ジーノに連れてきてもらったお店で服を試着させてもらった結菜は、後ろを向いたり前を向いたり、スカートの裾を少し浮かせながら鏡の前でくるくると、……動かされていた。結菜を取り囲んだ2人の女性店員が、こっちを向いてください、あっちを向いてください、腕を上げて、背中をこっちに、などと次々と指示を出しては様々な場所を計測する。目まぐるしく動かされて、ジーノに似合うかどうかなどと聞く暇も無いほどだ。
結菜が異世界に来たときは、ジーノが用意してくれたリュチアーノの服を着ている。最初はどぎつい衣装が出てきたらどうしようと思っていたが全くそんなことはなく、少し幻想的で、古風かな……という程度のものが多い。ただし、伸縮性があまり無いので身体にぴたりと密着する。ブラウスとスカート、という服装ももちろんあるが、そのブラウスも身体のサイズに合わせたものだ。スカートは腰から落ちないようコルセット風のオーバースカートで押さえるか、服と同じ生地で作った幅広の腰帯で留め、温度調節にはその上からゆったりとした上着やショールを羽織るのが普通だ。
今までは、既製品になんとか結菜の身体を押し込めてきた。ジーノはサイズは少し小さいくらいだと言っていたが、お腹のラインがすごく気になる。ちょっとでも体型を崩したらたちまちサイズアップをしなければならないという危機感だ。
そして今日は、なぜかジーノが結菜に服を作ると言い出したのだ。やはりこちらの人達とは体型の癖が違うようで、結菜はリュチアーノの国民の平均と比較すると少し背が低めで、やや腰回りがむっちりしているらしい。身体を計ってくれるお姉さん方にお腹周りをやたらと気にされるのはいたたまれない。
リュチアーノの上流家庭(……と結菜が勝手に思っている)は、いくつかお店にある服を着せてもらって型紙を作り、色違い、リボン違い、飾り違い、丈違いの品を作るのだそうだ。既製品を買うときも、必ず試着して脇や腰回りを詰められるか、若しくはそれぞれの家庭で詰めるのだという。結菜もジーノの大家さんであるマアムに詰め方を教えてもらっている。
そしてあろうことか、油断するとどんどん締められる。「あらやだまだ締まりますね、もっと力を入れて!」と無駄に激励され、いや、これ以上お腹に力を入れたら後が大変だと懸命に首を振った。むしろ、お腹を緩めている時に合わせて欲しいと思うのは女子失格だろうか。
ひとまず作ってもらった服は、襟元の大きく開いたロングジャンパースカートに、手首の裾が僅かに広がったブラウスだ。胸元を押し上げるような形になっていて、露出はほとんどないのに妙に恥ずかしい。淡く渋みのあるピンクに濃いトーンの茶色の組み合わせで、ジーノも結菜も一目で気に入って手に取った色だ。
「とてもよく似合いますね、ユイナ」
あたふたと計測されている様子をじっと見つめていたジーノが、落ち着いた頃合いを見計らって側にやって来た。お店の人達がすっと引いて、場所を空ける。
「かわいらしすぎたりしない?」
「……むしろ落ち着いていて、私は好きですよ」
「うん」
照れながらも、ありがと、と頷く。結菜からするとコスプレをしているような気持ちになるが、それはそれで平和な証拠かもしれない。ひらひらとした装飾はほとんどなく、刺繍と布の切り替え、そして脇から背中に掛けてぎゅっと締め付ける編み上げが綺麗な品だ。光沢の少なく軽やかな布地の手触りもとてもよい。そうそう安い品物ではない事が、素人の結菜にもすぐ分かる。
お勘定については、ここに来る前散々ジーノに言っていた。これまでにも何着か服は買ってもらっているし、外で買い物をするときもいつもジーノが支払っている。結菜はこの世界で貨幣を稼いでいないのだから、どうしてもジーノに頼りっぱなしになってしまう。だからそんなにお金を使わないで欲しい、もしくはどうにかしてお金を稼ぎたい……と問うのだが、ジーノは頑に首を振る。
「今の……」
「ユイナ」
次に結菜が来る時までに服は出来るようだ。届けてもらうように手配して、結菜とジーノは店を出た。無粋な事だとは分かっているが、結菜はやはり確認せずにはいられない。しかし、ジーノは結菜と並んで歩きながらその手を取り、指を絡めるように握って自分の腰に引き寄せた。
「お金のことならば心配要りません」
「でも」
「……実は、陛下から報奨金をもらったのです」
「え?」
「あの道具を献上しました。陛下が大変お気に召されたので」
淡々としたジーノの言葉を聞いて、うわあああああ……と顔を赤らめる。ジーノがどんな無表情であの道具を王様とやらに献上したのかと考えると、面白さ以上に羞恥が込み上げてくる。何しろあの道具を持ってきたのは結菜自身で、試作品を試したのもまた結菜だからだ。当然使い方も説明したのだろうが、この無表情でどんな説明をしたのだろう。
「あの献上品の成功については、多くはユイナの手柄です」
