003.星月夜

もう最後の日まで時間が無いとは分かっていたが、八丈に家まで送ってもらった日からその日まで、酒場に行く事は出来なかった。予定や時間が合わなかったわけではない。あんな風に出てきたのに、どのような顔をして酒場の皆に会えばいいのか分からず、そしてどのような言葉で八丈に会えばいいのかが分からなかったのだ。

まるで子供みたいだ。だが行かないと……。しかし焦れば焦るほど足を向ける事が出来なかった。前まではあれほど楽しい気持ちで酒場に行って、飲んでいたのに。

そうしてとうとう迎えてしまった最後の日。水希は一応浴衣に着替えた。黒い地に萩が描かれた絽の浴衣だ。田舎の祖母が着付けの出来る人で、教えてもらった手をなんとか覚えていた。あまり小道具は持っていないので博多帯の半幅を簡単に蝶結びにしただけだが、なんとか様になったろう。時間を見るともう夕方だ。

折角浴衣に着替えたのに、それに似つかわしくない溜め息を吐いていると、不意に足下から音がした。

キュ

「え?」

なんだろう、そう思って声のした方を見てみると、狩衣を着た小さな烏帽子の妖怪が、テーブルの上に置いてあった飴玉に手を掛けていた。いつも酒場でおしぼりを運んでくれる小さな妖怪だ。

「あれ?」

キュキュ……!!

その妖怪は「しまった、見つかった!」という顔をして、ぴゃ!と珈琲カップの裏に隠れてしまった。盗ろうとしていたのは砂糖と水飴だけで出来た昔からある金色の飴のようだ。水希は小さく笑って、飴玉の包み紙を開いて置いてやった。

キュ

ひょこひょこと妖怪が姿を見せる。

烏帽子の妖怪はてのひらに乗りそうなほどの大きさで、飴玉を手にするとそれが随分大きく見える。身体の割に飴の大きさは大きいかと思ったが、妖怪はまるで果物でもかじるように口をあんぐりと開けてそれを口の中に放り込んだ。かりかりむしゃむしゃと頬を膨らませて飴を齧っている様子に、水希は瞳を細くした。もうこの程度の不思議では驚かない。だって妖怪達はあんなに身近にいて、水希と一緒に話をしてくれていたのだもの。

何を、迷っているんだろう。

もう会えなくなる、そして1年後にはきっと会える。一番大事なのはそのことで、気まずい思いで出てきたこととか、そんなことは些細な事だ。一年後に会いたいのならば、みんなに「一年経ったらまたお酒を一緒に飲もう」って、そう約束しないといけないのに。

八丈が、来年になったらまた会える……と言ってくれたように。

「行こ」

水希は準備を調えて家を出た。キュキュ、と言いながら烏帽子の妖怪が慌てて追いかけてくるので、両手で掬い上げて肩に乗せて歩き始める。回りには同じように浴衣を着た女性がちらほら見えるが、妖怪を肩に乗せている人はいないようで嬉しくなった。

空を見上げると夏の終わりの夕方だというのに、いまだに日差しは強く汗が滲む。夏の残りを感じながら歩いていると、黒いこうもり傘を差した着流しの男が歩いてきた。八丈だ。晴れの日に黒い傘、それに着流しという格好は異彩を放っているが、周囲に浴衣の人が多いからかそれほど不自然には思えない。それどころか、大柄で逞しい八丈にはいかにも似合っていた。

「よう」

八丈が傘を差し掛けて、水希はその中に入れられた。きつい日差しはこうもり傘に遮られて弱まったが、近付く体温は暑いままだ。しかし先ほどよりも感じる空気は心地よく、水希は八丈と並んでぽくぽくと歩く。

