしている男らしく鋭い。

……が、グレイはすぐにジーノの気配に気付き、設計書から顔を上げるとそれをぴらりと差し出した。

「お、ジーノか。丁度よかった、この魔法剣の設計見直しといてくれ。俺、これからカリンちゃんのところに行くから」

黙っていれば、あるいは女性を口説いていれば、グレイは紳士であり、仕事の出来る中年男である。しかし彫りの深い鋭い顔は仕事に没頭している風に見えるが、その脳内は夕方にもなれば、女性カリンちゃんが接客をする酒場に向かっていることをジーノは知っている。

もちろん設計の見直しを引き受けるつもりは毛頭ない。いきいきとしたグレイの口調はきれいに無視して、眼鏡のブリッジを押さえた。

「師匠、今日は師匠にお願いしたいことがあって参りました」

「え、何。俺なんにもやってないぞ」

「用件を言ってもよいでしょうか」

お茶目を演出したグレイの冗談も通用せず、ジーノは全く表情を変える事無く師匠を真っ直ぐに見つめていた。グレイは面白くなさそうに唇を尖らせて、顎をしゃくって続きを促す。

「師匠。……とある女性の後見人になっていただけませんか?」

グレイの形のよい眉がピクリと動き、次の瞬間、非常に悪い笑みを浮かべてジーノを見上げた。

****

ひとまずは、全て出揃った。

師匠のグレイは快く了承してくれた。……その「快く」の裏にどのような意図があるのか、もちろんジーノは把握している。グレイは弟子であるジーノの「女」について、からかいたくて仕方がないのだろう。同時に興味津々であるに違いない。

昔から浮き名を流し、今も昔も変わらず女性受けのよい師匠に結菜を紹介するのは非常に不本意だったが、こればかりは仕方が無い。グレイは軽薄な中年に見えて本当に軽薄な中年だが、信頼出来る人間だ。結菜に手を出そうなどとは考えないだろう。しかし、そうと分かっていても、あの男に好奇心丸出しで結菜を見られるのは少々腹立たしい。

ただ、異世界の人間であるということはまだ伏せているが、ジーノの思惑通りに進めるためには、いつかは言わねばならないし、会わせねばならないだろう。……ジーノは結菜をグレイに会わせるときは、片時もそばを離れまいと決めた。

試作品を元に魔法具を作成し陛下に献上したのは5日前のこと。どうやらその品は成功したようで、大満足の国王からジーノは報酬を得る事が出来た。常のジーノであれば特に欲しいものも無く、後腐れの無いように相場に見合った金銭を要求しているのだが、今回の報酬は最初から決めていた。

もちろん国王が言う通り、それを報酬として強請らなくともなんとかすることは出来ただろう。だが、もし何かあった時、国王が味方であるのと無いのとでは全く違う。

必要書類を全てまとめるのはもちろんのこと、主席魔法使いの後見に、国王からの見えざる後押しがあれば、ジーノの望むものは、ジーノの望む形で手に入る。

ジーノが望んだものは、「ユイナ・マツザカ」のリュチアーノ国籍だ。通常リュチアーノでは、規定の滞在歴と元の国籍、配偶者以外の後見があればリュチアーノに籍を置く事が出来る。しかし、結菜はそのいずれも持っていない。特に「元の国籍」というものを証明することが出来ない。当然である。結菜は異世界の人間なのだから。つまり、今のままでは、結菜はリュチアーノ国籍を得ることが出来ないのだ。

皆の目から隠し、ただジーノのそばに置くだけならばどうとでもなるだろう。だが、ジーノはもっと深く、もっと正しく、結菜を自分の元につなぎとめておきたかった。正式な国籍を与えて、後ろめたい事も後ろ暗いことも何も無く、自分のそばに居て欲しい。

「ユイナ」

今日は召喚の夜。

苦しいのは5日間会えぬということではない。5日間はこの世界のどこにも結菜が居ないという事実だ。

7日間の間に2日、自分の召喚に応じてやってくる結菜……。どこにあるのか分からない謎めいた異世界に住む彼女は、逆にいえばジーノが召喚しなければ2度とこちらにやってくる事が無い。腕に抱いているときは確かにここに在ると実感できるのに、向こうの世界に帰してしまうと途端に不安を覚えてしまう。