「え?」
「何しろユイナの身体で試し……」
「ちょ、ジーノ!!」
手をつながれていないほうの手で、結菜がジーノの口を塞いだ。足を止めたジーノは冷静にそれを引きはがし、ぽむぽむと頭を撫でながら結菜を見下ろしている。
「照れている?」
「照れてるんじゃなくて、恥ずかしいの! あ、当たり前でしょう。こんなところでそんなこと言わないで」
「恥ずかしい、と、照れる、違いがあるのですか?」
「あります!」
顔を真っ赤にしながらひそひそと言うと、ふ、とジーノが眼鏡の奥の灰色を緩めた。
ドキリとする。
普通の人と比べるとさほど表情が動いたわけではないのに、ジーノのそれは目が離せない。
結菜が見とれていると、再び手をしっかりと握られて歩き始める。ジーノの横顔に先ほどのような表情の変化はどこにも無く、冷静に眼鏡の位置を直すいつものジーノだ。
その差異が何故かとても嬉しくくすぐったくなって、結菜は指が絡まっている方の腕に身体を寄せた。指だけではなく腕も巻き付くように寄り添うと、ジーノが結菜の手をこちょりとくすぐる。
世話になってばかりなのは申し訳ないから、結菜もジーノに何かしたいといつも思う。
****
「ねえ結菜これなんかどうかな?」
「わ、いい香り。これ好きかも」
「ね、いいよね。私これにしよっと」
ショッピングモールに新しく入ったボディメイクのお店に、結菜は沙也加と共にやってきていた。今までは通販で購入していたブランドだったが、新作の香りをこうして試して買うことが出来るのはやはり嬉しいものだ。結菜は季節限定の桜の香りのボディクリームを購入した。少し落ち着きのある、優しい香りのものだ。沙也加は同じ桜でも、華やかなものを選ぶ。
他にもいろいろと冷やかしながら、同じ店舗の中でバズグッズを売っているところへ移動する。ふわふわのタオルや可愛い歯ブラシなども置いてあって楽しい。小物を見ながら、そういえば向こうに歯ブラシを持っていったら、同じようなものがあるといって見せてもらって持って帰ったりしたな、などと思い出した。もちろん思い出したのはジーノの無表情で、ユイナは思わず小さく笑った。
「結菜、見て」
沙也加のはしゃいだ声に振り向く。いつもは変な道具を結菜に勧めたり、恋人との仲を冷やかす友人も、こういう女らしい小物が大好きなのは変わらないらしい。気の置けない女同士の買い物というのは、男性とのデートとは全く異なる楽しみがある。
沙也加が手に持っているのは、レトロな風合いの硝子瓶だった。中身はバスタブに少し垂らすとお湯が白くなり、よい香りと肌への保湿効果があるというもので、普通の入浴剤よりはかなり高いけれど、インターネットなどでの評判はとてもいい。少し高いから躊躇していたけれど、沙也加は奮発するようだ。
「バスミルク?」
「こっちも買っちゃおうかなシトラス系」
香りを変えて買うという沙也加に首を傾げると、ニッと楽しげな笑顔を見せる。
「彼氏に桜の香りなんて可愛すぎない? だからユニセックスな香りにするの。一緒に入るもん」
「あ、そ」
沙也加はよく頼まれた合コンを企画したりするが、実は付き合って長い仲の良い彼氏がいる。年頃の友人の色恋はそろそろ結婚の話も出てきていい時期らしいが、改まって話題にはしていないものの、確かに結婚を意識して、互いの家族と交流もしているのだという。ごく自然に結婚へ近付いている様子は見ていて少し羨ましかった。
「結菜のとこは、一緒に入らない?」
「え?」
「お風呂。一緒に入りたがらない? 男って」
「それは……」
真っ先にジーノのことを思い浮かべる。お風呂を一緒に入りたがるかどうかといえば、もちろん答えはイエスである。一緒に入りたがるというか、結菜の体調が万全でないとき以外は、必ず1度は一緒に入る。恥ずかしがれば「7日間に2日しか一緒に居られないのだから、触れられる間に出来るだけ長く触れておくのは当然です」と真顔で迫られて返す言葉も無い。それに結菜だって一緒に入って洗いっこしたりするのは嫌いではなかった。もちろん、恥ずかしいのだけれど。
「私も買おっかな」
「うんうん。たまにはこういう贅沢もいいよね」
「うん」
そうだ。たまにはこういう贅沢もいい。お風呂に入れてもいい?って頼んでみようかな……とバスミルクの瓶を手に取る。香りはどれにしようかといくつか覗いてみた結菜は、先ほど買ったクリームと同じ種類の香りを選んだ。この桜の香りがジーノのお堅い無表情から香るなんて、想像するだけでちょっと楽しいではないか。
「それ、2人で使うの? 女の子っぽい」
「うーん、……こういう香りが男の人からするのも、可愛いかなって」
「あらやだ、マーキングに近いわね」
小さく沙也加に笑われて、そんなつもりは無かった結菜は憮然とした。そんな風に思われるだろうか? でも、しっかり流せばそれほど香りは残らないだろうし、まあいいかとカゴに入れてしまう。