気まずさも、切なさも、もう感じなかった。いや、切なさは僅かに感じる。今日が終わると、もう1年会えなくなる……という切なさだ。

「八丈さん」

「ん?」

「一年経ったら、もう一度会える?」

「会えるさ。お前は俺の嫁だから」

「勝手に決めないで」

「もう決めたんだよ」

水希が苦笑混じりに言い返すと、傘を持っていない方の手で頬を撫でられた。そうか、自分は八丈のお嫁さんなのか。この間はあんなにおろおろと心の中が混乱していたのに、今はどうしてだかすんなりとそれを受け入れて、素敵な恋人にプロポーズされたような、むずむずとしたこそばゆい心地の良い気持ちになった。

「待てるか」

「待ってあげる」

「そうか」

それから酒場までは特に何も話す事無くゆっくりと歩いた。着物の男女に、日除けのこうもり傘という格好だったがちっとも気にならない。気が付くと肩から烏帽子の妖怪は消えていて、代わりにどうやら傘の上に座っているようだ。ぶらぶらと楽しげに揺れる足だけが見えていた。

****

「わあ、水希さん、浴衣とっても似合いますね!」

そう言って出迎えてくれたのは狐の秦野で、それ以上は何も言われる事無くいつもの通りカウンターに通された。

「おお、馬子にも衣装だな」

そんな意地悪な軽口を叩くのは狸の和尚で、いつもの通り水希から付かず離れずの席に座っている。

酒場の皆はいつもと全然変わりがなかった。今日が酒場の最後の日だというのに、同じように飲んで、同じように騒いでいる。貴船もいつものようにグラスを磨きながら周囲に目を配っていて、狐の秦野も楽しげに給仕をしていた。白いネズミのお侍さんが豆腐の味噌漬けをサービスで出してくれて、狸の和尚と半分こしようとお皿を並べる。

焼うどんも食べて一通りの食事を済ませると、烏帽子の妖怪がかわうその妖怪と共に、わっしょいわっしょいと硝子のお猪口と、小皿に乗った干菓子を持ってきた。

「今日はお祭りの日ですから、ちょっと珍しいお酒を開けましょうか」

「え?」

そう言って一本の瓶を開け、とくとくとお猪口に注いでくれた。薄い琥珀色の綺麗な色は、顔を近付けるとふくよかな香りがする。

「すごいいい香り。これは?」

「かの出雲の地にて醸造された日本酒ですよ」

「日本酒? にしては色が付いているけれど……」

水希が知っている日本酒は透明なものが多い。色が付いているということは、かなり年数の経ったものなのだろうか。だが言われてみれば香りは確かに日本酒のものだ。

ふんふんと香りを楽しんでいると、隣に座っている八丈が顎をさすって「ははあ」とうなり、狸の和尚が「おおお」と感嘆の声を上げた。

「でも普通の日本酒ではないんですよ。普通、日本酒というのは水で仕込みますが、これは日本酒で仕込んだ日本酒なんです」

「えっ、日本酒で? そんなこと出来るの?」

「珍しいでしょう?」

しかも今回の酒は、その日本酒で仕込む……という工程を八回繰り返した貴重な酒らしい。古くは神話の時代に伝えられた酒を再現しようとしたという。酒を酒で醸造しただけあって、濃厚なコクととろみ、甘味が出るそうだ。

注がれた琥珀色の液体を持ち上げて、唇を付けてみる。

「うわっ……」

飲み口は思ったよりもずっと濃い。けれど舌に乗った味わいからは想像できないすっきりとした後口で、熟れたフルーツのようなまったりした味わいと爽やかさが同居している。濃いけれど、すっと喉を通っていく。とろみを感じる味だが、水のようにも感じた。

「そしてこれが和三盆で作った、お菓子です」

「和菓子をお酒に合わせるの?」

「甘いものと案外相性がいいのですよ」

和三盆の干菓子はかわいい鈴の形をしている。つまんで一口に口の中に放り込むと、舌の上でさらりと溶けて、日本酒の香りを嫌味なくリセットさせた。甘く濃厚なお酒に和三盆、甘いもの同士で合わないかと思ったけれど、日本酒のクセが、干菓子のやさしい甘味と程よく合う。