だから、早く結菜を自分のものに……こちらの住人にしてしまいたいのだ。

ジーノが呪文を唱えると、いつものように、ぽふん……と背後の寝台から音が聞こえる。

「うひゃ」

同時に聞こえる、愛らしい小さな悲鳴。何度召喚しても慣れないらしい。

「ジーノ」

呼ばれて振り向くと、愛しい女がはにかんだ風にこちらを見ていて、ジーノと瞳が合うと嬉しそうに笑った。

ジーノはいつものように眼鏡を直してから、寝台の元に歩み寄って女に両手を伸ばす。

「いらっしゃい、ユイナ」

女の手がジーノの背中に回された。ひとしきりぎゅうぎゅうと抱き締め合ってから、女が……結菜がもぞもぞと腕の中で動き始める。

結菜の指先がジーノの眼鏡に触れ、口づけを強請る。

唇と吐息が重なり、ようやくジーノの心に安寧が訪れた。





「そういえば、あの時見た球体を2つつなげたような道具、作ってみたのですがどのように使うのですか?」

「えっ!?」

「作ってみました」

昼食後、ソファでまったりココアに似た飲み物を飲んでいると、並んで座っていたジーノが唐突に切り出した。話の内容にぎょっとしてジーノの手元に視線を映すと、そこには2つ繋がった球体の先に紐が付いた物体が握られていた。

少し前にジーノと一緒に見た、冊子に載っていた道具だ。結菜も実物は見た事が無い。……一度だけ女性雑誌の特集で取り上げられていた記憶があるが、雑誌を広げていた場所が美容院だったために、記事の詳細までは見ていないのだ。

「どのように動くのかは分かりませんでしたから、形だけしか再現できませんでしたが……これもまた、バイブと同じ使い方をするのですか?」

片方の手で紐をブランブランとさせながら、もう片方の手で眼鏡のツルをくい……と直した。切れ長の瞳は相変わらず揺れる事も無く、口元も歪み無く結菜を見つめている。

そんな真顔で「バイブと同じ使い方をするのですか?」と聞かれても……。

「えっと……」

追い詰められた結菜はうろうろと視線を彷徨わせる。居間だからクマノヌイグルミはないし、この状況でジーノに抱きつく訳にもいかない。

観念した。

「ち、膣圧トレーニング……」

「は?」

「膣圧の、トレーニング、だって」

つまり、ジーノの手にしている道具……それは、膣圧トレーニングボールという道具だった。どのように使うかはよく知らないが、雑誌で特集が組まれるくらいなのだから、最近の女性達の間で話題の道具なのだろう。

使った事無いし、使い方も知らない! と投げやりに言うと、ふむう……とジーノが考え込んだ。

「トレーニング? とはどういう意味ですか?」

「えっと……訓練とか、鍛錬とか?」

「なるほど」

訓練すると何が鍛えられるのかは、懇切丁寧に説明しなくともジーノには分かったのだろう。眼鏡に触れていた手が結菜の肩に回り、ぐ……と引き寄せられた。

「ユイナの住んでいる世界では、女性はそのような訓練をするのですか?」

「知らない、私はしたことないし!」

「そうですね、ユイナはする必要はありません」

「え?」

コトンと球体2つをテーブルに置いて、ジーノはもう片方の手を結菜の身体に巻き付ける。優しく、しかし抵抗を許さない力で抱き寄せて、結菜の頭はジーノの鎖骨にこつんとぶつかった。恋人にぎゅっと抱き締められて、本当ならば幸福な瞬間なのだろうが、結菜の頭上からは淡々と、そして切々と、耳を覆いたくなるような言葉が降ってきた。

「ユイナの中は充分にきついですし、」

「ええ?」

「この前も言ったように、私の形になっていて……」

「えええ?」

ぐいぐいと押され、いつのまにかソファの上に結菜はひっくり返っていた。ソファの肘掛けに結菜の背中を預けるような形になって、両脇をジーノの腕が押さえて閉じ込められる。結菜の上になったジーノの表情は、いつも以上に微動だにしていなかった。だが、鋼にも見える濃い灰色の瞳は少し潤んで熱っぽい。

ジーノが結菜をじっと見つめながら、眼鏡をカチャリと外す。

相変わらず表情を変えないまま、ジーノは襟元を緩めながら結菜に覆い被さった。

「ちょ、っと、ジーノ、昼間、今昼間!」

「知っています」

「明るい!」

「ちょうど昼食の時間から1時間ばかり経過した後ですから、当然ですね」

「ジーノ!!」

昼間から居間のソファの上で押し倒された結菜は慌ててジーノを押し返そうとする。だが、甘えるようにジーノが結菜の胸に頬を摩り寄せてきた。

「確かめたくなりました」

「な、にを」

「ユイナ、貴女を」

……ジーノ。こんなに無表情でにこりともしないくせに、優しい声で愛を囁いて、そのくせ男の欲望丸出しで、いざ事に及ぶときはとんでもなく優しかったり、激しかったりする魔法使い。召喚とバイブと身体から始まった関係に不安を覚えたりもしたけれど、こうやって全身で抱き締められる、この瞬間がどうしようもなく……もう、結菜は好きだ。

触れ合った体温に、ふう……と心地よいため息がこぼれる、

まだ陽の光の明るいうちから、ジーノの身体が結菜の存在を確かめ始めた。