他にもぶらぶらと商品を見てからお勘定をしてもらうと、試供品をいくつか貰えた。その中のひとつを見て、沙也加が「あ」と小さく声をあげる。
お勘定を終えてからいつものようにカフェに行く道すがら、沙也加が先ほど驚いた理由を教えてくれた。どうやら試供品のひとつがバブルバスタイプの入浴剤だったようだ。映画などでよく見る、バスタブに泡をたくさん作るアレ。
「これは嬉しいわね。なかなかこういう入浴剤は買わないもの」
「使ったことある?」
「あるある。ラブホテルとか行ったら、アメニティにたまにあるわよ」
そうなんだ……と頷いて結菜もちらりと紙袋を覗いてみる。ちゃんと結菜の方にも入浴剤は入っていた。結菜は使った事が無いから、もし使うとしたら調べてみた方がよさそうだ。
「いつも、彼氏の家の方に行ってるの?」
「うん。えっ?」
不意に問われて何も考えずに返事をしてしまった。沙也加の顔はいつもの通り興味津々だ。深い事情は問わないでいてくれるが、やはりお互いの恋話は聞きたいもので、結菜だって例外ではないのだから、沙也加の気持ちも分かる。
もし、本当の事を言ったらどんな反応をするだろうか。
「あの、ね」
「ん?」
沙也加が、興味の中にもこちらを気遣うような表情を浮かべている。
「私の好きな人、魔法使いなんだ」
と、言った途端、その表情がみるみるうちに驚愕に染まった。当たり前だ。結菜はこんな冗談を言うタイプではない。沙也加は暫く目を丸くして結菜を見ていたが、やがて呆然と答えた。
「結菜の彼、童貞なの!?」
「はあ?」
「だって魔法使いって」
沙也加と結菜は顔を見合わせた。しばらく見つめあって、やがて我慢出来なくなって結菜が吹き出す。
ジーノが魔法使いって。
あんなにいつも抱き合っているのに、魔法使いっていうのが何故だかおかしくなって、結菜はクスクス笑い始めた。それを見た沙也加も釣られて吹き出し、2人して笑い始める。笑いは2人の間で伝染して、最終的には涙まで出て来た。
「もう、冗談よ、そんなに笑わないで」
「だって」
あは、と余韻を追い払いながら、結菜は沙也加に首を振った。笑いが収まり、ふっとよぎる沈黙に、沙也加がバシッと結菜の背中を叩く。
「変な人だっていうのは充分分かっているわよ」
「うん」
沙也加にはまだジーノのことは話すことが出来ていない。そもそも話す方が現実味が無いだろう。しかしいつか、彼女に話す日が来るのだろうか。紹介する日とか。
そこまで考えて、ふっと不安になる。ジーノに会えない不安と、そして新たな不安。それは、この先の未来だ。ジーノと一緒にいるということは、ずっとこのまま週に2日間だけの逢瀬を待つしかないのだろうか。週に2日、会うだけのまま、何処まで? いつまで?
信じられない。ずっとこのままであるはず無いのに、目先の不安と安心にばかり囚われていた。将来、例えば結婚? ジーノと、異世界で? 仕事は、家族は、……こちらの世界は?
結菜にとって、そしてジーノにとって、異世界の人間同士の恋愛とは一体どのようなものなのだろう。何と言って説明し、どのように手続きするべきものなのだろう。
何より、ジーノはどう思っているのだろう。自分1人で結婚のことまで考えて、なんだか浮かれすぎているような気がする。ジーノが優しくて結菜を甘やかすから、つい溺れてしまう。
「結菜?」
急に黙ってしまった結菜を、沙也加が覗き込んだ。心配そうな友人に、なんでもないと首を振ってみせて、不安を押し込める。こういう時、電話やメールだけで繋がることが出来るこちらの世界は本当に便利だと結菜は思う。今、ほんの少しでも声を聞く事が出来たら……、いや、声を聞かなくてもいい、せめて相手がこの世界にいるのだと安心することが出来ればそれでいい。「少し不安になっただけ」だなんて、普段の結菜であれば思わない言葉だ。それなりに彼氏だって居た事があるけれど、そういう関係の人にだって思って来なかった。だがジーノに対しては……? 異世界という隔たりがあるから補正されているだけだろうか、それとも、今までとは全く違う思いを彼に抱いているからだろうか。
「いつか」
「ん?」
結菜は苦笑して、自分よりも少し背の高い沙也加に肩をすくめてみせた。
「沙也加に話す事が出来たらいいな」
それを聞いた沙也加が少し驚いたように目を見張って、一瞬遅れて笑った。
「いつか会いたいわ、その魔法使いさん」
「童貞じゃないわよ」
「分かってるわよ、バカね」
女同士の話題はキャッキャと移ろっていく。いつか会いたい、という余韻だけ2人の間に心地よく残って、後はこれから行こうとしているカフェのパンケーキは何にするかとか、どこそこに出来たお店に行きたいとか、そんな話をする。週末ジーノの所に行く時に、今日買ったバスミルクとボディクリームを持っていこうと決めた。