隣で飲んでいた八丈が唸る。

「美味いな」

「八丈には甘すぎるかと思いましたが」

ふふ、と笑いながら貴船が空いた八丈のお猪口に2杯目を注いだ。「ワシもワシも」とお猪口を差し出す狸の和尚にも、苦笑しながら注いで、貴船が水希の顔を見る。

「どうですか? 水希さん」

「美味しい、です。すごく豊かな味で……なんとも表現できない。こんなお酒があるんですね。和三盆のお菓子もよくあって……」

「他に、こういう楽しみ方もあります」

貴船が冷凍庫からクリーム色のアイスを取り出した。なんだろう? と思って水希が見ていると、ほんの少し、お酒をアイスクリームの上にかける。

「ええ!?」

「わああ、もったいねえ!!」

もったいねえ、と叫んだのは狸の和尚だ。貴船がどうぞ、と日本酒をかけたアイスクリームを水希の前に差し出した。バニラアイスに日本酒をかけるなんて考えたこともなく、どんな味になるのだろうと想像もつかない。恐る恐る口に含む。

最初にふわりと広がる甘いお酒の香り。その後を追いかけてくるバニラの風味。まるで洋酒をかけた贅沢なデザートのようで、バニラアイスの風味が何倍も豊かに感じる。

「うわああ、豪華! 豪華な味!」

「楽しいでしょう」

はしゃぐ水希にうずうずした狸の和尚がワシもワシもと手を伸ばす。同じようなデザートを作ってもらって一口食べた和尚が、目を丸くして口許の毛皮を膨らませた。美味しい証拠だ。

「面白いでしょう。お酒でお酒を仕込むという手法自体は、平安時代、お酒を造っていた役所に伝わる醸造法を研究したものだそうですよ」

「へえ、人間ども、こんな美味い酒をよく作ったな」

水希の代わりに八丈がちびちび飲みながら答えて、こりゃあ美味いと楽しげだ。水希も一口、二口、少しずつ口に運びながら、宝石のような味わいを楽しんだ。

甘くて爽やかで、ほんの数杯重ねただけでもほんわりとよい気分になってくる。

「美味しい」

「あんまり飲み過ぎるなよ、水希」

「分かってるよ」

八丈には注意されてしまったが、後を引く美味しさだ。だが日本酒だけあって、度数はそれほど低くない。ふわふわといい気分になっていると、突然ドンと大きな音が響いた。キャ!……と周囲の小さな妖怪達が驚いて飛び上がる。

「お、始まったみたいだなあ」

今日は近くでお祭りがあって、そのお祭りのハイライトとして打ち上げ花火が何発か打ち上がる。小さなお祭りのかなり奮発した催しものだが、水希の住んでいるマンションからもちらりと見えるので毎年楽しみにしていた。地下だから見えるはずもないのだが、狸の和尚がまるでそこに花火が見えるかのように視線を向けると、わらわらと付喪神達が集まって、飛び上がって花火の真似をし始めた。

お酒を飲んだ後特有の楽しい気分も手伝って、付喪神達が遊ぶ様子にけらけら笑っていると、秦野が水を運んで来てくれた。おとなしく受け取ってこくりと飲むと、冷たくて透明な味が火照った喉に心地がよい。

「屋上だと、本物が見れますよ、水希さん」

「え、屋上?」

「折角だから見に行ってみたらどうですか?」

「わあ、行く行く!」

思わずはしゃいで椅子から飛び降りると、「おいおい」と八丈が水希の肩を抱いた。強い腕の力に急に酔いが冷めて、驚いたように八丈を見上げると、八丈は何食わぬ顔で狸の和尚と秦野に片手をあげていた。

「おう、いけいけ、楽しんでくるがええ」

「いってらっしゃい、水希さん、八丈さん」

「大切なお客様をよろしくお願いしますよ、八丈」

狸の和尚と、狐の秦野と、天狗の貴船に見送られ、水希は押されるように店の化粧室の隣にある扉から外へと連れて行かれた。そういえば何度も足を踏み入れているのに、屋上とか他の部屋に行った事がない。階段と古いエレベーター、それに非常口があって、いかにも古くさい雑居ビルという雰囲気だ。

「屋上、あるんだね」

「ああ。俺の社があるって、和尚も話してたろ」

「あ、うん、本当にあるんだ」

「ああ」

エレベーターに乗っている間、きゅ、と水希の指が太い指に絡めとられた。まるで恋人同士のように手をつないで、まるで初めての恋のように胸が高鳴る。ここに来るまでの間に「嫁になる」とか「待っててあげる」とか大きなことを言っていたくせに、あの時の不思議に高揚した気分が今は繊細に震えていた。

鉄で出来た扉を開けると、一際大きな音が響く。周囲の建物と建物の間、大きく開けたところからちょうどよい具合に花火の様子が見えた。花火の光に照らされて、小さなお社が浮かび上がる。小さなお社は、組んでいる木材が古く煤けているものの、まだ新しい締め縄と紙垂が下がっていた。

八丈がお社を開けて見せてくれた。

暗くてよく分からないが、時々光る花火を頼りに中を覗き込んでみると、板の間の奥に小さな茣蓙が敷かれ、その上に大きな石が置かれていた。石の上には締め縄が乗せてあり、何枚かのお札が貼ってある。

「あの石が俺だよ」

ぽつりと言った八丈を見上げると、どこか寂しげに笑っていた。もう敵もいないのだから石に閉じこもる事など無いのに、そう思ったが、どうにも出来ないのだろうか。

「だが、多少のめどは出て来てな」

「めど?」

「来年の夏からは、お前を嫁に出来るように」

「八丈さ……っん」

ちゅ、と水希の唇が食まれる。水希が何かを質問しようとする前に、唇を塞がれて抱き寄せられた。そのまま飲み込まれるように大きく吸い付かれ、舌が唇をこじあけようと忙しなく動く。水希はぎゅっと八丈の着流しにしがみついて堪えようとしたが、少し逡巡して、結局は受け入れた。軽く唇を開くと、まるで蛇のようにぬるりと濡れた舌が入り込んで来る。

「ん。……はちじょうさ、」

「ああ」

息継ぎの時にだけ互いの名前を呼び合って、あとは湿った吐息の音だけが二人の間に流れ始めた。花火は今、一度目のインターバルだろうか。しばらくの間花火の音は聞こえずに、熱帯夜を思わせる暑い外気に晒されながら唇を触れ合わせる。

徐々に触れ合いが深くなり始めた。ただ口腔内を探っていただけだった舌が、水希のそれを掬い取る。ぬるりと持ち上げられたかと思うと擦り合わされ、横も中も、上も下もぬめりが蹂躙した。舌同士が触れ合う独特の感触は、なぜか下腹にぞくぞくと響く。

「ん、ん……ぁ」

鳥がさえずるような音を交えながら、水希が八丈の背中に腕を回す。八丈は少し唇を離すと、水希の身体を抱き締め直した。そのまま唇をずらして顎のラインに這わせ、甘く噛み付くように耳元へと進める。

「あ……」

「……水希……少し触らせろ」

こもったような低い声が水希の耳元で囁かれる。少し荒くなった吐息が耳を震わせ、くちゅ、と音をさせて舌が這った。その途端にびくりと身体が揺れてしまう。

片方の手の平が水希の腰回りを撫で、曲線をなぞり始めた。そのまま押されるように一歩、二歩、下がると、カシャンと音がしてフェンスに背中がぶつかる。八丈の身体とフェンスに閉じ込められ、徐々に大胆になっていく手の動きを享受する。

「八丈さ、ん、まって、ここ、外……」

「悪い、関係ねぇ」

焦ったような余裕の無い声が、水希の最後の抗いを拒否した。八丈は鼻先を水希の首筋に突っ込んで、獣がするようにペロリと舐める。汗をかいているからと暴れてみたが、身体を押し付けられて動けない上に、舌の柔らかな感触と歯の硬い感触が交互に触れて、その度に身体の奥が甘やかに反応してしまう。

唐突に始まった熱情を、拒絶することは出来なかった。

ぐ、と指が浴衣の襟元にかかり、そのまま左右に緩められる。素人の着付けで少し着崩れた帯が下がり、露わになった鎖骨と胸元に八丈の顔が触れる。硬い前髪を感じたと思ったら、熱い息が触れてきつく吸い付かれた。僅かの痛みはすぐにおさまり、ぬるりと舌でそこが濡らされ、襟に掛けている親指が胸の柔らかみを探り始める。

ふるふると細やかに動く指が、胸の頂きに引っかかる。「あ」と声を上げると、そのまま弾くように動かし始めた。唇を重ね舌を絡ませたときは甘く溶けるようだった感覚が、一気にしびれるような愉悦に変わる。

「あ、あ……八丈さん、や、あ」

「水希……可愛い声だな、お前……」

満足そうに囁きながら、胸に触れる指先の動きは止まらない。肌の見える面積が段々と広がって、やや強引に八丈がそれを引き下ろした。ぷるんと揺れて白い肌が下着から溢れる。その柔い弾力をこぼさぬように掴み、八丈の唇が受け止めた。指先で触れていた部分に吸い付いて、ころりと舌で転がす。

時々八丈の目が水希を見上げる。きらきらと薄い琥珀色に光る八丈の瞳は、先ほど飲んだ酒の色のようだ。触れられる圧はゆるやかなのに、びりびりとしびれるような感触が走る。逃れたいのに逃れられなくて、下腹を押し上げるような快楽が迫り上がってくる。

甘い責め苦が続いて、気が付くと力の抜けた水希の身体を八丈が愛おしく抱き締めてくれていた。胸に触れていた唇を離し、水希の頬に頬を寄せる。水希、水希、と何度も名前が呼ばれ、水希も夢中になって八丈の名前を呼んで背中に手を回した。ぐ、と八丈の腰が押し付けられる。柔らかい布越しに感じる硬いもの、それが何かはすぐに分かった。無くなる距離、溢れる息に夢中になっていると、どこか遠くに花火の音が聞こえる。

「あ……!」

八丈の腕に安心していると、急に外気に太ももが触れた。浴衣の裾を開いて、八丈の手が入って来る。下着の上をなぞるように指が幾度か往復し、水希の足と足の間を探り、足を閉じようとしても八丈の足が割り入って邪魔をする。

下着を少し避けて裂け目に触れた。すでにそこは濡れていたが、まるでまだ乾いているかのように、優しく繊細に指が触れる。ゆっくりじわじわと入り込み、少し引き抜いて粘液と共に膨らみに触れた。表現しがたい感覚がぞくりと這い上がり、強請るように腰が揺れる。

しかし八丈はそれをからかう事も無く、真剣に水希の頭を撫でる。

「濡れてるな。上等だ」

「八丈さん……」

恐る恐る八丈の下半身に手を伸ばしてみると、そこは衰える事無く独特の硬さを保っていた。体躯に似つかわしい質量の熱を着物越しに触れると、息を飲み込んだように八丈の喉仏が上下した。

「おい……っ、水希」

「八丈さん、あの、あの……」

水希だってこんなに急いたことは無かった。だが、八丈に似合いそうもない繊細で優しくしつこい責めは、水希をなぜか焦らせた。早く一つになりたかった。身体のつながりが、イコール心のつながりでは無いと分かっている。しかし、八丈とつながる、そうすることが、気持ちが通じ合った証のようにも思えたのだ。

「ああ……分かってる。でももう少し触ってくれよ……」

八丈が水希の手を掴んで、着物の中に引き入れた。少し布を分け入ったところで、生々しい塊が主張している。独特の弾力に直接手を触れさせられて、水希は恐る恐るそれを握り込んだ。先端に少し指を触れると、先走った液で濡れている。さすると、「ぐう」とくぐもった息が聞こえて、水希の下腹もじわりと熱くなった。

互いの箇所に触れれば触れるほど、互いの熱が高まるのが分かった。まだ挿入していないが、八丈の眉間の皺を見ているだけで下腹の奥がきゅんと狭くなる心地がする。そうやって指を締め付ければ内側の襞に加わる圧も心地よく高まって、足の力は入らないのに愉悦に身体が緊張する。

「は、……水希、そんなに急かすな……」

「だっ、て、八丈さっ……」

「くそっ」

ちゅ、と大きな音をたてて八丈の指が引き抜かれた。あともう少しだった身体がその衝撃にびくびくと跳ね、鳥がさえずるような声がこぼれてしまう。八丈は水希の手も離させると、後ろを向かせて背中から抱き締めた。

「手を、つけ、水希……」

フェンスを握るように手をつき、後ろを向くと、八丈が遠慮もなく水希の浴衣を太ももまでまくりあげた。下着を下ろし、怒張した欲望を押し付けられる。

「ま、ってこんなかっこ、あ……ああ……」

当然待ってもらえるはずもなく、ゆっくりとそれは入って来た。手で触れていた時に分かっていたが、息を呑むほど大きく、本当に息がつまりそうだ。ゆっくり進んでくれているからか痛みはほとんど感じないが、重い圧迫感にフェンスを掴む指が震える。

「力、を、抜け……水希、ゆっくりしてやるから」

「む、りぃ、……大き、ダメ……あ」

「ん、ほら、力抜けって、……くっ」

蝶々結びの帯が少し解かれて、胸の圧迫感が楽になる。背中が温かくなり、八丈が覆い被さった事を知った。八丈の手の片方がフェンスを掴む水希の手の片方に重なり、開いた方の手が腰に回された。すは、と息を吸った途端に、ぐ、と一番奥を突かれる。

「あ、う……っ」

「は、……これは好いな……」

互いの腰がぶつかった。本当に奥まで入ったのだ。胸のあたりまで先端が届いているような気すらしてくる。八丈は暫く動かさず、フェンスを握りしめている手を解くように優しく撫でた。

「少し、動かしていいか、水希」

「ん、あ、だいじょ、ぶ……ゆっ、くり……っ」

水希の要求通り、八丈がゆっくりと抜け出し、半分ほど抜いて今度はゆっくりと奥に戻る。大きくてきついのに、驚くほど滑らかで引っかかる事が無く動かされた。きつさは水希の膣内なかの粘膜の全てを余す事無く刺激し、反った角度が女の感じる部分をちょうど良い力加減で抉る。

ぎし、ぎし、とフェンスが揺れる音がする。八丈の手が後ろから水希の襟元に入り込み、最初にしたときのようにやわやわと胸を揺らし始めた。腰はゆっくりとしたリズムで動いている。胸の頂を揺らされるときの甘くじりじりとした悦を意識した途端、八丈が「ぐう」とうなり声を上げて、突然奥をぐつりと突き上げた。

途端に愉悦が溢れて、水希の嬌声が上がる。

「水希、水希……」

「あ、っあ、もう、や、ダメ……も、」

あの八丈がまるで助けを求めるように水希の名を呼び、水希の身体を強く抱いて動き始めた。身体が揺れ、フェンスから手が離れる。離れた手を八丈が掴み、身体の全てに閉じ込めるように抱きついた。八丈の体躯だけで水希の身体を支え、これまで以上に深く奥に刺さる。

頭の中が砂糖になってしまったように、自分の吐く息が甘い。八丈の声だけが聞こえていて、花火の音はもう聞こえない。

「水希、みず、き、……悪ぃ、孕ませはしねえから、出すぞ……」

「え、あ……」

水希のひくついた膣内なかに合わせるように八丈が小刻みに動いた。水希の身体が愉悦にしびれたと同時に、八丈が二度三度大きく突いて中に熱いものが注がれる。注がれる間、愉悦は長く長く続いた。

は、と荒い息を吐いて、八丈がドロリと水希の身体から出ていく。しかしそれがあまりに名残惜しくて水希が振り向き、八丈に抱き付いた。

八丈は抱き付いてきた身体を支えながら舌打ちし、緩んだ裾から水希の太ももを腕に掛けると足を上げさせた。

「あ……!!」

「くそ……!」

そのまま間髪入れずにつながる。今度は先ほどのようにゆっくりとではなく、獣のように激しく動かし始めた。立ったままの不安定な身体で、必死に八丈の肩にぶらさがり、八丈もまた水希を離さぬように強く抱いて揺さぶりあう。達していた奥はもうびくびくとひくついていて、襞が絡まり吸い付かれ、引き抜くのにきついほどだ。内膜の柔らかさに任せて動かし、互いの身体と繋がった存在を貪欲に感じ合う。

達する直前、これが終わったら八丈はどこかに行ってしまうのだろうかと不安に襲われる。

今感じている愉悦が強ければ強いほど、離れる時の孤独が予測できて怖い。

「八丈さ、ん、八丈さん、八丈さん!」

「……水希?」

「や、だ。やだぁ……離れないで……」

「……くっ、お前……は、……」

ぴたりとしがみついた水希の中に、荒い息と共に喘ぐ八丈が再び注ぐ。強い快楽とその後の幸せな虚脱感、抱き締めてくれている腕の安心感と、この腕からどうしても離れたくないという恐怖感。激しくぐらつく感情の波と愉悦に流されて、水希の意識が遠くなる。

「八丈さん、もう少し……」

「ああ、ああ、分かった。しょうがないな、お前は……」

先ほどの激しさとはまるで違う穏やかな腕で、崩れる水希の身体が抱き寄せられた。温かい布団に包まれているような幸せな温もりに、喉の奥がつまりそうな寂しさも覚える。

それから先は、ほとんど覚えていない。

気が付けば朝で、水希は自分の部屋の寝台の上で目を覚ました。

浴衣は脱がされていて着物用の肌着一枚だった。浴衣は置いていた着物用ハンガーに掛けられていて、帯は綺麗にたたまれている。小物類も纏めて帯の上に置かれていて、身体に気持ちの悪いところは無かった。

あれから、どうやってここに運ばれたのだろうか。おぼろげだが八丈から何度も求められ、何度も身体をつなげあったような記憶がある。八丈の腕枕に肌を摺り寄せ、お互いに抱き合って眠った記憶も。だが、それが夢の中での出来事だったのかそうではなかったのかは分からない。水希の意識が確かにあるのはあのビルの屋上で抱き合ったところまでだった。

しかし、八丈の肌の記憶は水希の肌にあった。屋上では着物を着ていたはずなのに、身体の全てが八丈の裸に直接触れたことを覚えている。肌着をめくってみると、お腹や太ももに点々と赤い痕が付いていた。きっと八丈が付けていったのだろう。

手を伸ばして自分の隣の隙間に触れてみると、まるでそこに八丈が居たような心地すらする。きっといたんだ。朝まで一緒にいてほしいという水希の我侭を聞いてくれたに違いない。

けれど、たった今、八丈の身体は水希の隣には無く、カレンダーを見ると8月は終わっていた。

****

それから数日泣いて我に返った。

まるで今生の別れみたいに感じてしまったけれど、1年経ったらまた会えるのだ。「今度はなんとかする」という言葉を信じて、水希もまっすぐがんばらねばならないと気持ちを引き締めた。よそ見をすることなく1年……正確には10ヶ月、たった10ヶ月。それまでよりもほんの少し背筋を伸ばして、健やかに生きる事を意識した。無心に10ヶ月を待つ……という意味でも、仕事に打ち込んだ1年だった。

また会える。妖怪の皆に。マスターの貴船に。狐の秦野に。狸の和尚に。

そして、八丈に。

それなのに、翌年の6月の末、初夏の不安定な天気が幾日か続いたある日のことだ。

水希の住んでいる街は雷を伴った酷い嵐に襲われて、何発もの雷が街中に落ちた。その落雷は、例の雑居ビルに集中的に落ちて、屋上が火事で消失した。

7月に入っても、ビルは立ち入り禁止のままだった。


8月終わりに浴衣を着てもいいのかしら?と思われますが、
現代の暦で夏の終わり、花火大会……ということで。ギリギリご容赦ください。